裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

日曜日

地下鉄国を出たからは

 地下鉄に乗って出征して参ります。朝6時15分起床、寝床で『守貞謾稿』を漫然と読んでいたら、“雑劇/顔見世”の項目に、こんなことが書いてあった。
「京坂ノ顔見世ハ、昼ノ間ハ顔ミセ狂言ト云テ常ニ異ナル狂言ニテ、当時ノ珍事或ハ流布ノコトナドヲ交ヘ、紛々タル趣向ヲナス。譬ヘバ、前年京師地震ノ年ニハ、異形ノ扮ニテ地震ト号ケ、口称ニテ“ユサユサ々々”ト云ナガラ、舞台ニ狂巡レバ、皆々轉ビ倒ルゝ時、太神宮大麻ノ造リ物ヲ、頭ニカブリタル者出レバ、忽チ地震ハ迯入ル等ノ状ヲ、交ユル也」
 まあ、ずいぶんと無邪気なことだ、と笑いつつ、しかし、これは歌舞伎というものが大変ジャーナリスティックな、当時の人々の日常感覚とダイレクトにつながっていたものだったということだな、と思い、かつ、演劇というものが、ついこのあいだまで、民間呪術と極めて近しく結びついていて、この、例に挙げられている芝居も、それを舞台上で劇に仕立てることで地震鎮めの呪いとして機能し、“当時ノ珍事或ハ流布ノコト”を趣向して演じるのも、例えば殺人などの事件の被害者のさまよえる霊魂が悪鬼にならぬよう、それを祀るという意味合いがあるのだろうなと思う。改めて、 丸谷才一の忠臣蔵論は万能の理論だよなあ、と思い直したりする。

 などとラチもないことを漠然と考えているうちに、このあいだから、映画やオタク評論の仕事に対し鬱々と考えていた事項(実際、もう自分はそういった大衆文化評論からは足を洗った方がよくはないのかとさえ悩み続けていた原因となった事項)についての解答が、突如天啓のように頭の中に浮かび、ウム、ソレダソレダと枕元のメモに書き込む。まだきちんとした形にはなっていないが、これはそのうちどこかで完全にまとめなくてはという思考の原型。非常にスッキリとした気分になった。雑読も、 どこでこういうことがあるかわからぬから怖い。

 朝食、クルミサラダ、コンソメスープ。雨ソボ降って、昨日とは全く感じが違う。昨日母は友人を伴ってはとバスツアーで浅草などを回ってきたらしい。まったく、一日ズレなくてよかった。弁当受け取り、仕事場へと向かう。山本会長から、トンデモ 本大賞2004のパンフ用書影データ届く。

 いろいろ雑用しているうちに1時半。急いで弁当を使う(今日はこの日記で食べたいと書いたので作ってくれたらしいベーコンと青豆のチャーハン。レンジで温めて食べる)、新宿までタクシー乗って京王線、調布まで。今日は梅田佳声先生の紙芝居の会で、戦前の貴重な戦意高揚紙芝居が見られるというので、いさんで駆けつける。

 いただいた招待葉書に場所が“郷土博物館”とか書いてあり、その前にやはり送っていただいたパンフレットを見ると、調布市文化会館たづくり、とある。なるほど、この文化会館の中に郷土博物館が併設されているのだな、と勝手に解釈し(調布市郷土博物館という場所がある、ということが頭の片隅に記憶としてあったからでもあるが)、京王線で調布に向かう。隣の座席の若いカップルが“あれってさ、府中だろ”“なに言ってんの、調布だってば”“あ、そうか、しょっちゅう間違うんだよな、府中と調布って”というような会話しているのをぼんやり聞いて、そうだよなあ、ついうっかり間違えてしまいそうだよな、と思いつつ調布で降りて、歩いて五分の『たづくり』に向かうが、なんか、どこにもそのような表記がない。おかしい、と思ってもう一度葉書をよく見直したら、これは3月の映画祭のときのもので、今日のイベントがあるのは“府中郷土の森博物館”であった。呆れて、この郷土の森博物館というの はどこにあるのか、と案内窓口のお姉さんに聞いたら、ニコヤカな顔で、
「ア、それは多摩川駅でゴザイマス」
 と言い、駅で調布から一駅だからとそっちの案内パンフもくれる。こっちは地理に無知だから、ソウデスカとそれを貰い、急いで駅に向かうが、なんか地理不案内なところでウロチョロするのもなんだと思い、駅前でタクシー拾って、
「多摩川の郷土の森博物館」
 と言うと、
「エ? 多摩川のは“郷土博物館”ですよ。府中の“郷土の森博物館”じゃないんですか?」
 と問い返される。あわててそのパンフと葉書を見直してみたら、なるほど、まったく住所が違っている。自分の迂闊さにも呆れるし、案内のお姉さんの迂闊さにも腹がたつが、そもそも、同じような区域内に、こんなに似たような施設をいくつも建てるなよ、という気になる。それにしても、このタクシーに乗って本当によかった。でないと、また無駄足を食わせられるところ(で、全然間に合わなくなるところ)であった。とにかく、郷土の森博物館に向かってもらう。25分くらいで到着。なんとか開 演に間に合う。ずいぶんドタバタをした。

 郷土の森博物館なるところ、すさまじい大きな施設である。運転手さんに“デカいねえ”と言ったら、調布出身らしいその運転手さん、ケッ、といった表情で、
「……府中は金がありますからねえ。サントリーはあるは、競馬場はあるは、かてて加えて刑務所まであるから、アレでしょ、交付金なんかも貰い放題でしょ」
 と言う。近隣の金持はよく言われない。

 入って、まだ雨もよいの中、博物館敷地内の、旧田中邸へ。ここらにあった大きな商人の家を復元したものだそうで、紙芝居はその広間で行われるのである。佳声先生の息子さんのかずおさんがいて、通してくれた。すでに、80人ほどの観客が入っており、盛況。ちょっと蒸し暑い。座布団に座るが、すぐ後ろに先生の奥様と娘さんも座って来られたので、少し話をする。やがて、いかにもこういう公共施設の係員らしい感じの女性から、今日の催しについて、いかにもこういう公共施設の催しの説明らしい説明があり、続いて、いかにもこういう公共施設の館長らしい人から、いかにもこういう公共施設の館長らしい挨拶がある。今日の紙芝居が戦前の戦意高揚モノと、例の『悪魔の笑い』であるということで、これは文化資料を後世に伝えるという意味あいで行うことで、決して思想性や道徳でとらえてくれるなという言い訳がクドクド あったのに笑う。

 で、やっと登場の佳声先生、元気いっぱい、まず、戦時紙芝居が作成された経緯と戦後にそれらがたどった運命を語り、子供向けの『殊勲甲』、女性向けの『花は揺るがず』の二本を読む。『殊勲甲』は父が出征した後、野菜の配給の手伝いをして家を助ける長男と、自分も同じく働いてお兄さんを助ける妹、その妹の様子を見て彼女を助けるクラスメート、そして、長男が自分も少年航空隊に入ってお国のために戦いたいという夢をかなえてやろうとする母親の姿を描く話。『花は揺るがず』は、動員でラジオ工場で働く少女二人が、仕事のつらさを嘆くが、先輩の女工が、実は数日前に夫の戦死の報が届いたばかりの戦争未亡人であったことを知り、それでもけなげに明るく立ち振る舞うその姿を見て、自分たちも仕事がつらいなどと言わずに頑張ろう、と誓い合う話。なにか、北朝鮮の物語を見ているような感じだったが、北朝鮮と異なるところは、最後にアッチの物語なら必ずはさまるであろう金首領さまへの大賛美的な、例えば天皇賛美がないこと。そこに変わって、辛苦を堪え忍ぶモチベーションは“戦地で苦労する兵隊さんのため”という、同じレベルでの仲間の苦労が持ち出される。日本は結局、金日成やヒットラーといった個人崇拝が根付かぬ国なのだな、とつくづく思う。

 その後が、同じこの博物館収蔵品だが、時代怪奇もの『五十鈴姫』。戦国時代の大名の家に生まれたお姫様をねらい、女盗賊の幽霊だのカッパ大王だのが暗躍する話で やはり佳声先生はこういう話の方がずっと生き生きする。子犬が出てくると、
「これは言わせてください」
 と断って、“どうする、アイフル〜”と例のシャレ。最初の教育紙芝居ではちょっと退屈していた感じの小さな子供たちも、別人のように興味を持ち、たぶん、こんな口調は生まれて初めて耳にするであろう佳声先生の語りに耳を傾けている。子供たちにとっては佳声先生の口をついて出る文句は、これことごとく奇矯な言葉、奇矯なイントネーションだろうが、こういう非日常のセリフが、そこに演劇空間を形づくるのだ。最近は時代劇までもが、日常の言葉づかいでドラマを作る。思えばあんな不完全なドラマである宇多田ヒカルの旦那(すまないが、まだ名前がすっと出てこない)の『CASSHERN』のストーリィに共感する若い人たちが大勢いるのも、あの唐沢寿明たちのセリフ回しの非日常性に、彼ら彼女らがとらわれたためかも知れない。

 そこで10分の休みがとられる。なんと近藤ゆたかさんがみえていて、“いや〜、『五十鈴姫』よかったですね〜”と雑談。近藤さんは前に佳声先生の『怪猫伝』を見てハマッてしまったそうだ。かずおさんに“公共施設での公演でもちゃんとマチキンのCMであるアイフル出すところがいかにも佳声先生だ”と言うと、かずおさん苦笑いしながら、“親父はいったんお客さんの前に出るとリミット外れちゃいますからねえ。前に共産党の大会で紙芝居頼まれたとき、国旗が掲揚されている場面の語りで、「こりゃ、NHKの番組終了画面だネ。♪き〜み〜が〜あ〜よ〜は〜」と歌って、後 で怒られました”と話して、爆笑。

 十分の休憩(じゅうぶん、ではなく、たった10分である。あの年齢でこの元気は凄い)の後、お待ちかね(なのか?)『悪魔の笑ひ』。私にとっては先日聞いたばかりの話だが、紙芝居のような大衆芸能は、その場その場においてのアドリブを聞くのが楽しみである。因果因縁のグロテスクささえ、欠損部分を補ってストーリィに辻褄を合わせたために超越し、ひたすら不条理なナンセンスが連続するシュールな内容になってくる醍醐味。聞き終わって佳声先生に挨拶し、土間に展示されている紙芝居の原本を見て、近藤ゆたか・ちばこなみ夫妻と共に帰る。古いもの好きの近藤さん、この田中邸の作りにいたく感動し、“ここにモデルハウスみたいに住まわせてくれない かなア。その当時そのままの生活してあげるんだが”と言っていた。

 駅まで遠いので、バスをしばらく待つ。近藤夫妻も東京近辺探索にはバスを大いに活用しているとのこと。彼らは分倍河原駅の次の府中本町で降り、私は府中駅まで。京王線の、ちょうど準特急がうまい具合に来たので、新宿まで20分ほどで着く。連絡さえスムーズにいけば府中も調布も近いものなのだが。買い物少しして、タクシー で帰宅。書き下ろし本のために、日記をチェック。

 K子は今日は『虎の子』で食事会だそうだが、私は届いた花巻を家に持ち帰らねばならない。雨の中、荷物と、井の頭こうすけさんに届ける図版用ブツをかついで帰宅する。途中コンビニで宅急便を出す。8時10分、家にたどりつく。今日は来ないかもと母が言っていたナミ子姉と、薫・真琴の姉妹が来ていた。おみやげのアンチョビバターを塗ったライ麦パンでビール、それからタコルイベ、サワラホイル焼き、ホタテ釜飯。親戚ばなしいろいろ。薫も真琴も、私とK子の夫婦を“ちょっと他の組み合 わせが思いつかないくらい合っている”と評価する。そうかねえ。

 梅田佳声入魂の紙芝居『猫三味線』通し公演(3時間)、四谷のコア・石響にて、6月26日(土)に↓三度目のお目見え。見ておかないと絶対損しますよ。 http://www.syakkyo.com/2004/06/040626nk.html

Copyright 2006 Shunichi Karasawa