30日
日曜日
マクナマラまかせてみしょうホトトギス
彼にひとつ、国防長官をまかせてみようじゃないか(J・F・ケネディ談)。朝、6時50分起床。入浴その他如例。朝食7時半頃。カボチャサラダ、スープ。8時半 のバスで渋谷へ。やること多々。
2・26事件の碑の前にいつも右翼系の街宣車や、変なお爺さんがやってきては勝手なセレモニーをやっていくのはこの日記でも何度か書いているが、今日はその前に茶髪(と、いうより金髪)、ガングロ、ルーズソックスのセーラー服姿の女子高生が花を供え、お水をやり、線香を焚いて、静かに手を合わせ、長いこと黙祷していた。ちょっと驚く。いったいどういう思いで、2・26というものを把握しているのか。 訊いてみたいような衝動にかられる。ミスマッチといったらない。
11時に家を出て買い物。東急本店の11時開店と同時に入って、今日のうわの空ライブの差し入れのお菓子を買い、さらに東急ハンズで、チラシ印刷(談之助さんに送ってもらったトンデモ前週祭のチラシはこのあいだのロフトなどでほとんど配りつくしてしまったので増刷)用の紙を買い、花屋で公演記念の花を買う。トンデモ本大賞のチラシを挟み込んで貰うので、今日はライブにヒルヨル通してのつきあいとなる わけ。
チラシをコピーしている間に弁当ざっと使い、両手に荷物なのでタクシーで銀座3丁目の『銀座小劇場』まで。行くとちょうど練習中であった。開演30分前でまだパンフが折られていない状態なので、折り込みを手伝う。なんか、向こうはこっちをやたらエラい人と思っているのか、いいですいいです、こっちでやりますと言ってくれるが、人出が足りないのは見てわかるので、やりますやります、とパンフ数十部折るのを手伝う。かえって恐縮させてしまって気の毒かもとは思うが、芸能プロダクション時代もと学会の今も、私はごく普通にそういう作業をやっているのだ。
とにかくギリギリまでダメだしをやっているのを見て、去年の東京大会のときのことを思い、“ああ、ウチばかりではなかった”とちょっと安心。それにしても銀小は懐かしい。佐川一政さんのライブの司会を務めてここでお仕事したし、それから、十年ほど前にはパントマイムの吉澤忠くん(ちゅうサン)と一緒に、ここで役者として芝居もやった(『DRUG』という芝居でマッドサイエンティスト役)。あのときから全く変わっていない。……いや、扉にセコムのシールが貼られたあたりが変わった か。
佐川さんのときには、楽屋に“『ぴあ』のものですが取材をお願いします”と言ってある人物が訪ねてきた。舞台で照明の確認をしていた私が、呼ばれて楽屋に入ったのだが、その人物は私の顔をみるなりアッと叫んでダダッと駆け出し、呆然としている佐川氏やスタッフを残して逃げ出してしまった。……これは当時サブカル業界では有名なニセインタビュアーのDという男で、その後にクイックジャパンで特集が組まれたほどの、当時噂の名物男だった。90年代中頃のサブカルブームでいくも出ていたたその系統の文化雑誌の編集者を騙ってインタビューを行い、そのテープをコレクションしているらしかった。私の元にもその銀小の数年ばかり前に、イギリスのカルチャー雑誌『G−SPOT』の日本版が創刊されるので、そこでカラサワさんにインタビューをしたいと言うふれこみで電話してきた。喫茶店で会って1時間ほど話したのだが、どう見てもプロのライターとは思えないダラダラとした取材ぶりと風采だったし、名刺がなく、ノートの切れっ端のようなところに鉛筆で走り書きしたようなメモを出し、また最後に店を出るときも、“すいません、サイフを忘れました”と言って、こっちに金を出させる始末で、アヤシゲさが芬々とただよっていた。家に帰ってすぐ、メモにあった編集部の電話番号にかけてみたが、案の定デタラメだった。やせぎすの20代で、鼻梁の横にかなり大きなイボがあり、目立つ顔立ちだったのだが、後で聞くと同じような手口で、ひんぱんにあちこちの漫画、音楽、サブカル系の文化人にインタビューを繰り返していたという。それが、インタビュー技術は拙劣なくせに、妙に“これから売り出していくであろう文化人”を取り上げるその嗅覚は鋭く、彼の被害者(とも言えぬが、コーヒー代とかを持たされているわけで確かに被害は受けている)たちのほとんどが、その後ブレイクしている。私もまあ、それからそこそこ名は売った。若手文化人の中には、“オレにも早くDからインタビュー依頼がこないか”と首を長くしているのもいたとの噂である。取材がニセと分かってがっかりしていた佐川さんには、“いや、あの男が来たということは、このイベント、成功ってことですよ”と言って笑ったものだ。そんなことを思い出す。彼ももう、今は30代 後半だろう。いったいどこで何をやっているのか。
昼の部、1時半開場。受付担当の人が“まあ、昼はそんなに入らないから……”と言っていたが、どうしてどうして、60人以上の客が詰めかけて、席が(ベンチシート席を少な目にしていたので)ほぼ満席となる。S山さん、それから破裂の人形さんが来ていた。恒例で、最初のツチダマ(演出補佐)さんと村木座長のしゃべりに始まり、ティーチャ佐川真さんとおぐりゆか、小林三十朗の医者コント『青い巨塔』、水科孝之・宮垣雄樹の『しなっちの面白コント・4』、おぐりゆかと小林三十朗、高橋奈緒美の『ヘンゼルとグレーテル』、島優子他女優陣と村木座長の『We Loveチューバ』、座長と高橋奈緒美の音楽漫才『座長となおみさん』、島優子と産休前最後の出演の牧沙織の『コントお花屋さん』、そしておぐりゆか司会の『勝ち抜きクイズグランプリ』。いつもはコントライブは寄席(上野広小路亭)でやるし、そういうところでやるのがいかにもうわの空なのだが、やはり根は演劇のヒトたちで、小なりとはいえ、こういう“劇場”で演じたときの方が生き生きしているように見えるのは 気のせいだろうか。
昼席(おっと、寄席じゃないんだから“昼の部”ですね)終わり、小腹も空いたので、出てソバでも、と思い、店を探すがなかなかいい店がない。仕方なく松屋の上のレストラン街のソバ屋に入って、天ぷらソバを頼もうとしたが、さすが銀座松屋で、そんな下品な食い物は置いてない。かきあげせいろというのを頼む。エビとゴボウのかきあげの入った温かいおつゆで冷たいソバを食え、という趣向らしいが、これがあるなら、最初から温かい天ぷらソバも出せばいいのに。で、ツユはやたらしょっからく、カキアゲはゴボウの香りで海老の香りがトンでしまっているし(ゴボウみたいな大衆的な素材には芝海老のように上品なものじゃなくて桜海老を合わせないと)、ソバも精白がすぎてほとんどソバの香りがしない。おまけに三すくいくらいで無くなってしまうような量で、おかわりせいろが550円(頼まなかった)。逆に言えば、い かにも銀座のデパートのソバ屋のソバ、であった。
劇場に帰ってみると、みんなそこで雑談やダメ出ししながら休んでいる。舞台上にうつぶせになって、上半身にジャンパーかけて死体のように寝ころんでいる人物がいて、誰だありゃと思ったら村木座長であった。尾針恵とおぐりゆかが代わる代わる、その座長の足の裏をマッサージしている。ひとつの劇団を率いて、個性あるメンバーをまとめて、毎回ネタを考えて演出して、客のいりやチケットのことも考えて、という立場のいかに大変なことかというのは身に染みて知っているので、座長という肩書きをうらやましいと思ったことはなかったが、女優二人が交替にマッサージしてくれている状況を見て初めて、これなら座長になりたいものだ、とウラヤマシがる。
それにしても、今回初めて開場前の様子を見たのだが、ギリギリまで雑然としているんだなあ、と可笑しくなった。“そろそろいい?”という受付からの催促にも、金魚鉢の中のツチダマさんからなかなかOKが出ない。と学会の東京大会、去年はゲネプロがいっかな終わらず、ああ、やはり素人はここがダメなんだなあ、とか思っていたが、プロの劇団もこうなら自信が持てる。ノドが乾いたのでお茶を自販機で買いに外に出たら、たまたまおぐりゆかとカチあった。雑談しながら一緒に買っていたら、
「人気女優と密会現場スクープ!」
とか言いながら開田さん夫妻がカメラ向けた格好で来た。お約束で二人、あわてて顔を隠すポーズ。
夜の部、前のベンチシートを一列増やして対応するが、さすがに入る。開田さん夫妻に昼から連続のS山さん、それからみなみさんが見えたので、最後列の私の隣に。あとからあとからゾロゾロと入ってきてくれる。最初は頭数をいちいち数えていたのだが、途中で放棄してしまった。百二〜三十は入ったと思う。この日記でもいつも書いているが、ライブに最も大事なのは客に対人距離をとる余裕を与えない、スペースのギッシリ感である。開演前に軽度のパニック状態に観客を追い込むことが、音楽にしろ演劇にしろ、ナチスのような政治集会にしろまず大事で、落ち着かせてはいけない。客が落ち着いているかどうかはは、トイレに行く頻度を見れば一目瞭然である。不安(期待)過多状態になると、まず人はオシッコをしたくなるのだ。開演前にトイレに行列が出来るライブはまず、成功と思ってよろしい。今回、トイレの前には常に数人の待ちが並んでいた。これだけ人肩相磨し、天井が低く心理的過呼吸気味になる状態なら、大ウケは約束されたようなもの。やがて始まったコントのウケ、やはり昼とは比べものにならないくらいにいい。しかも、こういう小さい劇場であるが故に、客ばかりでなく、演じている役者さんたちにもその興奮が伝染する。昼に来たお客さんには気の毒のようだが、出来がダンチであった。特に最初の『青い巨塔』のような不条理ギャグは、ガラガラの客席で見てもさっぱり笑えないだろう。自分が不条理な精神状態にあるから、不条理ギャグの世界にスンナリ溶け込めるのである。
……上記の文章は、客としての立場から、面白いライブを見にいくときの目安のつもりで書いたものである。今日のような複数回の公演があるときは出来るだけ混み合いそうな日を目当てに行くのがコツ。楽に座れるからとかいって、空いてそうな日を狙っては、最良の出来のライブには当たらないことを覚悟しなくてはならぬ。映画とライブは違うのだ。まして、アドリブ満載のこの『うわの空藤志郎一座』の場合は、来る日・見た回によって、印象がまったく違ったものになる場合が多々ある(私が入れこんでいるからと言うので見に行って全然面白くなかった、という方もいらっしゃると思うが、出来ればもう一度観に来ていただけると有り難い)。計算は立ててから出かけた方がいいだろう。
尾針恵が太った々々と座長が言うので、どんなものかと見ていたがそんなこともなく可愛かったし、しなっちコント、座長となおみさん、シマ&マキ等のおなじみコントも安定。なおみさんの笛は毎回聞きたい。水科さんの相方に抜擢されて毎回たっぷり演技が出来る宮垣雄樹、島優子との掛け合いでボケとツッコミのリズムを学べる牧沙織は新人として本当にラッキーだな、と思う。そして、おぐりゆか、今回は爆発。
なんなんだろう、演技が際だつというのとは違い、ギャグのキレがどうのという問題ではなく、女優としての成長なんていうものには全然当てはまらず、要するに、何かに取り憑かれていた、としか思えぬ。キャラの存在感、出てくるだけで客の期待感がワーッとたかまるエネルギーというかオーラというか、そういうものが全身から発散していた。解説不能。ハジケたという言葉でしか表現できない。この面白さは、文章にした時点で輝きを失ってしまう。思えば彼女の魅力は表情の“変化”にあって、これまで彼女の写真などを見るたび、“ああ、本当はもっと可愛いのに!”と思ってしまうくらい、写真でそれを伝えきれていなかった(やっとこのあいだ出来たスタイルブックで、それが伝わっている出来の写真がサイトに上がった)。演技もまたしかりで、この子の場合、“実際に見てくれ、でないとわからない”が最終結論なのである。もどかしいがどうしようもない。
小林三十朗のヘンゼルと組んだやさぐれグレーテルも奇妙キテレツだったが、ラストの『クイズグランプリ』、これは見たことのない人のために言うとムチャクチャ簡単なクイズを“いかにボケて当てないか”をそれぞれのキャラクターに扮した登場人物が、そのキャラに成りきりながら競う完全アドリブコント(座長と島さんが定番で『北の国から』の田中邦衛と中島朋子、それに今回は小林三十朗と高橋奈緒美の『銀河鉄道999』コンビ、水科孝之の槇原隆之と、爆笑もののUAパロキャラで出てきた八幡薫)なのだが、その司会が毎度おぐりゆか。基本的に天然の彼女を、座長はじめ他の芸達者たちがいじって反応を見る、みたいなのが基本型で、お笑いのSMみたいな趣向のコントなんだが、不思議に毎回、いじられる役のおぐりが最も光って終わ るという風に、ここ数回なってきた。
今回は問題の選定にちょっと難があった。ボケにくいものが多かったのだ。他の回答者たちもかなり苦労していたが、中に“バカという言葉は動物ふたつで出来ていますが、それは馬と、さあ、もうひとつはナンでしょう?”というのがあった。これで笑いをとれ、というのはかなり難しいと思う。ところが、今回のおぐりは、鹿の大きさを回答者に説明する、その説明だけでもう、爆笑をとってしまうのである。不思議だが本当なのである。別にギャグとして発したセリフではないし、まったくギャグではないのに。全盛期の林家三平が持っていた、あのパワーに似ているかも知れない。評論家泣かせのキャラ、芸風である。笑って抱えるのは腹なのだが、爆笑の末に頭を 抱えてしまった。
終わって打ち上げに誘われたのでバラシを見学。ここらへんが寄席と違って劇場のめんどくさいところである。みんな手慣れたもので、きちんきちんと備品の数を確認しては片づけている。ツチダマさんに、“役者としてここに出たことがある”と言ったらかなり驚かれた。私が持っていった花は、ホームレスっぽい老人が“もらいたいんだが”と言ってきたので、片づけるのもメンドくさいので、これ幸いと持っていかせる。これは後で聞くと、花を引き取って花束に仕立て直し、バーなどの女の子にあげるための花束として、街頭の露店に卸すらしい。いろんな商売があるものだ。小劇場の人曰く
「持っていくなら台ごと持っていってくれりゃいいのに、台は残すんだから」
と。
今日、客の中に知り合いの某業界人の女性がいた。やはり一般客の中で一頭地を抜く、一種独特のオーラがある。終わってこちらに挨拶してきたのだが、その隣に座っていた、彼女の連れらしいかなりイケメンの若い男性の方にどうしても目がいく。会場に入ってきたときから、私の前の席の女性客たちがザワメいて、“誰、あれ?”とかささやきあっていたほどのイケメンなのである。売上集計していた牧ちゃんにアノ男は何物か、やはり×ちゃんのカレシなのか、と訊いたら、
「あ、アレはウリセン」
とこともなげに答える。
「え、ウリセン? ウリセンをカレシにしたの?」
「いえ、カレシをウリセンにしたんですよ。Mプレイで」
という答えに爆笑。まことに以てケッサクなカップル。いや、さすがは×ちゃんである、と尊敬の念を抱いてしまったほどであった。
近所のやるき茶屋で打ち上げ、尾針恵が先導する後にくっついていったら、見事に道に迷い、しばらくさまよう。開田さんは仕事があるので帰り、あやさん、S山さんとみなみさんを連れて参加。乾杯にあたり、村木座長から来年のゴールデン・ウィークにもまた紀伊國屋公演が出来ることとなった、という発表、それに加えて、まだオフレコではあるが、さらにスゴい話も発表(今回の日記は隔靴掻痒表現が多くて申し訳ない)あり。私ら外野のものみんな、オーと言って驚く。私のようなロートルは、この話がスゴいものであればあるだけ、今後の大変さがあることも思い浮かべてしまうのだが、しかし、こういう話はまずこないことにはどうしようもないのである。村木さんに“有卦に入っているんじゃないですか”と言うと、
「いや、でもコイツ(島優子)なんかずっと昔からオレのこと見て知ってますけど、いままで“こりゃこのままうまく行くか?”と思って、そのままどうにもならずにポ シャってきたの、何十回も体験してますもん」
と言う。確かにそうかも知れないが、しかし人間、年をとってからの幸運の方が、喜びの大きさが全然違うものである。心から嬉しいし、逃がさずつかみとってほしい と思う。
ところで、座長はこの5月で39になり、私は同じくこの5月で46になった。座員一同が村木座長の誕生日を祝うが、ついでに私のもあわせて祝ってもらう。これは驚き、かたじけなし、という気持ちで一杯になる。寄せ書きと、夏用の甚平がお祝いであった。寄せ書きが嬉しい。暑苦しい日だったので、甚平についていた扇子はすぐ 使わせてもらう。
11時過ぎにおひらき。牧沙織が手拍子とっていた。この間も書いたが、彼女は今回の紀伊國屋公演には妊娠のため出られなかった。来年も公演が行われることで最もラッキーなのは彼女だろう。“よかったねえ、来年もし、第二子出産なんて事態がな ければの話だが……”と言ったら、聞いていたおぐりが、
「ナニをおっしゃるんですか先生、そんなエンギでもないことを……!」
と言ったのでみんな爆笑。つくづくいいなあ、このボケ。でも、村木さんがそれにツッコミながらも、私には“でもおぐりは、本番では絶対にアブナイこと言わないんですよ。あれは本能ですね”と、ちゃんと座員をフォローしていたのに感心。私とかその仲間は、芸人根性なので、仲間ウチであっても人のポカには容赦ないからねえ。
出て、ちょうど丸の内線の最終荻窪行きに乗り込めた。小林三十朗さんもいたので帰りの車内でうわの空ばなし。いかにも小林さんらしく、アツく芝居を語り、役者とは、というようなことを語り、“このままこの幸運にあぐらかいちゃいけない”と、前向きな精神を語る。私も同じくアツくなって応じる。私は以前にも書いたように、若い頃演劇人が、芝居よりむしろ語る方にばかりアツくなって、現実を見ようとしていない(語るということは人を理想論者にする行為である)ことに不満を抱き、芝居の世界から足を洗った人間であり、うわの空に魅力を感じたのも、ここにはそういうやかましい演劇論をブつ人間がいなかったからであるのだが、小林さんはその中で数少ない、レトロな演劇青年の面影を残す人である。そして、それが鬱陶しいかというと、かえって懐かしく、微笑ましいのである。この心理メカニズムは何か。新中野で下車、12時チョイ過ぎに帰宅、すぐ寝る。