裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

水曜日

ハルウララの歩く城

 あの馬、走ってんでなくて歩いてんじゃねえのか、ってそういう問題じゃなくネタが強引すぎますかそうですかそうですねすいません。朝、6時15分起床。はっきりと目が覚めてしまったので所在なく、ネットでメールなど見る。パティオに書き込んだり、来たメールにいろいろ返事など出しているうちに時間たってしまい、食事のベルが鳴る。風呂を入れたが入り損ねた。朝食、キャベツとトマトの炒め物。これが適 度な塩味と酸味で、まことに旨い。食べてから部屋に戻って入浴。

 時間がそれでチグハグになったので、地下鉄で出勤。雨が冷たくそぼ降って、陰気な感じ。仕事場で改めてメールチェック。朝、返事を出したメールにもう返事が来ている。……朝、来ていたのは、旧知の人物からで、“これはファンメールです”と称して、『水の中のベースボール』をかなり辛口に批評していたものだった。私には納得できる内容ではないのはもちろんだが、辛辣であること自体は別に問題ではない。それこそ表現の自由だ。感想や好悪というのは人それぞれだし、ある作品の評価が人と人で180度違うなんてことはよくある。昨日も、2日の打ち上げで会った若い女性の漫画家さんのサイトをのぞいて見たら、映画の感想で、『キルビル2』をクサし『CASSHERN』を“予想以上のできばえとストーリィだったので満足”とベタ褒めしており、題名をとっ違えているんじゃないか? と仰天したくらいだ。だが、それでもそれが彼女の正直な感想であれば、どこにもこっちが文句をつけられる義理はない。彼女と仲良くつきあうには、その映画のことでは話をしなければいいというだけの話だ。今回の『水の中の〜』も、彼が自分のサイトでツマランと書くのは全くの自由だし、それで腹を立てるつもりは毛頭ない。

 とはいえ、私があの公演に関わり、その作品を大リスペクトしていることを知った上で、こういうメールを、ファンを名乗って“私宛てに”送りつけるというのは、かなり穏当に考えても嫌味であり、悪くとると“ケンカ売っているのか”になる。なにしろ私はあの芝居の作者でもなんでもない。自作への批判であれば謙虚に耳を傾けもしようが、友人の作品をどうこう言われても、私にはどうすることも出来ぬのだ。批評の内容も薄っぺらなものであると思えたし、まあ無視するのが最善ではあったのだろうが、この人物というのは、旧知で一時は地方公演のスタッフまで勤めていたとはいえ、これまで私の関わったグループ(ネット上のものからオフのものまで)複数とトラブルを起こしている。最後の騒ぎのときにちょっと注意したところ“唐沢さんは誤解しています”と長々、自分がいかに正しいかという釈明のメールを書いてよこしたので、“正しい正しくないではなく、あなたのそういう言いつのり自体が、周囲を不快にさせていることを言っている。少しつつしみなさい”と返事を出した。そのときはそのまま不承々々ながらも引き下がったようだったが、自分のサイトの日記ではそれからもグジグジと、私の周囲にいる人々の悪口を書き連ねていた。

 ……困るのは、私に関してはなぜか依然好意的で、その悪口のときに、しょっちゅう私を引き合いに出すことだった。別件ではあるが、私の知人の某作家さんが嫌いらしくてよく日記で批判し、そのたびに、“それにひきかえ唐沢俊一さんは”などと書く。私はその作家さんと、思想信条こそ異にするとはいえ大変仲がよいわけで、褒められても全く嬉しくないどころか、大迷惑だった。困ったもんだとは思ったが、それとて個人サイトのことである。いちいち口をはさむのもと思い、放っておいた。そこ に、これである。

 何を言ってもムダな相手ということはわかっているのだが、さすがに個人宛にこういうものをよこすのは、と呆れ、“こういうメールは送られても不快なだけだから、もう送ってこないでください”と返事を朝、しておいたのだ。そしたら、速攻で、長文の言い訳をメールしてきたのである。いや、釈明ではない。“私の行為は正しい、唐沢さんの方がカン違いをしている”という攻撃メールだ。例によって、私の取り巻きたち(と、いうものがいると彼は妄想している)が、ウソを吹き込んで、彼の人格をネジ曲げて伝えている、という話である。読んで、ンなこっちゃない、人格がどうあろうと事実がどうあろうと、それとは関係なく、あんたのモノイイからしつこさから、全部が不快なんだ、とキレかかる。“メールの内容が気に入らなければ、「またこんなバカなことを書きやがって」と笑って見過ごせばいい”とか書いている。他人に勝手に送りつけたメールの読み方まで指示することが、どれほど失礼かもわかって いない。

 人間の、人間に対する好悪を分けるのは正しさとかではなく、態度とものの言い方である、と、このあいだイラク人質事件に関して書いたことを、思えばそれよりずっと前に、私は彼へのメールで書いていたのだった。我ながら進歩のないことである。およそ人間の態度として、日本人に最もウザがられるのは、己の正しさへの言いつのりである。彼は自分のサイトで、映画や芝居の感想をよく書いているようだが、人情の機微というものがここまでわからぬ人間が、人間関係を描くことを主体とする“ドラマ”というものを、正しく理解できるのだろうか。不思議な気がする。

 おそらく彼には本当に悪意はなく、彼なりの正義感倫理観で行動している。ただ、その正義なり倫理なりというものが、私や、以前彼が加わっていたグループの人々の正義や倫理と完全にカミ合わなかったのだ。コンラート・ローレンツの、クジャクとシチメンチョウの話みたいなもんである。ただ、人間は鳥と違い、何回かの食い違いを体験したあと、“あ、この人と自分は、ものに対する思考の論理が違うのだな”ということを学習し、対応を変えるか、またはその集団から身を引く。彼はそういう学習をしようとせず、ひたすら、自分の基準のみを相手に押しつけようと繰り返している。こういう相手には、もう何を言ってもムダである。私に出来ることはただ一つ。 彼のメールアドレスを受信拒否にすることだけである。

 弁当早めに使い(本日のお菜は鶏と大根の煮物)、進行表を本日の下見メンバーの人数分、コピーし、ページ順にまとめる。座敷の真ん中に座り込んで、せっせとそういう作業に熱中しているうちに、朝からの不快も解消。同人誌製作もこのごろはすっかり印刷屋に原稿をデータで送付というような、プロの仕事と大差ないものになってしまった。ヤマトファンクラブの同人誌を作っていた時分のことを思い出す。ただしあの当時は何百部そういう作業をやろうと元気ハツラツだった。今はたった20部程 度作る作業をやっただけで、腰が痛くなる。

 さて、と出来たものをチェックしたら、時間表記にいくつものミスがあることを発見、あちゃあとなる。去年の会で作ったものをベースにして改稿したものが元稿なのだが、内容の方に意識がいって、時間の変更をするのを忘れていた。まあ、今日のこれは参考資料で、本番用は当日作るわけなので、いいや、と、そのまま家を出る。雨は幸い上がって、曇り空ではあるがさわやか。

 コピーに案外時間かかって、電車では間に合わないのでタクシーで九段下へ。降りたところでちょうどやってきた声ちゃんと会う。久しぶりだが、変わらない様子。新作DVD『変躰ランド』貰う。“今日ハK子先生ハイラッシャルンデスカア”と訊いてくる。うちのK子は声ちゃんに会うたびにハダカ商売の変なしゃべり方のとつっついていじめるのだが、声ちゃんはそうやっていじられるのが大好きらしい。つくづく 変わった子である。

 千代田公会堂、言ったらなんと会場の入り口が休日で閉ざされている。あれれ、ととまどったが、すぐ裏口からIPPANさんが出てきて、すでに他のメンバーは上の会場に行っているという。後続で来たS井さんや気楽院さんたちと、エレベーターで上がる。K子、藤倉さん、本郷ゆき緒さん、片瀬くん、イットリウムさん、太田出版Hさんなどにさっそく進行表を手渡す。もちろん、会場の係の人にも。この進行表作りはオノプロダクション当時に自分で会の状態を把握するために考えて、毎回落語会などのプロデュースのたびに作成していたものだが、前回の日暮里での大会のとき、会場の係の人にかなり好評だった。単なる式次第ではなく、音響・照明の手順も書いてあるからである。本郷さんと、ホール楽屋口廊下からの、お堀に面した窓からの眺めを絶賛。さすが九段、という感じである。K子は案の定声ちゃんに“こんなこともわからないの? バーカバーカ”とか言って、声ちゃんはキキキと奇声を上げてヨロ コんでいた。なんなんだか。

 全員に舞台上に上がってもらい、声ちゃんはじめ出演者に当日のカンをつかんでもらう。さらに警備や物販のスタッフに、会場の出入り口などを実見してもらう。開田さん夫妻も来たので、壇上進行についてさらに詳しく。記録係の開田さんは、カメラ位置を詳しく確認していた。真打ちで最後に来場した植木さんとは、客席後方から見たときのプロジェクターの投影位置について。I矢さんは劇場係の人と長いこと、照明と音響の件で話し合っていた。プロジェクター担当のT橋氏とK川氏も、コードの長さにいたるまでいろいろ算段。S井さんは例によってメジャー持参で舞台と客席の距離などを測っている。……こういう風に書くと何やらプロ集団の会場下見のように思えるだろうが、そこはと学会。必要確認事項の合間々々に雑談がどんどん飛び出てきて、それで時間がかなりかかる。太田のHさんとは壇上で“評論評論本”(各分野で信頼できる評論家とそうでない評論家の採点をするような本)を作ったらいいので はないか、というようなノンキな雑談を、私もしていたのである。

 そこから九段会館の下の喫茶兼食堂で、いま一度打ち合わせ。打ち合わせ後はすぐ新大久保に移動し、『ハンニバル』で鳩を食うことになっている。つまり、これから四十分後にはもう食事なのである。それなのに、“ケーキセット”とか注文する人がいる。それも複数というか、ほとんどのメンツである。大の大人、それも東大出身であったり日本の防衛機構に関わる仕事していたりという人たちが、ケーキセットで先にモンブランをとられたとかどうだとかでワーワーわめいている図を見て呆然という か何というか。

 まず、今日のチェックポイントのみはどうにかクリアして、そこから地下鉄東西線と総武線乗り継いで新大久保へ。途中、これから新潟へ帰省するというS氏と地下鉄入り口で別れる。“あれ、東京駅じゃないんですか?”と聞くと、“ええ、せっかくですから歩けるところまで歩いていきます”と、池袋まで行くみたいに気軽に言われて仰天する。S氏は南極探検隊にも参加した人なので、新潟あたりは遠いうちに入ら ないのでは、などとみんなで話する。

 新大久保『ハンニバル』、総勢20人に二人増えて22人。さすがに増えた面子には鳩は当たらず、チキンとなるが、それにしても凄い。K子が席を強制的にどんどん決めて座らせていた。後から談之助さん夫妻が参加。人数みてさすがに驚いて、“これだけの人数で下見したんですか?”と呆れられる。確かに、下見なんてのは責任者のみが一回行けばそれで後は何とかなるものなのだが、しかし、みんなが求めているのは、“会をあげてイベントを形作る”という儀式みたいなものなのだろう。開田さんが無闇にこないだのうわの空一座を羨ましがっていたが、私もそれがよくわかる。個人のアイデンティティが特権化される時代であればこそ、逆に人はどこか帰属でき る集団を求めたがるのである(などと急に話がカタくなりますが)。

 両脇が声ちゃんとK川さん、正面に植木さん、その隣がHさんという面子。植木さんと私の間でダジャレ対抗戦みたいな様相を呈し、周囲の人が呆れていた。植木さんの“南総里見フェッセンデン”てのはいい。Hさんから地口と駄洒落の区別ということを訊かれたので、地口というのは基本的に、元ネタを類字音で変換して出来上がったもの自体に別の意味が付け合わせられなくてはいけない、というルールがある、と説明。“与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)”が“酔わぬ酒鰻の横串”になる、というのが地口であり、気楽院さんが今日の下見にかけて口走った、“若奥様の生下見”というのがダジャレ、なのである。地口真嗣というのもネタは地口だがダジャレ。それから先もなにか出てきた事物関連して、必ず二つや三つのダジャレが飛ぶ。ダジャレが出る前に、一瞬、頭の中のダジャレ辞書を検索する“間”があくの がおかしいと、声ちゃんが笑っていた。

 Hさんと植木さん、私の朝日新聞連載のピンホールコラムを絶賛してくれる。忝なし。要は、いささか現在においてはクラシックな型のエッセイを意識して書いているということなのだが、お二方によれば、それがかえって希少価値を生んでいるとのこと。確かに、最近コラムらしいコラム、エッセイらしいエッセイを読んでいない。まさに阿川弘之『葭の髄から』くらいしか、そういうものがないのかも知れない。ただ植木さんから、先日のエッセイ、柳家蝠丸という名前にルビがふってなかった、と指摘される。あ、それではオチのハエ丸さんがわからないか(そう、ラジオのアナウンサーに誤読されたという話なのである)。あと、某作家さんの勇気ある発言について(と言っても反戦とかでなく、自分がロリコンだ、と宣言したという話なのだが、これはこの状況下においては『ケンタッキー・フライド・ムービー』の『勇気ある男』ネタくらいの蛮勇かも)とか、リアルとリアリティの違いとか。私の話は後半になるにしたがい、ワインの酔いが回ってなんだかあっちゃこっちゃに飛びすぎていた感がある。モンデールの奥さんが、私をテレビで見ましたあ、と嬉しそうに言う。知り合いがテレビに出ている、というのは非日常体験なのである。

 いつもはここのコースは冷製サラダにアラブ風ギョウザ、それからメインとなるのだが、今日は最初こそツナのサラダから始まったが次が塩ダラらしい魚の串焼きに豆のソースのかかったものという、珍しい料理。植木さんも私も初めてなので名前がわからず、モンデールに訊いたが、何やらフランス語で言われて、さっぱり覚えられない。さて、その後がいよいよ鳩。なんと一人一羽、丸焼きが出た。ソースが身の下に敷かれているが、これはきわめてあっさりしたもので、鳩自体がなにか先にマリネされていたと見え、よく焼かれているにもかかわらずジューシィで、肉に何とも言えぬ風味が染み渡っている。しかも、ナイフで切り分けていくと、腹の中にはまるまるとした肝臓がそのまま残されてホクホク湯気を立てているのだ。最初は上品にナイフとフォークを使っていたのだが、途中でそんなものは放棄して、両手で足だの手羽だの を引きちぎり、むしゃぶりつく。至福の境地である。

 その後のクスクスもうまく、デザートの後はナツメヤシのスピリッツを、植木さんとおかわりまでしてしまった。ふはーっ、と溜息。こういう優雅な食事をとりつつ見ていたのが、某氏提供の“鳩山×菅”やおい本、というのだからどうにも。大型連休も今日で終わり。その最後を飾るにふさわしい美食であったが、フリーの身で休みも何もないにもかかわらず、“もうGWも終わりか”と、ちと寂しい気分になる。みんなで恒例の写真撮影、談之助さんに前週祭のチラシの件をお願いして、総武線・地下鉄線乗り継いで帰宅。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa