裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

9日

土曜日

三度目の葬式

爺さんに婆さんのだろ、今度の親父のでやっと喪主だよ!

※NC赤英葬儀・帰京

朝8時起床。部屋が暖房で暑く、乾燥していて
目が乾く。シャワー浴びて、三宅くんとホテルのモーニングへ。
コーンフレークとジュース、コーヒー紅茶はバイキングだが
料理は極めて感嘆にミニサンドイッチとロールパンホットドッグ。

改めて支度して、差し回しのタクシーにみんなで分乗し、
式場へ。ここの式場に備え付けのティーサーバーで飲む冷茶が
おいしい、とゆうべから話題になっていた。さすが茶どころ・静岡。
ついつい二〜三杯、続けて飲んでしまう。

昨日の帰京組と入れ替わって本日の来静組が。別府ちゃん、由美子ちゃん、
助川くん、樋口かずえ、芝崎くんなど。やまぐちさんも長距離バスで
かけつけてくるそう。アーバンの魚健さん、それから恵理ちゃんも
来ていた。しかし、凄い出席率である。来られない人たちも、
ほぼ全てがmixi日記やブログに今日のことを書いて
冥福を祈っている。こんな愛された人の葬儀は始めてである。

写真を撮っていたら、お父さんに話しかけられる。
「あのテレビに出ている先生で……清秀がそんな方と仕事して
いたなんて、私ら、本当に何も聞いておらんで……これを機会に、
清秀が出ていた芝居にも行かせてもらいます」
と。テレビで虚名を売ることをエラいこととは全く思っていないが
それをひとつの基準とすると、一般の人には全く知らない世界での
息子の立ち位置などがよくわかるのであろう。こういうときには
虚名を売っておくのもある種ベンリである。

赤堀家は臨済宗であるらしい。一休さんの宗派である。
そう言えばNCはやまぐちさん製作のCGアニメ『一休さん』に
出演していたのであった。奇縁。まあ、一休ではなく将軍役であったが。

臨済宗では死というのは、現世での(仏になるための)修業が終り、
次のステージでの修業に旅立つということにあたる。
誰もが平等に仏になれるという素晴らしい教えではあるが、
死んでからもまだ修業なのかよ、と私のようなナマケモノは思ってしまう。
エレクトーンとピアノの伴奏あり。

お父さんは笑顔を作り、気丈にユーモアを交えた挨拶をしてくださる。
「あいつはこの20年、家に帰るのは正月だけ、それも一日いたと
思ったら帰ってしまう。だから、今度の病気で帰るまで、20年間、
会ったのは20日きり」
などは笑った。それに比べてお母様の憔悴の様子は見ていて気の毒な
ほどで、棺の中に向い
「清秀、ごめんね、ゆるしてね」
と繰り返す様子は哀れの極み。何をゆるしてと言っておられたのか。
母親と長男の間にはいろいろと葛藤があるとは思うが。

それから弔辞。
三人連続で、芝居関係の人間によるものだった。
高校の演劇部の仲間、大学の演劇部の後輩、そして現在の所属劇団
の座長である橋沢進一。本当に彼の人生は芝居一色だったのだな。
ハッシーは“お父さんに「弔辞でみんなを笑わしてください」
と言われた”と、かなりハードルを上げられてガンバっていた。
NCの名言、“脳に彫刻刀で彫れ!”は大ウケ。
個人的には高校時代の仲間の、飾らない弔辞が最もよかった。
「殴り合いの大ゲンカをして、その原因が、舞台に持って出る
棒が長いか短いかということ」
などというのは、いかにもNCらしく、高校生らしく、バカで、
笑うしかない泣ける話である。

早稲田時代の演劇部の後輩Hさんはもう、席でハッシーの膝に
泣き崩れていた。それぞれの時代の、それぞれの思い出の中に
NCが生きているんだな、と思う。

高校、大学の芝居仲間が同じことを言っていたのは、
もう芝居から離れてしまった自分にとって、42までずっと
芝居をやっていた赤英が“うらやましい”ということ。
世間の基準から見れば定職にもつかず芝居に打ち込んできた
NCは落後者だろうが、若き日の友人知人中には誰か、
そういう、右総代でみんなの失った夢を代理に背負い、
走り続けるヤツが必要なのだろう。

やがて送り出しのため遺体に花を捧げる。あれだけ“泣かない”
と言っていたハッシーが顔をくしゃくしゃにし、親川は慟哭して
いた。棺への釘打ちを省略したのはお母様への配慮だろう。
確かに、あの釘打ちの音は父母を亡くした子供にもキツい。
まして、逆縁のときは……。棺の中のNCの遺体の上には
いつもトレードマークで来ていたジャージと、ドラえもん
など、好きなマンガが置かれていた。

それから焼場までマイクロバスで向う。2台、バスが用意してあって
分乗するが、乗りあぶれた人たちもいた模様である。
三宅くんはそこで帰ったもよう。やまぐちさんも同じく。
やまぐちさんは滞静時間何十分くらいだったろうか?

焼場で窯に棺が入るとき、お父さんが大きな声で
「清秀! しっかり次の世でも修業するんだぞ! 聞いてるか!」
と叫んだのにちょっとウッとくる。お母様は逆縁ということも
あり参列していなかったが、これは母親には堪えられる
光景ではないと思う。

お骨上げを待つ間、休息所でお弁当をいただく。
海苔巻きに稲荷にシューマイ、エビフライという不思議な弁当。
ちょうどお坊さんの近くの席で、佐々木や舞ちゃんが
いろいろ話を聞いていた。
「故人はどういうお芝居を?」
とか言う質問にみんなちょっと口ごもる。別に言って悪いことは
ないのだけれど、説明に窮するのである。

オダさんから、私の日記から、以前NCが所属していた劇団に
訃報が行き、葬儀に間に合ったという話を聞かされる。
何か彼の役に立ったようで嬉しい。

やがて火葬が終り、お骨上げは親族にまかせてわれわれは
またマイクロに乗り込み斎場へ戻る。
さっきまで、フィギュアみたいだったとはいえ、見慣れたNC赤英の
姿が消えてお骨になり(骨壷の蓋の裏に名前がお父様直筆で
書かれていたが、芸名のところの赤英に“AKIHIDE”と
読みが書かれていた。オトウサン、ちょっと違います)、名前も
“清雪演妙信士(せいせつえんみょうしんじ)”になってしまうと
奇妙な感覚あり。

最後の焼香、その後、それまで全く涙を見せなかったテリーが
ここでウッと小さく嗚咽していた。溜まっていたものが
出たのか。そしてご両親の最後の挨拶のとき、オダくんが
紹介されていた。これだけの演劇関係者が集まった葬儀、
すべて彼が尽力してくれたようなもの。

その後、広間に場所を移して精進落とし(と、言っても通夜の
食事も弁当も精進じゃなかったが)。メインがフィレステーキの
和風フルコースだった。ダイエット続けている由美子ちゃんが
悩む悩む。二時間ほど、いろいろワイワイ。
お父さんがビールを持って各自の席を回り、にこやかに話している。
黒白のリボンをつけてさえいなければ、結婚式のパーティみたいで
あった。役者の葬儀はこれでいいのだ、と思う。

「この葬式に出られなかった仲間のために実況していますので」
と断わって、ご両親の写真を撮らせていただく。
お母様が泣くだけ泣いたせいか、笑顔になっておられたのに
ホッとする。お父さん、
「清秀もこんなえらい先生とお付き合いできていたんだから」
と。エラくはないが、NCの名誉のために、ここはエラい
顔をしておこう。

二日にわたった葬儀も万端これで終り。まとまって駅まで
行き、各駅の東京行きに乗り込む。これは客席もゆったりで、
各駅なれども東京へ直行、ならば飲もうとみんな酒を買い込んで
酒盛り大会。私はもう体力の限界で、しばらく眠り、国府津あたり
で目を覚して缶ビール飲み出す。狂騒的になりすぎて他の乗客に
怒られたヤツがいた。まあ、今日ばかりは仕方あるまい。

例えば志水一夫氏のような人なら、亡くなっても文章が残る。
遺稿集も作れるだろう。だが、舞台役者は舞台に出ていて
ナンボ、死ねばそれは各自の思い出にしか残らない。
ならば、葬式などの思い出を克明に記しておくこともあながち
無駄ではあるまいと考えるものである。

さしもの長旅も終って10時半ころ、品川着。
そこから新宿まで行き、さらに中野まで。
別れて、ちょうど出るところだったバスで数駅。
帰り着いてバテたが、離れていた間の連絡等をしなければ
ならず、また花や香典をいただいた方への連絡もせねばならぬ。
しばらくその連絡事項やって、ホッピー飲み、一人NCを
偲んで彼の出演のトンデモホラーDVD(私のプロデュース)を
見る。これを残せただけでもまあ、よかったか。
1時半、就寝。

*ご両親。
*骨壷に収められたお血脈。いただいて、極楽に行けよ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa