裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

金曜日

俺は素子だ!

 大林素子にあこがれてバレーボール選手をめざした少年の物語。朝、6時に目が覚める。昨日の酒が残っているせいか、寝たまま立ちくらみがあって驚いた。スパイ映画によくある、ベッドが回転して、寝ている者を奈落に落っことす装置に乗ったみたいな感覚。メニエールにでもなったかと仰天、しばらくじっとしていたが、一回それが来たきりであとは何ともなし。7時に起きだして風呂を使う。昨日、仕事場の体重計を家に持ち帰り、今日から体重チェック。引越前に比べて3キロも減っているのは嬉しい。やっぱり外食から家での食事中心に切り替えたのが大きいか。これで血圧さえ下がれば万々歳なんであるが。

 朝食、蒸し野菜(キャベツとブロッコリ)。黒豆。外は雨が降りそうで降らなさそうで、非常に気色悪い感じ。少し家を遅く出た。例のバトーおじさんと出会うと、向こうからお辞儀をしてくれた。毎朝出会うので顔なじみの中にカウントしてくれたのだろう。家の前に置いてある4WDの持ち主、と以前この日記に書いたが、そうでは なかった模様。うちのマンションの駐車場に車を置いているらしい。

 地下鉄で新宿まで。大ラッシュ。カバンの中の弁当箱(ポリ製の毎日使い捨てるタイプのもの)がツブされないか、非常に気にかかる。バスはどうもちんたらしているから、また地下鉄通勤に変えようかと思っていたのだが、これはアカン。みんなよくこんな状況で毎日通勤して、文句も言わないものだ。

 仕事場着、メールチェック。コミビアをまず一本片づけ、ついでにネット配信の形式について、WAYAさんに意見ちょっと出す。昨日のDVD監修の件、皆神さんに回すのを向こうも了承してくれたようなので(そもそもスケジュール提示が返信と共にあったが、これがかなりタイトで、引き受けると迷惑が諸所にかかりそうな感じなのでムリであった)、その旨皆神さんにお願いメール。このDVDの発売会社の人、 超高名な某物故作家の本名と一字違い。親族なのだろうか。

 週刊ポストの書評原稿書き出す。ゆうべ、この本に目を通したのだが、題名とテーマから、軽い探訪記事本だと思っていたら、ずいぶんと硬派な感じの取材本だった。従ってどうしても書評もカタくなり、私らしさが出ない。テーマに沿った、笑えるエ ピソードをひとつ付け加えて調子を整える。

 12時半弁当。今日は焼き鳥丼。1時、時間割にて『FRIDAY』Tくんと打ち合わせ。6月2週目くらいから連載開始。ネタのテーマを編集部からお題として毎号出してくれるということで、Tくんはこれを編集部側のわがままなお願い、という感じで言いだすが、これはこっちの方から頼みたいくらいの条件である。連載コラムにおいて(殊に週刊誌連載において)最も苦労するのは毎回のテーマなのだ。一人が選定するテーマはどうしてもある期間続けるとマンネリ化する。そのパターン化回避の責を編集部が背負ってくれるのはこちらにとり、大変に有り難いことなのである。与えられたお題からネタをひねり出すのは、何の苦労もない。伊達に雑文業で二十年近く食っているわけではない。原稿料等の件も、こっちが腹案で持っていた額より、い ささかではあるが高めの提示があった。これも有り難し。

 Winny開発者逮捕、さすがに今回は突っ走る擁護意見の他に、“とは言っても金子氏にも確かに問題はある。と、いうか、ありすぎる。やみくもに京都府警と現行著作権法を非難するのは逆効果しかもたらさないのではないか”という声が、若い人たちからも上がっているようだ。まあ、騒ぎたい人というのはいつの時代もいるし、 それが全く意味がないか、というとそうでもないのではあるが、少なくとも
http://kiri.jblog.org/archives/000691.html
 ↑ここで述べられている、
「金子氏の供述内容は良く分からないので何とも言えないが、昨年暮れにWinnyユーザー逮捕の際に事情を聞かれ、“完全な確信犯で、法律のほうがおかしいと言い張った”そうな。おいおい、つまんないところで突っ張るなよ。ここで折れていれば結果は全然違ったことだろうに。で、さらに面白いのは業界団体が何らかのルートで警察に接触して“彼を立件できないか”と相談したが、このときは警察も、“無理でしょう”と言ったそうだ。ただ、当初思っていたよりも金子氏が“悪質だった”のが全てを決したようだ」
 という情報が正しいとすると、“ダメだこりゃ”としか思えない。だいたい、“今回の逮捕でP2P技術発展が遅れることを京都府警はどう思っているのか”などとイキんでいる人がいるが、そんな大それた問題、一警察組織のあずかり知るところじゃ ないだろう。話の持っていきどころを間違えているのである。

 どこかでこういう物言いを聞いたことがあるな、と思っていたが、そうそう、田中角栄がロッキード疑惑で逮捕され有罪判決が出たときの、小室直樹の“あの裁判官を日本に対する反逆罪で電柱に逆さ吊りにしろ!”という意見がこんな感じであった。カッパ・ビジネス『田中角栄の呪い』の中で小室先生は、角栄逝ってよし(まだそんな言い方はなかったが)の世論の嵐にひとり敢然と立ち向かい、“刑は士大夫にのぼ らず”と言った。
「普通の人間には許されないことでも、とくに大きな働きをする人になら許される」
 このときはさすがにこの意見に賛同する人はあまりいなかったようだが、あれから二十年、進歩主義を標榜する若手文化人にまで、その高説が浸透したようである。慶 賀と言えるだろう。

 上記サイトの、“ここで折れていれば結果は全然違ったことだろうに”というあたりが、まあ世間智的意見の総括といったところか。また思い出したが、大審院判事を務め、法学者、民俗学研究家でもあった尾佐竹猛(1880〜1946)が、若いころ、立ち小便をして巡査にとがめられたとき、“自分は確かに小便はしたが、注意せられたから途中で止めた。つまり未遂犯である。違警罪の未遂犯はこれを罰せずという法律を知らぬか”と逆ねじをくわせたのも空しく20銭の科料をとられ、“なんたる無学の警官連だ、正式裁判の申立をして彼等の蒙を啓いてやらずんばならじ、これは一個人の問題ではなく、法律の権威のためである”と憤って、馬鹿なことを言うなと叔父に一喝された経験をエッセイに書いている。叔父の言うのは、それはそこでお前が折れていれば注意だけで問題にすらならなかったことであり、それ以上を言い立てるのは屁理屈に過ぎぬ、法律はことを荒立てるためにあるのではない、という意味である。昔も今も、世代間の対決というのは似たような形をとるものだな、という感じである。いつの世も、若者と言うのは“謝りたがらない”生き物なのだ。それはそ れで、仕方ない。

 ちなみに、上記のエッセイ、ちょっと検索してみたら、なんとサイト上で読めることがわかった。ネット時代のありがたさよ、という感じである。
http://t-shinya.hp.infoseek.co.jp/Zenka1.txt
 ↑『前科一犯の僕』。言っておくとこの文章はすでに著作権が消滅しており、ネット上に全文掲載されることになんの問題もない。為念。

 夜は今日は母がクラス会で上京した友人達と会食なので、久々に『船山』。五月の献立で、姫さざえ、びわ饅頭、芝エビの黄身酢かけ(米粒のような海老だが、風味は満点)から始まり、カサゴ、鯛等のお造り、空豆饅頭の蒸しもの(鴨肉餡)、マスノスケの塩焼き、天ぷら、浅蜊ごはん。ご主人の書いた人生論ノートなどを見せてもらいつつ、吉乃川のロックをつい過ごしてしまう。家での食事は緊張感がないからすぐ酔っぱらい、あまり飲めないのだが、外で飲むときはだいたい、三割方酒量が増す。K子に『ブラウン神父の秘密』『ポンド氏の逆説』、それにトポールの『カフェ・パニック』等を貸してみる。どういう感想が返るか?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa