裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

月曜日

暮れナチズム街の光と影の中

 さりゆく総統へ送る言葉。朝、雑々とした夢を見て目が覚める。寝床で例により、『守貞謾稿』。駕籠の起源のひとつとして、太閤秀吉が大陰嚢であったため馬に乗れず、それで考案した乗り物、という説があるということを紹介していた。7時10分起床、入浴。体重計ったら2キロ増えていた。外食、ことに『バル・エンリケ』での飽食が原因であろう。まさに三歩進んで二歩下がる、という歌の文句そのまま。

 7時半、朝食、ゆうべ家に泊まったナミ子姉と一緒。サニーレタスとミニトマトのサラダ、ソラマメ。ブロッコリのスープ。ズボン、シャツなどをクリーニングに出すよう託して、8時15分に家を出る。25分のバス、月曜のことで込む。いつもなら55分あたりに八幡下あたりに行っていなくてはならないのに、まだ幡ヶ谷。結局、 15分遅れで仕事場着。

 SFマガジン原稿にかかる。10枚。朝まで、ということだったが朝にはさすがに完成せず、12時過ぎまでかかってしまった。図版キャプ、近況含めてメール。今回は梅雨の先走りのせいで体調(テンション)不良で、迷惑をS澤編集長にはおかけし た。申し訳なし。

 ネット検索していたら引っかかった山本夜羽音氏(漫画家)のサイトで、例のイラクの人質事件について言及されており、“僕は「ジサクジエーン」とお祭りをやった連中を土下座しようと許さない”と語られていた。5月13日の記である。
http://d.hatena.ne.jp/johanne/
 それらは“無根拠な中傷を煽った”行為であるからということであるらしい。私はあれが自作自演であるという可能性はまあ、あり得ないだろうと『社会派くん』でも発言しているが、しかしこれこそ印象批評(そんな大それたことができそうなタマではあの三人はなさそうだ、という)であり、実際のところ、これが狂言ではないかといわれた原因の、ビデオに見られるいくつかの不可解なポイントについて、あの三人はいまだ会見で明らかにしていないままの状況(“イッテ、イッテ”に関しては郡山氏の説明はかえって疑念を深めるだけだった)なのである。そもそも、たとえこれがまったくの濡れ衣容疑であったとして、なぜ自作自演と発言した者が、疑いをかけたあの三人にならともかく、山本氏の前で土下座をしなければいけないのかという疑問も当然あるのだが、それは措くとして、自作自演疑惑が聞かれなくなったのはあの三人への疑いが晴れたからではなく、彼ら三人がマスコミにほとんど露出しなくなったため、その後の情報が入らなくなったために他ならない。いまだ、多くの人(中には元・左翼の活動家などもいる)から、あのビデオの疑問点を指摘している声は出続け ているのだ。

 本来ならば、彼ら三人の潔白を信じる者からこそ、この際その自作自演疑惑をきちんと解明し、国民の前でその疑いを晴らすべきだ、という主張が出てしかるべきはずなのに、彼らにシンパシーを持つ人たちのほとんどが、すでにこの件において、触れることすら許さない、という風潮を作ってしまっているのは、あの三人のためにもよくないだろう。それこそ、“ドサクサにまぎれてうまくごまかしてしまったが、絶対狂言だったに違いない”“調べられるとヤバいから、触れてもいけないという態度をとっているんだ”などという、無言の思いこみを増幅させるだけだと思うのだ。山本氏は、彼らが解放されていない、つまり、まだ情報が否定も肯定もほとんど入っていない状態のうちから、
「あと、これだけは言っておきます。“ジサクジエーン”という主張だけは、俺の前で披瀝した瞬間にグーパンチが飛ぶので覚悟してブってください」
(4月13日の記)と、相手の発言を暴力で封じるようなことを平然と書き込んでいる。己の信ずる思想信条には、疑念の表明すら許さないという考え方のなんと横暴なことか。こういうことを言う人が、国家権力の非道をいくら指弾したところで説得力を持つはずもない。

 1時、弁当。ウナギの煮物と卵焼き。キューリ粕漬け。ウナギとろけるように柔らかくて旨し。左の上奥歯、歯茎が腫れたような感じで噛むと痛む。もっとも、夕方には治っていたが。ネット日記チェック続ける。SFマガジンS澤編集長に、今後の連 載のことにつきメールする。

 いろいろと書き下ろし本の件でメモ。アイデンティティ問題につき、ギリシア悲劇なるものをどうしても一見しておかないといけないな、と思いつつ、かといって、見たいと思ってすぐ見られるもんでもないしなあ、とあぐねていて、ふと、そうだ、今日からシアターコクーン(仕事場から歩いて5分)で野村萬斎の『オイディプス王』をやるんじゃないか? と気がついた。急いで文化村へ行き、チケット売り場で、まだ空席はあるでしょうか、と訊ねたが、なんと、あの750席あるシアターコクーンの、しかも6月13日まで一ヶ月近くある長期公演で、前売り券完売。当日券は何十席か出すが、人気公演のために二時間くらい前には並んでもらわないといけない、と聞いて呆れる。諦めて帰ろうとしたら、隣のグッズ売り場に、前回公演のビデオが並んでいる。そうだそうだ、ビデオという手があったわい、と喜んで、さっそく買い込む。この公演、ポスターなどをずっと渋谷駅で目にしていたし、萬斎も麻美れいも好きな役者であるのに、観てみようかという気が起きなかったのは、最近の蜷川演出というものが、どうも何か胡散臭く思えてきている(『マクベス』も初演時から再演のたびにどんどん、変な色がついたものになっているし、出演した山本竜二や、実際に観た快楽亭の感想も否定的なものである)からであった。ちょうど、今の宮崎駿に通じる、世界的名声を得た日本人特有のうさんくささが匂うのである。資料として用いるなら、わざわざ観にいくよりはビデオの方が手取り早い。資料と割り切れば演出の 方は我慢できよう。

 渋谷の街は暑さといい湿気といい、まるで七月末のような感じ。汗びっしょりになり、仕事場で素っ裸になって、押し入れの中のシャツなどを引っ張り出し、乾くまで それを羽織って仕事。一人だけの職場の気楽さである。

 5時40分、家を出て新宿へ。久しぶりにサウナ&マッサージ。タントンの方は、キツいだけに、痛みを感じるほどの凝りのときはいいが、全身の倦怠にはこっちの方がよろし。サウナの脱衣場に行ってみると、中には一人先客がある模様。摺りガラスのドアの向こうに見える人影は、かなりのいいお歳らしいおじさんだが、なにかご機嫌で歌を歌っている。それが、素人が鼻歌で歌う、というようなシロモノでなく、かなりいい声質の、甘い歌声。どこかで聞いた曲だが、と耳をすますと『黒い瞳』ではないか。コンチネンタル・タンゴである。まさかこんなトコロで、こんな名唱を聞けるとは思わなかった。服を脱ぎ、歌声のとぎれたあたりで浴場に入ると、そのお爺さん、水風呂につかって、盛大にバシャバシャやっていた。こういう子供ぽさをこの歳になって残しているのも、やはり芸術家だからだろうか。目と目があったら、さすがにちょっと恥ずかしげな顔をしていた。

 久しぶりのサウナで水代謝を賦活させ、マッサージ。タントンに比べると、触っているのかいないのか、というくらいの柔らかい揉み方だったが、いい気分でしばしまどろんでしまった。終わって、地下鉄で帰宅。杉山公園の交差点で、K子と一緒になる。帰宅して、夕食、8時50分。ワカメとトコロテンの酢の物、豚と椎茸の塩焼、鯛の切り身の塩焼き。テレビの映りが朝から悪い。マンションの共有アンテナのせいだと思う。ニュースで小沢一郎が年金未納期間発覚、今日にも予定していた民主党代表就任を辞退のニュース。こりゃ、要するにこの人、代表になりたくなかったってだけなんじゃないか。今代表を引き受けたって、今の流れでは自民党に惨敗するのは目に見えていて、その責任をひっかぶりたくない、というだけのように見える。DVDで『アタックNO.1』。今日は第8回『秘球木の葉落とし』。この当時の必殺技には風流な感じのネーミングのなされたものが多い。山田風太郎の忍法などからの影響もあるだろう。

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