23日
日曜日
尾の身でない
え、このクジラ刺身、尾の身でない? こらまた失礼いたしました! 朝6時50分起床。ちょっとネットつなぐ。うわの空のサイトで、座長の藤志郎氏が、
「来年のゴールデンウィークにも紀伊國屋ホールでやることが決まった」
と、なにげなげに凄いことを書いていた。いいものはそりゃ、どこでやったっていいわけであるが、小劇場芝居そのままの(これはツチダマさんの稽古場日記の番外を読むと、藤志郎さんのかなりの冒険〜小劇場出身者の意地をかけての〜だったことがわかる)あの舞台が、紀伊國屋ホールに認められたということである。無闇に嬉しくなってしまった。
入浴洗顔歯磨その他如例。朝食も例によりサラダとバナナ。小泉訪朝成果につき、各テレビ大罵倒の嵐、どちらかというと小泉びいきの読売、産経も北朝鮮への屈辱外交と大ゲナシ。それはいいのだが、家族会の“最悪のシナリオ”発言にはいささか、疑問が残る。それを口にする横田さんの、表情と口調にどうもギャップが観てとれるのである。これもまた、いつぞやの場合と同じく、後ろについている団体が言わせているような気がしてきた。国民の同情が家族会から、次第に離れつつある感触があるのだが、私の気のせいばかりだろうか。
27分のバスで出勤。考えてみれば、昨日は私の誕生日であった。私の家は誕生日を祝わない家なので、こちらもほとんど忘れかけていた。46歳、まだそれほど体力の衰えも感じないし(目だけは別。さすがに老眼が入ってきたか、ショボつきはじめている)、痔や糖尿のような憂鬱な疾病とも今のところ無縁である。説教くさかったりグチが多いのは若い頃からだから別段今更気にすることでもない。改めての感想もナシ。すでに残りの生涯、一緒に語ったり酒を酌み交わしたりするのに不自由しないだけの友達も確保しているし、今の仕事をきちんとこなしていけば、大儲けはしないまでも、まあ余程のことがない限り、この先もどうにか、モノカキとして仕事を続けていけそうな位置にはたどりついた。ここらへんは若いうちにはなかった人生の余裕であろう。ところで、昨日知ったが快楽亭の師匠も、また村木藤志郎さんも、みな5月のこの近辺の生まれである。何か、気質的に似かよったモノがあるのはそのせいか も知れない。
11時45分頃、早めに弁当。韓国プルコギ風肉炒め、卵焼き。12時15分に本を数冊カバンに詰めて、タクシーで神保町へ。三省堂書店神田本店講演会。ちくま文庫フェアにからめての、“ムダ知識のための読書”というテーマで1時間半、話をしろという注文である。三省堂のこの本店ビルに出入りをはじめたとき、私はまだモノカキのはしくれでもない素人だったが、エスカレーターで上下するとき、そこの左右の壁に、この店で講演とかサイン会とかをしている作家、文筆家たちの写真がずらりと飾られており、ああ、オレもいつか、こういうところで講演などしてみたいもンだな、とぼんやり思っていた。思えば長くかかったものである、というか、そういうことをあまり思わなくなった頃、こういう仕事を頼まれる。思っているうちは人間、願 いは叶わないものなのかも知れない。
当日はどこから入ってどこに通れ、というようなメモを筑摩のMくんから貰っていたのだが、忘れてきてしまったので、一回のレジのところで聞いて、7階にある事務所に行く。応接室に通されてしばらく待っていたら、筑摩のMくんが“あ、早いですね”と入ってきた。それから同じく筑摩の営業のOさん。三省堂のえらい人と挨拶して、いろいろ話を聞く。都内はいま、大型書店の乱立気味で大変らしい。そのため、こういうトーク企画にも力を入れているところである、という。東京大会のポスターとチラシを渡して、配ってくれるようお願いする。と学会のIPPANさんが“何か お手伝いすることは”と顔を出してくれた。
やがて時間来て、8階の会場へと移る。奥の方の部屋に椅子が並べられ、小講演会場になっている。客は限定60人ほどということだったが、補助椅子がいくつか出ていたようだ。IPPANさんの他は池田桃子さん、ナンビョー鈴木くんなどの顔が見えた。他は年代も性別もかなりバラバラ。銀河出版のIくんの顔も見えた気が。
何の前置きもなく、話し始める。私はこういう講演会でもトークでも、いわゆるレジュメというやつはまったく作らない。と、いうか、作ってもレジュメ通りにはしゃべれない(だから、いつぞや金沢の薬学会でレジュメを出せと言われたときは往生した)。その場その場の雰囲気でしゃべることを考えて、行き当たりバッタリでしゃべることしか出来ない男である。ただ、話をするには元ネタが必要で、その元ネタはいくつも手元にある。これひとつで大体30分しゃべることが出来るな、というネタであれば、それを一時間半の講演ならば三つ、二時間のなら四つ、持っていけばいいという計算である。だから今日も三冊(あと話のツカミ用に一冊)、本をカバンの中に詰め込んで臨んだ。筑摩の肝煎りなのだから、一冊は筑摩の本を入れずばなるまい、と思ったので、ちくま文庫の『森鴎外全集・1』を中に加えた。それだけで、一回の 練習もせずに講演をやるのである。心臓と言えるかもしれない。
自分でもいい加減なことをしゃべっているな、と思うような話ではあったが、聴衆みなよく聞いて笑ってくれる。二時から三冊語り終えて、丁度三時半ジャスト。われながら大したものである。終わって質疑応答のあとサイン会。“お誕生日オメデトウございます”と言ってくれる人あるかと思えば、“いままで田舎で裏モノ日記読んでいましたが、今年から就職で東京です”と嬉しそうに語る人あり、またトークの内容を補強する情報を伝えてくれる人あり、いい聴衆だったな、と嬉しく思った。あと、書店用のサイン本にも数十冊サインして、無事、終了。店の企画担当の人がとんでくると、“実は三省堂ではこういうトークの他に、閉店後に特別講座という形で行う講演もやっているんですが、それも今度、やっていただけますか”と言う。お座敷がかかった。こっちは何であっても金になるならヘイヘイと引き受けるが、三遊亭圓生の自伝『寄席育ち』で、まだ橘家圓蔵だったころの圓生が、初めて築地のお茶屋『新喜楽』でお座敷をつとめ、終わったら、奥で聞いていた帳場の人がすぐ“明日の晩6時にあなた、来てくれますか”と次の仕事が入った、というエピソードを語っていたのを思い出して、ちょっと気分がいい。要は話が他でも使えるくらい面白かったという証明である。
お車代いただいて、筑摩のMくんOさん、それに実相寺監督の本を出しているAさんと、四人で近くの『古瀬戸』でコーヒー飲みながら話す。前の講演をした作家さんのときは、雨が降って予約をした人の半分が来ず、往生したというような話。今日は天気はいまにも振り出しそうだったが、ギリギリセーフだった。ベトナムコーヒーというものを頼む。濃いめのコーヒーの入ったカップの底に練乳が沈んでいるシロモノ だが、案外おいしい。
5時ころ、地下鉄で帰る。入ったことのない口から入ったので、間違えて都営線の方に入ってしまい、係に言って出るとき、えらい横暴な口調で文句言われた。やはり都の職員のつもりでいるようなヤツはダメである。渋谷まで行き、パルコブックセンターを久しぶりに冷やかして、それからタントンマッサージ。風邪がまだ残っているのか、講演で立って話をしているうちはまだよかったが、サイン会しているうちに、クラクラして気が遠くなるような感じがしたので、マッサージで神経を賦活させよう との算段。幸い、こないだと同じ若い先生で、強く揉み込んでくれる。
出たら、地面が濡れている。揉まれているあいだにおしめりがあったらしい。今日は確かに天候には恵まれていた。仕事場で少し原稿にとりかかるが、まだまとまらぬまま。8時11分のバスで杉山公園まで。9時、帰宅してメシ。『女子十二楽坊』のDVDを見ながら、鯛切り身とワカメの酢の物、酵母パンにハムとチーズ、鴨肉などを乗せたもの、スキヤキ。黒ビールと日本酒のみつつ、いろいろ母とK子と雑談。最後のご飯はまた納豆かけて食べる。二時間しゃべりっぱなし(サイン会でもずっと何やかやしゃべっていた)だったので、ノドがちょっとヒリつく。