12日
水曜日
カルパッチョ泣くんじゃない
切り身は薄いけどカルパッチョ泣くんじゃない……。朝7時15分起床。寝過ごした。ゆうべK子が夜っぴて芦辺拓『和時計の館の殺人』をベッドで読んでいて、私もなにか寝付かれずにいろいろ本を囓り読みしていたせい。寝ぼけ眼で30分に朝食の席につく。クルミレタスサラダ、グリンポタージュ。食べた後すぐ入浴。消化にはよ ろしくないだろうが仕方ない。
9時33分(?)のバスに乗り渋谷。仕事場に入る前に、みずほ銀行の渋谷区役所内支店にて、某ローン会社にある程度まとまった金額を振り込み、完済させる。このローンは、十年前にオノプロがらみで作った借金のうち、最後まで残っていたもの。まあ、もともとここで借りたわけでなく、あの頃は妙てけれんなルートでアヤシゲな金融業者からいくつも金を借り出して運転していたので、それを安心なところ、利息の安いところへと移して移して、七つくらいあったのをほとんど完済し、最後に自分用に使った金も含めて、ここひとつが残っていた。ちょいちょいと返しつついたのであるが、それがK子の関知するところとなり、すぐ完済しなさい、という厳命で今日全額払い込んだ。確かに利息を考えるとムダもいいところではあったのだが、なにか切り捨てがたかったのは、チマチマ返してそのひとつひとつが完済していったこれまでの経験が、案外達成感のある快感であったのと、かつて芸能プロダクションをやっていたという経歴の、これが最後の自分とのつながり、みたいな奇妙な感覚にとらわれていたためである。なにか、青春がひとつ終わったような、そんな感じ。ちなみに今の私は会社からオコヅカイを貰っている身分で、自分名義の口座の通帳もカードも全部女房に押さえられている。借りませんかというお誘いもムダですから、ローン会社勧誘担当諸氏。
加藤の礼ちゃんから留守録が入っている。今日イマジカで『いかレスラー』(河崎実監督)の試写があるとのこと。あれ、ウチに来ていた試写状(イカの形をしているイカにも叶井俊太郎の新会社が出したと思える葉書)ではまだ先だったが、と思うのだが、こういうバカ映画は“人より一日でも先に見た方が勝ち”である。書き下ろし 原稿も息詰まっていたことだし、気分転換に出かけることにする。
もっとも、その前に片づけねばならぬことも多々。トンデモ本大賞用のパンフ原稿の打ち合わせをMLでやり、コミビア一本仕上げてK子に送り、アスペクトK田くんと村崎さんとの社会派くん対談の日取りを決め、さらに幻冬舎Nさんと書き下ろし本での対談相手の件を打ち合わせし、それからWeb現代の新連載コラム(6月9日からアップ予定)の原稿見本を一本、書く。中程度の文章量のエッセイだが、ネタがグロもの、裏モノなので、スラスラと書けてしまう。つくづく、こういうネタの引き出しは多い男だと自分で自分に感心、いや、呆れるといった方が正確か。
そのような仕事のあいまに弁当使う。この、“弁当を使う”と言う言い回し、かなり前に“いい言葉だがもう死語だよなあ”と思っていたら、宮崎駿が『未来少年コナン』の中で、ダイス船長(永井一郎)に、傷ついたモンスリーの病室を見舞うシーン で、惚れた女の側にいたいのをごまかす照れ隠しに
「ここで弁当を使わせてもらうぜ」
というセリフを言わせていて、いや、宮崎駿もたまにはいいことをする、と感心してしまった。子供はこういう、日常であまり使わない言い回しが実は大好きなのだ。『独眼竜政宗』での、“梵天も、かくありたい”のセリフが流行ったように、また狂言や落語がNHK教育で子供たちに受け入れられているように、頭の柔らかい時期の子供たちにとっては、言葉のボキャブラリーを増やすこと自体が快感なのである。子供向け番組の制作者さんたちは、どんどん、難しい言い回し、古風な言葉、失われつつある慣用句等を、自分たちの番組で使ってほしい。語彙の豊富さは文化なのだ。コトバをたくさん持つことのみが、文化を守るのである。……ところで今日、使った弁 当のお菜は牛肉の煮付けと塩ジャケ。
廣済堂Iくんから電話。そうそう、ここでのエッセイ集も、あと原稿用紙にして数十枚のところでストップしたままもう長い。こっちにも時間を割かねばならぬ。キュ ウキュウという形容が一番ピッタリくる感じ。
5時半、家を出てタクシーで五反田まで。タクシーの中で原稿チェックをしようという算段で乗ったのだが、運転手氏要領を得ず、“五反田のイマジカですか。うーん品川のイマジカならわかるんですけどね。五反田とは残念ですね。あと、イマジカは確か湾岸の方にも……”などとラチもないことを口走りつつ迷走し(大体、五反田が品川の範疇じゃないか。なにかとカン違いしている可能性大)、どこへ持っていかれるか気が気でなく、さっぱり車中での仕事出来ず。なんとか近くについてから指示してたどりついたが、“ああ、あれですか、いや、さすが同会社だな。品川にあるビル と同じカタチです”などとまだ言っている。だから、そりゃここのことだろ。
試写会場がなんと、3階の第一試写室。日本で一、二を争う設備のところ。『パールハーバー』とか『ミッション・インポッシブル』を観た試写室である。そこでまさか、『いかレスラー』観ることになろうとは。行くとすぐ、中野貴雄さんがいて、挨拶される。“警察にご厄介になったんですって?”と水を向けると、うれしそうにことの顛末を話し出したが、抱腹絶倒。撮影中のため、手についた血糊もそのままで、指紋採られたとか。“すごい血だねえ。何人くらい殺したの?”“ええ、昨日は6人くらいですかねえ”“6人? そりゃあずいぶんやったもんだ”などという会話をほのぼの交わしながらの取り調べだったらしい。ベトナム系アメリカ人の痴漢容疑者の話とか、すさまじく名前がカッコいい刑事さんの話とか、トメドなく話題が出て、そ れをトメドなく聞く。
その他、海老原優さんおり、安斎レオさんおり、破裏拳竜さん(いかレスラーの中の人)おり、ほりのぶゆき氏もおり、実相寺監督もいらして、と、オタク同窓会みたいになる。叶井さんに挨拶したかったのだが、元アルバトロスで、現ファントムフィルムのTさんによると、今海外なのだそうな。河崎監督、例の笑顔浮かべてみんなに『まぼろしパンティ対へんちんポコイダー』のチラシを配っている。新作やつぎばやという……では三池崇史なみの売れっ子である。こっちが執筆に忙しくて企画持ち込みあぐねているというのに、ちょっとうらやましい。電撃ネットワークの南部虎弾氏 も、特出しているとのことでやってきていた。
ちょっと遅れて加藤礼次朗もやってきて、中野さん、私、礼ちゃんと並んで座っていたら、河崎カントクが、“あ、ここは「笑っていい」席ね”と、その隣に座った。やはりオタクの間にいないと自分の作品の試写は落ち着かないのかもしれない。
で、作品であるが、これはもう、叶井俊太郎と河崎実が仕掛けたジョーク、大冗談である。『えびボクサー』というマイナーな映画の、そのまたパロディを大金かけて本編映画として作ってしまう、というその酔狂さが全てであり、そういう酔狂が河崎実ほど似合う人間もこの日本に他にいない、ということだろう。ストーリィも、昭和プロレス史のトピックス(街頭テレビ時代から二大団体の確執、猪木・アリ戦、タイガー・ジェット・シンの猪木襲撃事件等々)をパロディしてあちこちに散りばめ、さらに『ロッキー』のパロディ(いかレスラーの恋人が最後の試合のあと駆け寄るときに、タリア・シャイアのエイドリアンと同じ格好しているとか)、山寺に籠もる修行(スポ根ものの定番のパロ)、そして特撮オタクの河崎実ならこれを出さないわけがない、という怪獣モノのパロディゼリフ(いかレスラーはパキスタンのフンザ出身というプロフィールを聞いて、あそこにいかが棲息するような海はないはずですが、という人に、“白根山中にタコが出たという事例もあります”と答える。わかるね)な ど、実に盛りだくさん。
いいのは、その冗談を、出演者もスタッフも、一生懸命、テレずに、汗を流して撮影しているところだ。こっちが、まあ、せいぜいこんなもんだろう、こういう映画だから、と思って苦笑しながら見ていた態度を多少改めたのは、その、バカバカしい冗談を大まじめに撮る、という姿勢に感心したためである。そこらへんで、この作品は学生たちの、ノリだけで作る自主作品とは大きく一線を画す。バカな映画ほど、一生懸命に作る必要があるのだ(姿勢だけでも)。そうでなければ、それはバカな映画ではなく、観客をバカにした映画になってしまう。この作品、大バカ映画であることは 事実だが、決して、客をバカにしていない。それだけは保証したい。
見終わって、みんなと二次会場に歩く。“いくらくらいかかったんでしょうね、この映画”と私が言うと、誰かが“二千万くらい?”と言う。すると実相寺監督が、
「いや、二千じゃつくれないよ。三千万くらいかかってんじゃない?」
とのこと。この映画、製作進行しながらスポンサーが決まるまでは河崎カントクと叶井プロデューサーが自腹で製作費を出していたと聞く。なるほど、それじゃ真剣にならざるを得ないか。阿部能丸くんがレフリーの役で出演していたのに実相寺さん驚 いたと言っていた。別に驚かないでもいいと思うが。
五反田駅前のレトロ居酒屋『昭和ハッピー』で、みんなと乾杯。ここは昭和三十年代をイメージした居酒屋だが、ちょうどテレビ画面に力道山対ボボ・ブラジルの試合が映し出されていた。河崎カントクは『ポコイダー』の方の撮影の打ち上げに寄ってから来るというあわただしさである。加藤礼次朗、中野カントクなどと映画ばなし。中野さんがこの映画について、かなりプロっぽい意見を述べる。エキストラ出演した礼ちゃんに、“あのアリーナでの試合シーンのエキストラ、どれくらいいたの?”と訊くと“20人”とのこと。20人で2万人くらいの観客に見せようというのにはや はり無理があったなあ。
それから、その場のみんなといろいろ雑談。『ゴッド・ディーバ』の話、うしおそうじさんの話、『花嫁はギャングスター』は中野貴雄の命名した邦題である、という話、『CASSHERN』は宇多田ヒカル教信者による『ヘルメス/愛は風の如く』である、というような話(しかし、それだって興行収入すでに10億を超している、ということは、あの映画あれだけケナした我々の負けである)。ワイワイと楽しくオタ話。途中で座敷席が空きました、と言うのでみんな移動したが、私は今日はそこで おいとま。
電車乗り継いでで参宮橋、クリクリに久しぶりに。9時40分にフィン語を終えたK子と。絵里さんに“ローン支払っているうちはあまり外食出来ないんでゴメンね”と言うと絵里さん、“ウチもなのよ〜”と。自家製ソーセージ、キノコのホットサラダ、タルタルステーキに子羊のロースト。なんだかんだ話がはずんでワインが回り、ちょっと酔っぱらってしまった。帰宅、12時。すぐベッドに倒れ込んで寝る。