裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

金曜日

オギノ式新世界

 出産管理社会のディストピア物語。朝6時45分起床。ちょっと眠い。フラつき、やはり残る。風邪か? 入浴、7時半朝食。水菜とクルミのサラダ、トマトとブロッコリ茎のシチュー風スープ。トンデモ本大賞2004のポスターを太田出版に宅配する手続きをして家を出る。37分のバスに合わせて家を出たが、週末の渋滞で45分になる。中野車庫行きがほとんど3台連続で来たり、ダイヤがムチャクチャになって いる模様。

 傘を持って出ようかどうか、迷った末に持たずに出たのだが、最初はまだ台風の余波で霧雨みたいなものが漂っている状態の天気だったのが、バスに乗り中野車庫のあたりまで来たところで陽が射しはじめ、初台あたりでまぶしいまでの台風一過の青空 となる。

 仕事場着。フラつき激し。まっすぐに歩けないほど。額に手をやってみると、熱が感じられる。やはり風邪だなこれは、と判断し、麻黄附子細辛湯を服用。これが効果覿面、あっと言う間にフラつきがとれた。もっとも、体調はぐずぐず。コミビア一本をまず、K子にメール。眠田直さんからトンデモ本大賞2004の招待券・前売り券 が送付されてきた。これからせっせと売りに歩かねばなるまい。

 弁当、1時。今日は昨日のカキアゲの天丼。うれし涙で食べる。食後ササキバラ・ゴウ氏から恵贈あった『〈美少女〉の現代史』(講談社現代新書)読む。氏が二年くらい前から、ことあるごとに言っていた、“「性」をキーワードにしないとオタク論は実のないものになってしまう”という持論を、いかにも氏らしい方法論で結実させた書。いかにも氏らしい、というのは、ササキバラ氏の論の組み立ての基本になっているのは、常に“その現象の最初の起こりは何だったのか”“その現象のモトとなったのは一体何だったのか”と、ある事象を取り上げる際に、とにかく歴史を遡り(と言ってもほんの一世代程度の時間的遡上だが、実際にものを調べるときにはこのあたりのレンジのものが最も調べにくい)、その根元、源流から語り起こそうという姿勢を貫いていることだ。出るべくして出た本、というよりは、出るべくして何故かいま まで出なかった本、であろう。
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1497189

 流行などというものの根元は、その流行が社会現象になった場合はことに、ほんの数年前のことであっても忘れ去られてしまい、いわゆる文化人と呼ばれる人が、眼前の現象という一事のみを自説に引きつけて好き勝手に解釈した野狐禅論が闊歩することになる。氏はそれを拒否し、愚直なまでに実際の作品を追いかけて、ブームの源泉までたどり着こうという姿勢を見せる。その地道な調査の道を究めようとする姿勢の顕著な一端は、彼のサイトの雑記欄にある“作品の発表年について”という覚え書き (2004年4月30日の記の中)に現れている。
http://homepage3.nifty.com/sasakibara/
「たとえば、『あしたのジョー』は一般的には『1968年連載開始』とされることが多いのですが、実際に第1話が掲載されたのは1968年の『週刊少年マガジン』1号ですから、67年末の発売です。これはやはり『1967年連載開始』とすべき でしょう。
 もっときわどいのは『愛と誠』で、これは1973年の『週刊少年マガジン』3・4合併号から連載開始です。さて、これは年末発売なのか、年明け発売なのか? 調べるには、1号前に掲載された“次号の発売予告”を見て、発売日を確認する必要があります。
(中略)
 多くの本の場合、こういう調査が面倒なので、表示月号をそのまま使って原稿を書いたり、年表を作ったりしてしまうわけですが、やはりそれでは歴史を書いた本とし ては“ウソ”になるような気がします」

 私のようなちゃらんぽらんな人間には、到底やっていられぬ細かい作業であり、その傾注しなければならぬ努力の大きさに比しての結果の地味さに“そんな作業は公的研究機関にやらせておいて、在野の研究家はもっと視点の切り口などで勝負すべきではないか”などとつい、思ってしまうのだが、しかし、現在におけるオタク分野研究の資料の非・充実ぶりは、そんなことをいちいちチェックしてくれる機関などがどこにもないことを示しており、ササキバラ氏はまさにキャシャーン(アニメの方の。いちいちこういう風に言わねばならんのは、桂文楽の名を出すたび“名人の方の”とつけ加えないといけないのと似ている)なみの、“自分がやらねば誰がやる”的な使命感を持って行動しているのだろう。もう一つ言えば、そういう、いわゆる“使命感”の源泉は、“人の行うことの堆積が歴史を作っていき、人はそれを正しく記録しておかなければならない”という、現象論を超えた歴史感覚であろう。ササキバラ氏の著作どれもに見られる透徹性は、この歴史感覚のもたらすものであろうと思われる。

 しかし、だからこそ、と、ちょっとササキバラ氏に不吉なことを予言すれば、この本は、さっきも挙げた野狐禅文化人たちにとり、“便利がられて”使われはしても、決して“有り難がられ”ないのではないか。読書人というのは、あまりに透徹性の強い本というのは、読んで物足りなさを感じるのである。と、いうか、学問の世界においては、難解で何が書いてあるのかわからぬ本が有り難がられ、その本を乃公はこう解釈した、イヤそれは誤りで乃公の解釈の方が正しい、という不毛な論争ごっこを繰り返すことで学者たちがメシを食っていくシステムがある。ササキバラ氏の本の持つ資料性は、そういう難解な本を書きたがる人の素材、材料にはなるかも知れない。あるいは、他人の書いたものにつっこみを入れる際の傍証には使われるかも知れない。しかし、この本を元に従来のオタク史観、アニメ史観を読み変えてみようという直接のモチベーションにはなり得ないのではないか。評論家とか学者は不偏こそが本分、と思っている人がいるかも知れないが、実はそういう人は世間には奇妙にソッポを向かれる。基本的には公平な人だが、ある作品には異常に肩入れをするとか、あるいはある作品に関しては常軌を逸して嫌悪を表明するとか、そういう、どこかに偏跛なところがないと、読む方は、その論説にフックを感じられないらしいのである。歴史の 目に徹したこの著書の透明性は、そこにとっかかりにくさを感じさせる。

 そして、今一度、だからこそ、と前フリをしてこの本の“偏跛性”を指摘してみたいが、ここで書かれている“萌えの通史”を、そのまま日本のマンガ・オタク文化の通史として受け取ってモノを書くと、後で恥をかくことになる。ここに描かれているのは、著者も何度か文中で断っているように、あくまでも“美少女萌え”というファインダーからのぞいた歴史であり、大きな漫画史の中の一断面にレンズを当てたものなのだ。その流れを語る論調は極めて平易でわかりやすいが、一面、平易さを主体にして書いているためにはしょった部分や過大な評価を個々の作品に与えている部分がある。そういうフィルターがかかっていることを認識して読むには、やはりある程度の前知識のようなものは必要だろう。例えば、“アンタッチャブルな聖少女”というイメージの少年マンガにおける原型として、吾妻ひでお『ふたりと五人』を挙げてい るのは慧眼と言うべきだろうが、しかしこの作品を、文中で解説している
「(家族が変装している)美少女五人組がエッチな主人公を翻弄して楽しむ」
 作品、と定義して漫画史の中に位置づけるとすると、間違いではないにしろ不正確になる。読切連載作品の常として、連載当初に規定されていた設定はキャラクター人気の度合いによりどんどんと変化していき、特にこの作品の場合、サブキャラであった、“先輩”(旧制高校の番カラ学生のような弊衣破帽にに黒メガネ、くわえタバコのキャラ)という登場人物が、話の設定を全て無視して引っかき回すトリックスターとして出しゃばりはじめ、連載後半はほとんどがこの先輩が主人公として作品を乗っ取ってしまったような有様を呈した。特に連載末期では作者の吾妻ひでおはこの先輩の“巨根”という特性を使いまくって、下品ギャグマンガとしてこの作品を描いており、ここまでを含めて『ふたりと五人』という作品を定義するなら、ササキバラ氏の言うような“マッチョさの否定”がテーマどころか、露骨な男性原理的作品としてし か読めないはずなのである。

 他にも『やけくそ天使』を美少女マンガの範疇に入れるのはいくらなんでもムリがあるだろうとか(アンタッチャブルな聖処女性を語るなら、阿素湖が唯一自分の色気で落とせない美少年・進也との関係に逆転されたそれを見出すべき)、マンガの中の“萌え”感情をオタクたちのみが発見し発展させた独占物のようにとる視点は果たして正しいのか(発展はともかく、七○年代半ば以降の、はしもとてつじ系の青春マンガ、永田トマト系のエロマンガにおける系譜もたどってみるならば発見についてのオタクたちの先取権は主張できないと思える)とか、この本の穴、いや、ササキバラ氏がたぶん、わかっていてあえて偏光レンズを通して語った故の不自然・不正確な文章 は数え上げるに暇がない。

 しかし、この本の真の価値は、そういった偏向を敢えて厭わず、力技で“マンガ・アニメの中にある萌え”というものの通史を語ってしまった、という、その一事にあると言っていいと思う。現在の現象の中から、あれも萌え、これも萌えと、その要素を取り出して気取ったことを語ってみせる芸当は誰にもできる。その依って来るルーツを、雑駁きわまりないオタク史の中から抽出することで、文化上のムーブメントというものは常に過去との連続性の上に存在し、決して突発的にそこに出現したものではないということを証明するのは、並大抵の作業量(及びそれにかける情熱)で出来るものではない。そして、この方法論をとってのみ、われわれはそこに文化の連続性を見、歴史の連続性を認識して、自分がいま、ここに生きて現代のマンガやアニメを享受している幸福を体感できるはずなのである。今現在の自分の存在を特別なものと思いたがるあまり、現在の作品と過去の作品の断絶をいたずらに言い立て、現代の作品を特化して分析してみせる若手文化人が多い中で、ササキバラ氏のような存在は、 とにかく貴重なのである。

 ……などと考えているうちに体の凝り、やっとほぐれてくる。ここでもう一押し、と公園通りのタントンマッサージに向かう。若い先生が当たってくれて、グイグイと 揉んでくれる。どうにか全身に酸素が回り始める。先生曰くに
「私もこの仕事やって長いですが、その中でもかなり揉みがいのある凝りでした」
 とのこと。 帰宅、雑用雑事。日記の記述の件で青井邦夫氏からご教示、またK子からは東京大会ポスターに誤植があったとの件。『カラサワ猟奇堂』の原稿についてミリオンYさんからチェックが入っているので、その部分を手直し。やはり風邪気味で書いた原稿 というのは、ツナガリに不備が多々、見える。その作業で5時半まで。

 5時半、家を出てタクシーで新宿まで。ロフトプラスワン『くすぐリングスプレゼンツ・くすぐリングスの愛、平和、命! くすぐりは地球を救う!』。私は例によって解説者として参加。佐藤丸美、ぐれいす、ベギラマこと牧沙織ことプリンセスみゆき、カンフーみきなどに挨拶、桟敷席に陣取る。物販を引き受けている開田あやさんも来る。髪の毛をやたら短く、角刈りに近くカットしているので、何か『さぶ』の林 月光のイラストのように見える。

 このくすぐリングスにも、参加してずいぶんと立つ。コアなファンは例によってついているし、アイデアも毎回新しいのを考えているし、熱気も凄いのだが、いささかマンネリズムのケが見えないこともないな、と思っていた。確信的マンネリズムはいいのだが、いわゆるダレが自然と生じたマンネリズムは、こういう寄り合い所帯的な団体の場合、空中分解につながりかねない。プリンセスみゆきにも、ワケあってくすぐリングス興業の主催からははずれたロフトの斎藤さんからも、いろいろ内部事情を聞いていて、実は少し心配していたのである。しかも、今回で妊娠・出産するプリンセスが引退、今日はくすぐり男爵が病欠、レギュラーファイターたちにも何人も故障が出ていて、おまけにアナウンサーの猫戦車マリィさんが風邪で声が出ないというこ と。いったいどうなるか、と緊張する。

 しかしながら、リング上でのことに関する限り、それが今回は非常にいい方に作用したと思う。ファイター全員に、緊張感があった。マリィさんも点滴打って声を出しての参加で、さすがはプロ、と驚いた。私もそれに合わせて、今回はかなり解説、リキを入れたつもりである。少なくともマリィさんやリング上との掛け合いには自分で合格点を出した。春咲小紅、マッドブラバスターLee、ジェーン・マヤ、秘書の小沢くん他のベテラン陣の頑張りに感心、いろいろあってかなりスリムになった宇多まろんのフィギュアみたいな人間離れした魅力も堪能、そしてプリンセスみゆきの、最後の男爵からのビデオメッセージを受けての芝居には爆笑。女優根性、やはりうわの空での修行はムダじゃなかった(うわの空のツチダマさん、おぐりゆかの二人が見物 に来ていた)。

 しかししかし、今回はそれらひっくるめてなお、新人ファイター三人、あんな、ハルウララ、ひろひろ(漫画家の神無月ひろ)の三人がレギュラー陣を上回っての殊勲甲、であった。ホントにこのコがくすぐリングス出ていいのか、と誰もが心配になったであろう幼児系ロリのあんなの、幼女しぐさのエロさ、ハルウララのマゾ系少女ロリのエロさ、そして神無月ひろさんの素人っぽさ爆発のエロ。観客もあきらかに度肝を抜かれたらしく、いつもは大興奮熱気の渦という感じの常連客たちが、ただ口をあんぐり空いて“うわー”と声を発してばかり。宇多まろんとハルウララのレズがらみや神無月ひろとカンフーみきのカメラ対決(お互いに片手にカメラを持って、くすぐるところを撮影仕合いながら戦う)、そして、女王様ジェーンと幼稚園児あんなの、狼にヒヨコを投げ与えるような行為に似て、実は……という意外な展開の面白さ。こんな笑えたくすぐリングスも初めてであった。今回来なかった人、まことにお気の毒さまとしか言いようがない(特に萌え系ロリの人。くすぐリングスと自分は縁がないと思っていたでしょう! どうしてどうして)。しかも、これだけエロくて、終わったあとで聞いて驚いたのは、今回、ポロリが全然なかったこと。見せないでエロ、という、私服警官(終わったあと、入り口のところにホントに来て、警察手帳を見せていろいろ質問していた)真っ青の展開がここまで見事に出来るメンツなのだった。

 終わって打ち上げ。ぐれいすさん、神田森莉さん、佐藤丸美さん、常連のファンの人たちと、新人三人、それにプリンセス、ジェーン、小紅、Lee、それに今回の大道具の拘束椅子を貸し出してくれたプロダクション(?)の女性などで、いつも行く『炙谷』が入っているビルの、『遊邑』という創作和風居酒屋。凝った作り店内で、20分ほど待ってから入れたほどだったが、ここがひどくて、最初に注文した料理がほとんど通っていないことが判明。みんなで空きっ腹を抱えてブーたれる。ひたすらビール飲んで待つハメになった。いくら金曜とはいえ、もう少し責任を持って仕事をしてもらいたいものである。……メシはダメだったが、話はみんなといろいろ出来て盛り上がる。妊娠談義、ストーカー談義など。小紅が睦月影郎さんの大ファンであることも知る。神無月ひろさんは今度ぜひ、チャイナで胎盤を食べたいと言っていた。貰ったギャラを、新人三人の今日の殊勲に対してのご褒美にして、おごってあげた。1時に、やっと最後に文句言って通した寿司だけ食って帰宅。ベッドに潜り込む。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa