裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

月曜日

ヒュマンジ

 ゲームの中に出てきたデブたちが現実世界に現れるという映画。朝6時50分、起床。入浴して朝食、黒豆サラダ、スープ、バナナとイチゴ。弁当受け取り8時15分に家を出る。これまで、目が覚めると、まず自分で“朝は何にしようか”とか“まず何をしないと”と考えていたのがウソのように、新聞片手にテーブルにつきさえすればうまいメシが出てくる。この歳になるとそれが実に有り難いが、若いうちからこういう環境にあると、世の荒波というものがどういうものか、理解できなくなるかも知れぬ。学生時代に親元を一度は離れたことのある奴でないとモノにならん、とよくい われるのもムベなるかな、というほどの気楽さである。

 25分のバスいつもの通り。9時10分仕事場入り。メールチェックと連絡事項をざっと済ませて、『創』対談原稿の赤入れ、関係連絡などなど。その後『漢字天国』連載エッセイにかかる。11時15分、4枚アゲてメール。午前中の仕事としては、 まずまず。

 弁当1時。スキヤキの残りを卵とじにしたもの。果物はゴールデンキウイ。ニュースサイト見る。あれだけ大叩かれしていた小泉訪朝につき、朝日新聞の全国調査によ れば23日時点で、
「金正日総書記との今回の首脳会談を全体として評価する人は67%に達し、内閣支持率は54%で前回調査(今月15、16日)の45%から上昇した」
 とのこと。ちょっと(いや、かなり)仰天する。さすがの小泉も自分の運におぼれて今度はヘマやった、とばかり思っていたのである。強運というよりこうなると神がかりだ。さっそく幻冬舎Nさんから“わからない……”とメールが来た。いや、わからないというよりは、日本の国民のものの考え方が、音を立てて変化している、その現れであると思う。この数日、例のイラク人質事件に端を発する書き下ろし本の、どこに話を持っていって結論づければよいか、その落としどころにちょっとあぐねていたが、これではっきりと、その落としどころが見えてきた気がする。メモをだだだ、 と書き進める。

 2時、東銀座まで出る。目のショボつきがさすがにここ数日、最高潮に達して、肩凝りもそのせいだろうと思え、老眼鏡をこしらえなくてはダメだ、とK子と話して、東銀座の大學眼鏡研究所へ行く。ここは老眼鏡に詳しいと聞いたからである。飛び込んで、眼鏡を作ってほしいんですが、というと、初老の係が、ハイハイという感じで視力を検査してくれる。二、三種類ほどの検査をして、老眼の度合を見てくれるが、
「46じゃまだ老眼には早い。老眼というよりは疲れ目のひどいのですね」
 と言われた。仕事専用の、近い細かいモノを見る眼鏡をあつらえてもらう。

 フレーム選びは別のフロアの女性が担当。会話をポンポン、という感じで進ませる江戸っ子っぽいおばさんで、語尾の“ございます”が“ござんす”に聞こえる。今、かけているのがセルフレームのやつなので、もう一本はメタルのにしようと、小さめでいいのを選ぶが、“あら、お似合いでござんすことねえ。いいわあ”と褒められはしたのだが、しかしこれは近いモノを見る用にはレンズが小さすぎて、あまり適当で はないのだそうだ。
「でも、ホント、似合うんでござんすがねえ……残念だわ」
 ということで、セルフレームの、ちょっと色変わりのものにした。ダンヒル製で、お値段もかなりいい。受取日を決めて出る。

 地下鉄で帰宅。実は家を出るとき、腕時計がいきなり行方不明になった。私は仕事のときは腕時計をはずす(キーボードを打つのに邪魔になるので)習慣がある。いつもは胸ポケットにそれを収めるのだが、今日は出がけに、上着を着て、帽子をかぶって、さて腕時計、と思ったらこれがない。仕事場と玄関あたりをあわてて何度も往復して、机や小物置きの回りを探してみたが、どこにもない。不思議なこともあるもんだ、とあきらめて時計をしないまま出かけた。で、眼鏡を作り、そのまままた地下鉄に乗り込み、ああ、腕時計このまま見つからないと、また買わなきゃいけないのかなあ、眼鏡と時計となると、いい物いりだなあ、と思いながら、頭を帽子の上からボリボリ掻いていたら、いきなり、目の前に、その無くしたと思った腕時計が“出現”した。ポン、と魔法のように、膝の上に出てきたのである。サイババのアポーツ(物質 化)か、と仰天したが、すぐネタがわかって、吹き出した。

 今朝私は、郵便受けから届いた雑誌ゲラを引き出し、目を通しながら仕事場に到着した。いつものように帽子を脱いでテーブルの上に置き、サイフやマンションのキー等、かさばるものをその周辺に置いた。で、腕時計も無意識のうちにいつものように外したが、それをシャツの胸ポケットに入れずに、これも無意識に、逆さに置いた帽子の中に放り込んだのだ。そして、出かけるに際して、帽子を、その中に腕時計があるなどということを忘れて、手に取り、ひょいと頭にかぶってしまい、さてそれから腕時計を意識しはじめ、アレ、どこに行ったのかな、と探し始めたのである。頭の上にそれを乗っけながら、あっちにもないこっちにもないと探し回っていたわけだ。それが、頭をボリボリ掻いたとき、帽子と頭の隙間からストン、と落っこちて、私の膝の上に乗っかり、それが、突如目の前に出現したかのように見えたわけだ。可笑しくて可笑しくて、地下鉄にあまり乗客がいなかったのを幸い、声をたててしばらく笑い どおしだった。

 帰宅してすぐ、雨になる。体が極端にダルくなり、固まったようになったまま、7時まで。7時に家を出て、傘差して渋谷駅へ。K子、母、それに開田夫妻と武蔵小杉『おれんち』へ。もう一人新顔の、私の知らない人がいるので誰かと思ったら、K子の日記にコメントをつけていた“破裂の人形”氏であった。氏は、三省堂の私のトー クも聞きにきていた由。

 武蔵小杉駅でS井さんと合流、雨、さらにしげくなる中を歩く。店に行くとすでにS山さん来ていた。ベルギービールヒューガルテンで乾杯。まもなくI矢くん来、かてて加えて樋口真嗣監督まで、『戦場のローレライ』の撮影が一応終了した、という中休みで訪れるという大所帯になる。樋口監督、“カラサワさん、大友克洋を訴えないんですか”というので、ナンのことか一瞬わからなかったが、すぐ『スチームボーイ』のことだと気がつく。“ありゃ『蒸気王』でしょ、どう見ても”と。まあ、みんな考えつくようなことだろう。

 今日はまず、自家製燻製、川エビの唐揚げにはじまり、エイヒレの天ぷら、白レバ刺し、曲竹の網焼き、お造り盛り合わせ、かつおのなめろう、それから大あなごの白焼きと続く。この大あなごの頭のデカいこと、私の握り拳よりでかい。ソバあり、かつおの手捏ね寿司あり、コハダの押し寿司ありともう、人数が多い分、ドガジャガな頼み方になる。手こね寿司の旨いこと、言語に絶す。酒は一升瓶があっという間に空になり、追加々々。最後はもう、何がなんだかわからなくなる。帰り道で盛大に転んだが、S山さんはもっとわけのわからんことになった、と後で聞く。もっとも、どういう状態に彼がなったのか、こっちも酔っていたのでサッパリ記憶にない。中目黒から母とK子とタクシーで帰る。中目黒が繁華街になったことに母が驚いていたことはなんとかぼんやり覚えている。転んでも泥などズボンについていなかったところを見ると、雨はその時分には止んでいたのであろう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa