裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

日曜日

赤線はやと

赤線〜赤線〜今日もゆく〜。

※三が日終り

明け方、夢を見る。
前の日記で、うちでは初夢は大晦日が明けて元旦に見た夢、
と書いた。書いて確認しておいてよかった。
二日の晩に寝て今朝方見た夢が初夢だとしたらあまりに不気味
すぎ。もっとも、見ながら頭の片隅で“ホラーにしちゃオーソ
ドックスな展開過ぎるか?”などと思ってもいたのだが……。

秋田に所用があり、行っている。秋田ということだが、景色は
冬の北海道、札幌の中心部からちょっと外れた住宅地あたり。
道も、家々の屋根も雪で覆われている。
そこで私は小学校3年生くらいの、ちょっと知恵の遅れた男の子と
仲良くなる。最初は遊んでやっていたが、あまり向こうがなついて
“遊ぼうよ”としつこくねだってくるので、やや持て余した私は
逃げ出す。

だが男の子は必死で後を“遊んでよ”と追いかけてくる。
一面の雪道を、雪玉を投げつけなどして走ってくるのを、私は
いたずら心で信号のところでまいてしまい、内心ニヤリとするが、
その時大きな音がして、振り向いてみると、トラックの下敷きに
その子がなっており、私は呆然と立ち尽くす。

数年後、東京のマンション。私の師から電話で、“秋田の佐竹家
の刀を鑑定することになった”と伝えてくる。私が動揺すると、
師は“君のことに関係するのかどうかわからないが、また連絡
する”と言って切れる。

ちょうどその電話が切れるのと同時にチャイムが鳴る。私は
用心深く覗き穴から確認してドアを開ける。そこには二人組の
僧侶が、派手な衣姿で立っている。私が依頼した、祈祷屋の
坊主である。藁にもすがる思いで頼んだのだが、一目見ただけで
あまりの俗物なことに私はがっかりする。

お祓い坊主たちは部屋に上がり込み、まずは何か飲むものでも、
と要求し、酒とわかってはいたが私は麦茶を出す。坊主たちは
饒舌に喋り続ける。私は苛立ち、
「能書きはいい、これを落とせるのか、落とせないのか」
と叫んで、シャツをはだけて胸を見せ、坊主たちは絶句して、
やがて悲鳴をあげる。私の胸には大きな腫瘍ができており、
その真ん中には秋田の男の子の顔が浮かび上がって、声に
ならない声で“遊んでよ……”と呟き続けている。

妙にデティールが細かく、例えば東京の私の古びたマンション
(2LDKの小さなもの)にはいたるところに仏像や仏画が
置かれている。私が祟りを祓おうと仏に頼っている、という
設定だろう。師からの電話、というのは唐突だが、最初秋田に
行ったのはその関係の用事か、と思われる。ここらへんは
エピソードが少しはしょられたのかも知れない。
ともあれ、これが初夢でなくてよかった、と目が覚めて胸を
なで下ろす。

朝10時起床。
あまり腹は減ってないので、アイオープナーにジュース飲んだ
だけで朝食は抜き。

日本酒の飲み過ぎか全身倦怠。
ストレッチも役立たず。
9月の芝居のストーリィを練ったりする。
外はやや曇天。

12時、昼食。雑煮と黒豆。
餅というものは旨いが連続して食うとすぐ飽きる。
そこへいくと、飯というものは偉大ですなあ。

仕事ちょこちょこするが、倦怠感ですぐダメに。
ビデオで『ゴッドファーザー』など。
元・俳優、成川哲夫氏死去の報。がんで、享年65。
『スペクトルマン』(71年の放映開始時は『宇宙猿人ゴリ』)は
第一次怪獣ブームが終った1968年から3年間、怪獣ものに
飢えていたわれわれの心をがっちりととらえた番組だった。
当時の子供の目から見ても特撮はかなりチャチで、画像合成の
設備がないのに光線技を表現しなくてはいけないのが何とも気の毒
だった。同年に3ヶ月遅れで始まった『帰ってきたウルトラマン』
を見たときには、あ、やはり違うわなあ、と改めて思ったものだ。

にも関わらず、スペクトルマンがこちらの心をとらえたのは、
公害や人間の心の闇といったテーマをかなりシビアに取り入れて
描いたストーリィと、主役・蒲生譲二(ジョージ・ガモフのもじり、
と言うのが何とも)を演じた成川哲夫の、不器用だが誠実な人柄が
にじみ出た演技によるものだった。地震怪獣モグネチュードンの
回のラスト、惑星ネビュラは、今回の事件の記憶は地球人の心に
残すべきではない、と言って時間を戻し、事件そのものをなかった
ことにしてしまう(そんなことが出来るのなら、ゴリが宇宙刑務所を
脱出する前に時間を戻せばいいのに)。しかし、その処置に満足
できない蒲生は一人街に出て、人々に
「あなたは、今大地震が来たらどうしますか?」
と質問して回る。たぶんアドリブでやっているそのインタビューシーン
がストップモーションになって番組は終るのだが、その表情の真剣さ
が、役柄を超えて印象的だった。

惑星ネビュラ71から派遣されたサイボーグ、という設定なのだから
そんなに人間味があっては本来はおかしい筈なのだが、そこが
成川の人徳だったのだろう、公害Gメン室長の倉田(大平透)との
関係など、実に人間的。何かの回で、本部に一人残ることになった
蒲生に女性隊員が大きなケーキをプレゼントし、それを蒲生が
「よーし、食うぞ」
と、お茶を片手に箸でペロリと平らげる、というシーンがあって、
これはドラマというより撮影時の本当のエピソードなのではないか、
とさえ思えたものだった。金がない番組だけに、スタッフたちの
間に逆に親密なつながりが出来ていたのだろう。

番組の放送中に結婚。結婚式にはスペクトルマンやラーもかけつけ
週刊誌で記事になった。前記、室長役の大平透は仕事で欠席する
代わりに、当時彼の代表作だった『スパイ大作戦』の“おはよう、
フェルプスくん”のパロディをテープに吹き込んで送り、
「そこで君の使命だが、奥さんを幸せにすることにある。
子供が何人出来ても、当局は一切関知しないからそのつもりで」
とやったそうだ。結局、男の子に恵まれたものの、彼は高校生で
早世してしまい、成川の人生に一抹の影を落とすことになったのは
残念である。

その後『噂の刑事トミーとマツ』などにレギュラー出演もするが、
いい人というのは役者として大成しない、と言われるように
あまりパッとせず、空手の師の死去に伴って道場を引き継ぎ、
武道家としての道を歩むため俳優を引退した。後に懐かしの番組
などという特集でインタビューに応じる彼の姿をときおり
目にすることがあったが、若さを失っていない、いい表情をして
いるなあ、と嬉しく思っていたものだ。
65歳という年齢はいかにも若すぎる。
冥福をお祈りする。

6時、オノ・マド夫妻が息子の祥太郎を連れて来宅。
R社のTくんも共に。
大晦日の談之助もそうだったが、父親としての実に細かい子供への
気遣いを見て、ああ、オレは子供の親にはなれぬと思う。

母が嬉しがって、いろいろご馳走。ハムやスモークト・タンなどの
オードブル、フォアグラステーキ、それに自家製クサヤなど。
日本酒、ビール、ワインなどチャンポンにて、またまた
深酔い。

9時半、みんな帰宅してから湯を沸かし、入浴の準備して
ベッドに寝転がるが、そのままグーと寝て、気がついたら11時半。
入浴もめんどくさくなり、ホッピーで酔いを調整。
やはり焼酎がいいな。DVDでミス・マープル『寄宿舎の殺人』。
3年前の正月に見て、内容をすっかり忘れてしまっていた。
マーガレット・ラザフォードとフロラ・ロブスンという英国を代表
する演技派女優(つまり顔の美醜では勝負していない女優さん)の
対決という意味でも面白かった。3時半まで見て就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa