裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

日曜日

お帰りの際は吉本に気をつけて

 いきなり“パチパチパンチ!”とか“かい〜の”とか言いながら迫ってきます。朝6時45分起床、入浴。7時半、朝食。北海道の旅番組で、脱皮前と脱皮後のカニの違いを説明していた。昔、よく軽トラでアヤシゲな兄ちゃんがカニを安売していて、仙台にいた時分、買ったら“いいお兄さんだなあ、オレ、兄さんのこと大好きだからまけるよ”とか言って三バイも買わされて、結局、食べてみたらミソなどほとんどないスカスカのカニだったことがあった。この、ミソの詰まったカニとそうでないカニの差は何なのか、と、中島らももエッセイに確か書いていたが、脱皮前か後かの違い だったのだな。

 30日に俳優、小鹿番氏死去。その名の通り小柄な体躯を十二分に活かした役者さんだったが、名付け親が倉本聰で、“子鹿のバンビ”から、というのはどういう連想か。どう見てもバンビというイメージではない。“江戸っ子は華奢で小柄が身上”と以前この日記に書いたが、この小鹿氏こそまさに“江戸っ子”の体型、キャラクターであった(浅草出身、正真正銘の江戸っ子)。もっとも、決して伝法だったり鯔背であったりするのではない、小市民的軽薄さを持つ江戸っ子であって、そういう役をや らせれば、右に出る役者はいなかった、と言っていい。

 私がこの人の名前を覚えたのは74年のNHK大河ドラマ『勝海舟』の中の、三公という長屋の住人役で、この作品、主要キャストにあてられた尾上松禄や岩井半四郎など歌舞伎畑の人たちがもっさりしていて江戸っ子という感じではなく、むしろその周囲の古今亭志ん朝やこの小鹿番が、江戸らしさを体現していた。俳優、ことに脇役俳優は演出家や脚本家にかわいがられることが、出世のひとつのきっかけになるが、彼の場合、役者人生の前半が菊田一夫、後半が倉本聰という大物の庇護者に恵まれたことが何よりの幸運だったろう。その、庇護者の切替わりの境目にあったのが、出演中に菊田一夫の死に会った上記の『勝海舟』で、この脚本家(もっとも途中で降板)が倉本聰。菊田生前の小鹿敦という名前(本名)が、放映途中で小鹿番に改名されたことを、中学三年だった私はありありと記憶に残している。とは言え、菊田の恩を忘れたわけではなく、師である菊田一夫役を、森光子主演の舞台『放浪記』で長年演じ続けたのは、役者にとりなによりの恩返しであったろう。とにかく大好きな俳優さんで、『コンドールマン』なんていう変身ものにも律儀につきあい、いつも通りの小市民を見事に演じていたのに大喜びしていたものだ。まだまだ活躍してほしかった人で あった。黙祷。

 8時39分のバスで仕事場へ。思ったほど道、空いておらず。仕事場ではひたすら太田出版再校ゲラ入れ。弁当(豚肉の焼いたの)食べて、さらに続ける。再校なので字句の間違い以外はあまり手を入れないのが本来なのだが、一本、どうしてもアチコチ手を入れたい原稿があり、そこの件で大いに頭をヒネる。その他にも、『フィギュア王』原稿チェック、コミビア原作など、仕事多し。ビックサイトでの岩田次夫氏を偲ぶ会は花を贈ったのみで失礼させていただく。だいたい、個人の遺影の前で手をあわせて……というのは苦手なのだ。モゲさんの時も花のみで失礼させてもらった。想 いはそれぞれが胸の中ではぐくめばよろしい。

 島敏光さんから来信。先日の著書を日記で取り上げたことへの御礼だった。“親父が『魔犬ライナー』なんてアニメの主題歌を歌っていること、唐沢さんの日記で初めて知りました”と。他にも、旧知の人から数通。“(人質事件の件、日記で)よくぞ言ってくださいました!”と書いてあるものが二通もあって驚く。どちらも、主義思想としては反・アメリカの人から。なるほど、こういう人たちも(こういう人たちで あればなお)、苦々しい思いを彼らに抱いていたのか、と納得した。

 1時半、新宿までタクシー。今日も歩行者天国で、目的地の途中で降ろされる。これも腹立たしいことである。紀伊國屋ホール、うわの空『水の中のベースボール』ラク日である。受付に例により挨拶して入ると、ロビーの中に、開場待ちのお客さんがずらりと並んでいる。うわ、と驚き、継いで、じーん、と感動で目頭が熱くなる。製作監修の海谷さんがやってきて、しばらくロビーの椅子で話す。
「凄いですねえ、この行列」
「よくやりましたよ、これだけのスタッフの少なさと劇団の規模で」
「失礼だけど正直な話、これだけ詰めかけるとは思いませんでした」
「それは劇団のみんなもじゃないかな。北海道から来た人とか、名古屋で観たあと、東京公演の観客動員の足しになれば、と、GW利用して上京してまた足を運んでくれた人もいるみたいです。年齢層も幅広くてねえ」
「昨日観たけど、最初のとまどいがどんどん後半に向かってよくなって。役者さんたちの演技も、やっと紀伊國屋のハコに慣れたみたいですね」
「ここの劇団はほんとうに全員のつながりが深くて、一人の調子がみんなに感染するんです。今回はいい方にいってるんじゃないですか。『ロマンティックエイジ』の初日なんかは、はっきり言って最悪のパターンだったんですけれど……」
 などと話していると、小栗由加が楽屋から出てきて、私の方にかけより、ニヤニヤしながら耳元でなにかささやく。ナニカ色っぽいようなことかと思えば、“……お早うゴザイマス”と。

 開田さんたちも来て、立ち話で『キャシャーン』のこと、こないだの『セクシー寄席』のことなど。開田夫妻はそれぞれのお母さんを今日は連れてきているという。このあいだの母親の上京のときは、“寄席に行きたい”というので快楽亭の落語を聞かせて怒られたそうなので、“これだったら大丈夫だから”とのこと。あと、私の顔を 観て会釈していくのは、私のサイトの告知を見て来てくれた人たちか。感謝。

 席、昨日は真ん中に座って“客”として見たが、今日はずっと奥の方で、客の反応や、全体の雰囲気を見ようという、“評論家”の立場に立つ。客が次々に入ってくるので、開演が十分ほどオシているようだが、これも頼もしい。小川和孝くんと八幡薫さんの二人が場内整理スタッフをやっている。ゼイタクというか、もったいないとい うか。

 客が入れば舞台上の役者たちの実力というのは普段の3倍増しくらいになる。と、いうより、客の感性が3倍増しになる。どんな演出、どんな演技力より、舞台に必要なのは客の入りなのである。それを如実に感じる。補助椅子が出ることを期待したが残念ながらそこまではいかず。とはいえ、418席の紀伊國屋ホールを、ギリギリ満杯までにして。凄い。この入りに応えて、役者陣は絶好調。今日は昨日ちょっとハラハラしたすべりもなく、冒頭の高橋奈緒美のボケから、尾針恵、宮垣雄樹のボケ、キクチマコトと三橋俊一のからみなど、全部がきちんとかみあって舞台が回っていく。演劇を見ている快感が伝わってくる。お客さんの笑いも、感情の動きもヒシヒシと、こちらに感じられる。隣に座った女の子のすすり泣きに、ハンカチを貸してあげたくなってしまう。この日記の読者には、なんで私が人の劇団にここまで感情移入するかと不思議がる人もいるだろうが、私の、今の私に到る道は、札幌から上京したその初日に、下宿の歓迎会の誘いも断って、この紀伊國屋ホールにアニドウの上映会を見にいったことから始まった。いま、同じ紀伊國屋ホールで人生の大きな転機を迎えようとしている人たちが、他人にとっても思えないんである。

 2時間の舞台があっという間に終わったような気がした。終わったとたん、斜め後ろの席にいた海谷さんと顔を見合わせて、“ウン!”とうなづく。終演後の三本締めの心地よさ。スタッフのみなさん、役者のみなさん、本当に御苦労様、おめでとう。以下、せっかく“批評家”の眼で見たのだから(それでもファンとしてウルウル見てたのでグダグダだけれども)、それぞれの役柄で記憶に残った点を記しておく。別に参考にしてもらおうとか、そういう差し出がましいことではない、私自身の観劇メモだが。

・村木藤志郎:ウルトラにマイペースで自信家でわがままなこの人(座長なんかそうでなければつとまらない)が、人生に自信をなくして僻んでいる役を演じるという、“自分で自分に課したミス・キャスト”がたまらなく可笑しいが、後半、いきなり自信を回復したあたりから芝居がもうノン・ストップでラストまで驀進するところがいかにもこの劇団だ。ただ、ストーリィのまとめ役と、ギャグでそれをぶちこわしていく役の両方を演じるのは忙しすぎるのでは。まとめ・進行は誰かに丸投げしてしまっ てもいいと思う。

・高橋奈緒美:もとクラスの委員長という役が実にピタリの適役、尾針恵のニセ履歴書を全然疑わない、のほほんとした天然ボケもますますさえ渡っているが、『ラストシーン』の大女優役や、コントライブのユーミン役で見せる、ブチ切れた演技も見たかったところ。メガネとタケちゃんの結婚祝いを仕切るわけだから、彼女にもう少し“すべてを見通してみんなを誘導する”祭司的な役割を負わせれば、舞台にもっとまとまりが生まれてきたのではないか、と思う。案外、うわの空でこのところ一番もっ たいなく使われている女優さんかも知れない。

・尾針恵:ウサギがあんなに似合って、しかも“宮路オサムさんみたいな歌手になりたいんです!”という十五歳の少女役はそれだけでみんな応援したくなる。一見小さい役なのだが、彼女の存在が、他の客たちの正体(というか過去)があかされるきっかけになる、重要な役であった。ただ、その対比の設定があまり活かされてなかった感があるのがちょっと残念。歌手志望なのだから、出てくるときや掃除しているときには必ず歌を口ずさんでいたり、三橋俊一の流しの歌に唱和したり、また、三十五となぜか繰り返して、不自然に年齢をごまかしている、という伏線をちょっと前半でしつこく振っておけば、実は家出少女だったという事実の判明、そしてそれと対比され て語られるみんなの過去の話が、よりドラマティックになったんじゃないか。

・宮垣雄樹:ベトナム人で名前がドク、っていうのはちょっとブラック。“ベトはどこ行ったの?”というツッコミが入ると思ったら出てこなかったのは、会場に遠慮して、だろうか。“ワタシ、ダレモ信ジナイカモシレナイガ、実ハ日本人ジャナイヨ”というオマヌケなセリフ、爆笑。酔っぱらいに、酔いのすぐ覚めるアヤシゲな民間薬を与えるギャグ、いいギャグなのにいまいちインパクトがなかったようなのが残念。これも、調理場でなにかアヤシゲな素材でいつも突き出しとかを作っている、という ような仕込みがひとつ、欲しかった。

・キクチマコト:打ち上げで何度か席をご一緒させていただいたが、実に実に物静かな人である。そのキャラクターを明らかに反映させて作られたのであろう今回の役柄は、影が薄すぎて名前すら昔の友人からも覚えてもらえないという設定が、逆に濃すぎる登場人物の中でネガみたいに目立っていた。最後のメンバー発表のギャグもオイ シイし。

・水科孝之:プロの役者にまざって、本業が漫画家の素人が、どうしてこんなに横並びの存在感を持ってしまうんだろうといつも感心(というより不思議)。でも、正直前回まではその存在感だけで貢献していたのが、今回、ちゃんと芝居もやって、それが決まっていたのに驚いた(発声とかはまだまだだが、なにしろ素人だよ、それでこれですよ)。正体を明かしてからが徹底したいじられ役で、周囲のいじり方がまたうまいのだろうが、それをちゃんと受けて、役に徹していたのが実に偉いというか御苦労様というか。

・小口泰司:この人も『非常怪談』で、純真で、あたりをさまようアヤシゲなものの正体をちゃんとわかって、でもそれを受け入れてしまう素直な少年の役を見事に演じていた。今回も、他の人が気づかないうちに、キャプテンや、イダテンの正体をきちんと見抜いてしまう純真さを持つ役。舞台役者というのはたいてい、一癖ありげなヤツがなろうと思うものので、この人みたいに、純真な若者の役が似合う人はとても貴 重だと思う。

・三橋俊一:バリバリに異物感を持って登場する謎のギター弾き。誰なのかと思っていたら、うわの空藤志郎一座がまだそう名乗っていなかった時代の、初代座長なのだそうな。今回は唯一、ストーリィの本筋と関係ない役柄で、出てきて笑いだけ勝手にとって去っていくのだが、彼だけが、誰からも名前を覚えられないキクチマコトの9 番レフトを、田中くんと本名で呼ぶというさりげないギャグがいい。

・谷口有:昨日も書いたが、今回の演技賞もの。軽さの中にきちっと芯がある演技が出来る人である。回転焼きという名前を巡ってのギャグも、大したことはないのにこの人が受け答えをすると面白くなる。関西弁の強さというのは凄い。

・小栗由加:なんと実年齢よりずっと上の主婦の役。元・マネージャーという役で、とりたててエピソード的なものは紹介されないのにそういう雰囲気が自然に生まれてしまうのは、劇団の中のムードメーカー、という役割をいつも果たしているのがそのまま舞台上に反映されているからだろう。“え、あの人がメガネ? じゃあの人をかけちゃうの?”というボケも、他の人がやったらムリなギャグなんだが、この子が言うとキチンと成立しちゃうのである。そこまで言いそうなキャラなのである。つくづ く、得な人である。

・あおきけいこ:実は性転換した男、という役を、とりたてて大柄なわけでなく、男ぽくもない人なのに、ちゃんとそのキャラクターを成り立たせてしまう演技力。こういう役はいくらでも悪濃く演じられるのだが、逆に彼女が極力抑えて演じているために、非常にリアリティある設定になった。抑えているからこそ、告白のシーンの“オレに力をくれ〜”とか、“アルファベットでSHINJOH!”のブチ切れぶりが光るのである。

・小林三十朗:打ち上げのとき、2日目マチネの空回りのことを話したら、あのときは本当に、自分でもどうしちゃったのだろうと思うくらい、リズムが狂ってしまったのだとか。小栗由加が袖に入ったとき、“すいません、今日、なにか全然芝居がヘンで……”と言いかけたのを遮って、“いや、オマエのせいじゃない。それはオレのせいなんだ!”と言ったとか。これだけ達者で、うわの空では唯一座長の芝居を正面から受け止められる人でも、時にそういうことがあるのが舞台の怖さである。とはいえ自分の不調がちゃんとわかるのは実力のある証拠で、楽日の芝居はそれを補ってあまりある熱演だったのは言うまでもなし。欲を言えば、“潔癖性”という設定を最後に 一回くらい、活かしてほしかったが……。

・島優子:今回はいつもの“とまどいツッコミ”を半分くらい谷口有に譲った感があるのが役柄上仕方ないとはいえ、残念。最近はあれが楽しみでうわの空を観にいっているといっても過言でないのだ。とはいえ、職業がウグイス嬢と名乗ったときの、周囲とのやりとりで“ああ、あのホーホケキョ、っていう漫才の”“いえ、それのりおさんです”“ツクツクボーシとか”“のりおさんですね”“オコッタゾー、っていうの”“のりおさんですよ”“おさむちゃんじゃないか!”という、一ひねりしたバージョンのやつを聞けたのが嬉しい。泣かせのシーンを、ほほえみながら演じられる力に瞠目。

・ティーチャ佐川真:本職が野球部の先生だった人を野球部の話に使って、こういう使い方をするアイデアに脱帽。本人もこう使われるとは思ってもいなかったろう。最初にこの人が『一秒だけモノクローム』に出てきたとき、私は“存在感より異物感”と表現して、ご本人も異物と言われるとはと驚いたらしいが、それでもその意味は深く受け止めてくれたらしい。今回も、最後まで“どう考えても納得できない”キャラを、独自のキャラで演じてくれていた。もはや異物感でなく存在感かも。

・宇賀神明広:一番(いや、唯一、か?)“北海道の僻地出身”に見えた。いや、ホントウにあちらの自衛官っていうのはこういう感じの兄ちゃんばかりなのである。リアリティ担当、という役回りか? “べや”“べさ”を非常にうまく使っていたが、 出来れば“なしてさあ”“するってかい”なども使ってほしかった。

 その他スタッフのツチダマさん、山森さん、製作の牧ちゃん、橋田さん、照明の人も会場係の人も、みんなみんな、本当にお疲れさま、成功おめでとう、と言いたい。みんなの実力あればこそ、ではあるけれども、こういう世界は実力だけじゃ成功すると限らないのが常。それこそ空の彼方にいる誰かが、この劇団のお芝居が好きだった んであろう。

 終わってロビーでみんなに挨拶。谷口さんの二人の娘さんが、さすが体技の得意な役者さんの娘さんで、お父さんの足のあいだをぐるぐると走り回るのだが、そのすばしこいこと。開田さんは、マグカップを買うとプレゼントについてくるという、展示していた写真を貰い、出演者に寄せ書きを貰って回っていた。さすが画家だけあって一番いい写真をサッと迷いなく選んでいる。
http://horitik.or.tv/gu-002.html
↑ここの上から16枚目。

 打ち上げは7時から、というので一旦仕事場に帰り、原稿書き。6時半にまた新宿に出る。偶然、バラシ終わって打上会場に向かう牧ちゃんと、小道具類を事務所に持ち帰るところの小栗と水科さんに会う。幹事の牧ちゃんと、話しながら、居酒屋『志ろう』へ。補助椅子、“あと一人来たら出そう”と思っていたら、その一人が遂に来なかった、ということとか。これも、去年のと学会東京大会のときに経験した、“コヤが客の数を決める”法則か。

 会場のエレベーター係のお爺さんがすでに牧ちゃんを知っている。聞いたら三日間ずーっとここで打ち上げしているんだそうな。先に日高トモキチさんはじめとする漫画家の一巻きが来ていた。日高さんと『かべ耳劇場』ばなし。Kさんがワニマガやめたことを聞いて日高さん、驚く。牧ちゃんに、今回の紀伊國屋ホールの裏話をいろいろ聞く。しかし、お客が入ってくれたことを彼女も本当に喜んでいた。
「成功してくれないと一番困るのはワタシなんですよ。他のみんなは、例え失敗しても紀伊國屋の舞台踏んだ、って思い出が残るじゃないですか。ワタシは今回、踏めなかったんだから! 次がないと困るんだから!」
 と言っていたのには膝をパシッと叩きたくなる思い。女優根性、出てきたね。

 やがて出演者、スタッフが三々五々、集まってきた。小栗、水科さんも来て、オメデトウを何度も何度も。水科さん、新参の身で早くうわの空になじむために、この日記を遡って、前の公演の記録などを読んでいたらしい。凄い努力。しかし、今回これだけ客入りがあったのも、全国区であるみずしな孝之という名前のバリューとその宣伝力(ファミ通に公演告知が載った)が大きい。改めて彼の存在の大きさを思う。しかし、とはいえいきなり漫画家さんを自分の劇団に入れてしまい、また受け入れてしまう村木座長とその劇団の包容力のケタの大きいことに感心する。まあ、海の物とも山の物ともつかぬ牧沙織をいきなり、看板女優の島優子とのダブルキャストにしてしまったときもオドロいたが。あと、小栗ちゃんに聞いたら、マスコミにチラシを持っていったときには、私の名前もやや、役にたったとかであった。まあ、重畳。

 小栗に“この劇団は家族だね”と言ったら、“まさに家族って感じなんです”と肯定された。今度は、だからこそ全く肌合いの違う客演を入れての緊張感とかにも挑戦してほしい、と思う。例えば島さんと誰それ、例えば村木座長と誰それ、という、他の劇団や他の分野の人とのからみ合わせの想像もまた楽しい。飲み始めて二時間近くたって、やっとスタッフまで全員が揃った。乾杯と、名古屋と東京で動員した客数の発表、それから、一番チケットを売った功労者として宮垣雄樹を表彰(名古屋が地元なので、そちらの公演で手売りをがんばってくれたらしい)。さらに大入り袋がスタッフ・キャスト全員に。ワタシも一応“スーパーバイザー”の肩書きで、おこぼれにあずかる。宮垣くんはまだ役者になっての日が浅く、そんな自分が紀伊國屋ホールに出られたことがまだ、信じられないらしい。そりゃそうだろう、私が学生時代ここで観た演劇と言えばつかこうへいに劇団雲、井上ひさしにイッセー尾形である。

 いろんな人と話、語り、笑い、実ににぎやかな打ち上げであった。で、改めて思ったのであるが、うわの空の人たちは騒がしい! 打ち上げと舞台上でのテンションがほとんど変わらないのが不思議である。タッタタの人たちの、まあ静かなこと静かなこと。キクチマコトさんなんか、役と同じく、ほとんどどこにいるのか気配も定かで ない感じで飲んでいて、ふと気がつくと、顔色が真っ青になっている。
「うわっ、あの顔色、大変じゃないですか?」
 と訊くと、みんな落ち着いたもので、
「あ、あれがあの人は普通の顔色」
 と。ホントにそうなのか。谷口有さんからも挨拶受けた。村木さんによると、今回の彼の演技を絶賛したのは、立川談春と私なのだそうな。7月のタッタタにも伺うことを約束。ツッコミはやはり、生まれつき吉本を見ているので、空気のように大阪人の体質にあるそうな。35歳になってそろそろ体技がキツくなりはじめているというので、60代になってまだテーブルの上に飛び乗っていた谷しげる氏(10年ほど前に日本青年館で観たなべおさみ劇団の芝居で、居酒屋の親父に扮した谷“あ、忙し”しげる氏は、十日間二十回の公演中毎回、女形踊りを踊って、最後にポン、とそのままテーブルの上に飛び乗って正坐した形になる、という芸をやっていた)の話をして “まだ25年はやれますよ”とそそのかす。

 いろいろ盛り上がって、ふと気がつくともう1時過ぎ。あわてて辞去し、開田夫妻とタクシーで帰宅。K子はベッドで小栗は小栗でも小栗虫太郎を読んでいた。芦辺拓さんに勧められたらしい。明日は起きるのがチトつらそうである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa