裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

金曜日

ヤクルトキルビル

「ニューサンキンハ、モテカヘンナ!」。朝7時半起床。天候回復。ベニイモ、リンゴ、セロリとエリンギのスープで朝食。新聞もテレビもマイケル・ジャクソン逮捕の報で大騒ぎ。ネバーランドの管理人をやっていたという東洋系(?)の爺さんの怪しげな感じのキャラクターが凄い。緊張のあまり片目が痙攣しているところなど、いかにも金に転んでご主人の秘密を売りましたという感じで、“マイケルは、ゲイの男が恋人にするようなことをしていました”などという表現をするあたり、抱腹絶倒。

 一方でトルコの英国領事館自爆テロ。またマスコミはいろいろ踊らされるだろうけれど、なんでアルカイダもブッシュとブレアがいるロンドンでこういうことをやらない(出来ない)のかを考えてみるべし。トルコはあきらかにイスラム圏のうちであって、いわばタコが足を食うように、彼らは監視の目の厳しくない、自分たちの身内内でしか騒動を起こせなくなっているのだ。これは末期症状なのである。

 朝食が毎度食物繊維たっぷりなので、朝のうちに二回は便通がある。トイレ読書も進む。王龍はいよいよメカケを家に迎え入れる。これに王龍の叔母がいろいろと間にたって世話をする。その手際が鮮やかに描かれる。『水滸伝』でも、西門慶と潘金蓮の間を取り持つ遣手の王婆さんというのが出てきた。女遊びをするのに、世慣れた婆さんに世話を頼むのは東洋の伝統か。まず、脈があるかどうかを第三者的な目から判断し、双方の要求をそれぞれに伝え、値段の交渉も高すぎず安すぎず双方に満足いくようなところを押さえ、それで自分もきちんとその報酬に預かる。あらゆるサービス業の元祖がこの遣手婆である。映画評とか書評などというのも、私はこの精神が大事だと思う。所詮は読書も映画も女遊びと同じ、淫蕩な道楽なのだ。その遊びをスマートかつスムーズに進行させる、いわば祭司の役割を勤めるのが遣手(批評家)の勤め なのではないか?

 原稿のネタ本を洋書棚から引っぱり出してパラパラ目を通す。メモなどをいくつかとる。昼になったので外出。ブックファーストに寄ってみる。二階のサブカルチャー売場でカラサワコレクション、三箇所に平積み。一階の一般書籍棚に進出するのが目標、か。どの山でも『人食いバラ』が目立って減っている。雑誌売場で『ヤングマガジンアッパーズ』立ち読み。『バジリスク』、霞刑部死す。滅形し、壁に溶け込んだままの死は、アポリネール『オノレ・シュブラックの消失』を時代劇に見事に換骨奪胎したもの。山田風太郎は『戦中派不戦日記』でこの作品を激賞、“怪奇小説はここまでゆかねばウソなり”と書き留めている。『不戦日記』には、他にも精神病院の鉄格子を抜け出して逃げた患者のことを“白血球みたいである”と書いてあったりとか(おそらく鵜殿丈助のアイデアの原型)、忍法帳に出てくる忍法のルーツみたいなも のがときおり見えていて面白い。

 東急本店レストラン街の更科で二色ソバを食べて昼食。そこから銀座線で京橋に向い、片倉キャロン映画美学校第一試写室でトリビア、じゃなく映画『クリビアにおまかせ!』試写。珍しいオランダ映画、それもオランダ初のミュージカル映画である。さすがアルバトロス・フィルム、よくこういう滅多に見られない作品を買い付けてくれたものである。もともとはこの作品、オランダで1960年代に大ヒットを飛ばしたテレビの白黒コメディ番組だそうで、すでにテープもジャンクされ、40代以上の人間の思い出の中にしかないこの作品を、21世紀になってから突如映画としてリメイク、それも60年代を徹底的に再現したセット撮影で、オランダでは45万人以上 の観客を動員した大ヒット作品になったとか。

 ノスタルジアは私のなわばりうちだが、しかしこれはノスタルジアと言ってもオランダのノスタルジア、オランダの60年代である。当然のことながら元番組に関する知識もまったくないし、作品中にいろいろ散りばめられているらしい雑誌や商品、流れる音楽、それから王室ネタなどにも、こちらに共有感覚を抱かせるフックは全くない。……ところが、これがイイんですねえ。たまらなく、とまではいかないが、60年代テレビコメディの、これは万国共通に持っている素朴さ、罪のない明るさが、濃くこちらに伝わってきて、それを触媒に疑似ノスタルジアが生み出されるのである。もともとノスタルジーとは小野耕世によれば、個人の“不正確な追想に基づいた夢”である。不正確だからこそ、そこは常に美しく、個人で100パーセントのコントロールが可能な世界なのだ。過去を思い描くことは、未来を思い描くことと全く同じ、現在の素材を用いた新たな時代像の再構築なのである。しかし、とはいえ、あまりの情報の少なさは、木靴の上から足を掻く気分になる部分もある。この作品の楽しさをもっと判りたくて、オランダのコメディ史の勉強を初めてしまうような若い人が出て くれば面白いかも知れない。

 驚いたのはこの作品がゲイ映画であったことだ。ここは60年代にはなかった、付け加えられたテイストではないかと思う。意地悪大家が、実は若いころつきあっていた恋人とケンカ別れをしたことが心の傷になり、それで偏屈になっていた、という設定だけ聞けば松竹新喜劇なのだが、その恋人というのがデブのオカマ美容師なのだ。しかし、彼がゲイであるということを、主人公のクリビア始め、誰一人それを意外なことにも特殊なことにも思わないというのが凄い。さすが性の自由の先進国オランダである。この大家役のパウル・R・コーイという俳優が、演技といい口をゆがめて嫌味を言うときの表情といい、モンティ・パイソンのグレアム・チャップマンそっくり なのだが、チャップマンもゲイで有名な人物。共通点があるのか?

 登場人物に美男美女が一人もいないところや、ミュージカル映画というにはあまりに集団でのダンスがヘタクソなところなど、日本で観るにはやはりギャップがかなり大きい映画である。しかし、自分たちに向けて作られた作品でないからと言って拒絶していたのでは、あまりに視野が狭まってしまう。私がこのテの映画の試写に選って出かけているのは、それを恐れてのことでもある。なぜ、この映画が45万人の観客を動員したのか、ということを考えてみる価値はあるだろう。パンフレットの解説にあったが、この映画の制作者たちは、最初、ロケを長崎のハウステンボスで行う予定だったという。すでに本国オランダには、60年代を思わせる街並みがなくなってしまい、ハウステンボスの方にその面影が残っていたためだそうである(ハウステンボスの倒産などで、結局オールセットで撮影された)。失われたものへの欲求は、まだ 見ぬものへの欲求より何倍も強力なのである。

 見終わって外へ出て、東京駅まで歩き、地下街のR・S・ブックス(やたらおしゃれな作りの古書店)で古本数冊、中央線で中野まで。アニドウの定期上映会だが、まだ入場開始まで30分あるので、ブロードウェイの大予言に寄る。奥さんが“あらセンセイ、お元気でしたかぁ? しばらくお顔をみないんで、健康状態が悪いのかと心配してました”と。飲み屋でこういうこと言われる人は多いだろうが、私は古書店で こう言われる。ここでも数冊。カバンが少し重くなる。

 本屋にいると30分などはあっという間である。急いで中野芸能小劇場へ。アニドウの定期上映会であるが、ちょうど開場時間なのに、まだ開場していなかった。チラシ置き場の演歌芝居(?)『日本のキリスト・津軽海峡冬景色』というやつを眺めたり(残念ながら貼ってあるやつだけで持ち帰り用のものがない。戸来伝説なのか、や はり)していると、なみきたかしのダミ声が聞こえよがしに大きく響いて
「そういや、昔、開場時間になったのに何故入れない、とかゴネてきた奴がいて、お前のために上映するんじゃねえンだから文句つけんなら帰れ、と怒鳴って追い返したことがあったなあ。ありゃ早稲田のアニメ研の奴だったっけな。……あの頃は客にもホネのある奴がいたよなあ。今の客ァ飼い慣らされちまって、どれだけ待たされようが何にも文句つけてきたりしねえもンなあ」
 ときた。苦笑して、スタッフに“ホントにいつ開けんの?”と声をかけたら、即、開場してくれた。私より先に並んでいた人たちに“どうぞ”とうながすと、“イエ、お先に”とみな、遠慮する。さっきみたいな脅しをかけられてビビっているのかも知 れない。だとするとホントにホネがない。

 席について資料本など読んでいると、植木不等式氏が“昨日はどうも”と挨拶してきてくれた。この人も律儀に通いつめている。隣同士坐って、いろいろ雑談。途中で植木さんに電話。チャイナハウスからで、今度あの店にテレビの取材が入るので、客役のガヤで召集令が出たとやら。開場が遅れた上に上映開始も遅れる。今日は客の入りがイマイチなので、入るのを待っていたらしい。悪態ばかりついているとこういう バチがあたる。

 上映開始。なみき氏お気に入りの『金星人地球を征服』の予告編などがかかる。彼はカニ・エビが大嫌いなのにこの映画は好きだそうだ。カニ・エビが嫌いというのは長いつきあいだが知らなかった。うどんすきを一緒に食ったとき、生きたエビを仲居さんが鍋に入れようとしたら大声でさえぎって、“目の前でそんな残酷なことをされたら食欲がなくなる、ちゃんと奥で茹でてから持ってこい!”と怒ったのは見たことがある。彼は人格の破綻の割にはそういう神経の細やかなところがある人間なのだ。アニメに対する嗜好も極めて健全で、ハシモトさんのようなキッチュを面白がって連続上映したりするとはいえ、それは正統なものをきちんと押さえた上でのいたずら、としてである。私のように、そっちの方にばかり傾斜したりはしないのである。人間としては私の方が数等まともだとは思うが、感覚に関してはあちらの方が王道を行っ ている。ここらへんが面白い。

 今回も滅多にここ以外では見られない(こういう機会がないと見る気もおきない)ような、交通安全教育アニメなども上映される。60年代のものかと思ったら70年代も末の作品である。アニメ(に限らずジャンル全て)の進歩というのは、均等にはすすまない。とはいえ、70年代にアニドウが試作したアニメ『蛮剣百万年』の予告編ラッシュなど見るに、これがこの時代のアニメファンの欲望の総決算であったとしても、ここから今の萌え系アニメ時代を予測することはまず、不可能であろうと思わ れる。未来は常に不確定要素の集積に過ぎない。

 某音楽アニメは、二種類のプリントを見せられる。一本は旧・杉本フィルムコレクションの所蔵品で、前の持ち主がフィルムを水に濡らしてしまい、色が一部分溶けて流れてしまった。しかし、残った部分の発色の素晴らしさはそれだけでも見る価値があるので……もう一本は完全な状態だが、発色はそれほどよくないので、二本を続けて鑑賞した後に、頭の中で合成してもらおう、というアニドウらしいダブル上映。確か今から二十年くらい前に、同じ作品を同じ方式で、そしてなみき(当時並木)の口上もまったく同じで上映されたのを見たことがある。デジャ・ブを感じた。ただし、今回はなみき、付け加えて曰く“……と、思ってさっき一応見返してみたら、やはりかなり退色してしまっていました。まあ、フィルムとはそういうものです”と。時の 流れは残酷なもの。とはいえ、私の眼にはそれほど退色が目立っては見えず、かつて観たときと同様、素晴らしい色彩であった。脳の中の記憶が補填してくれたのかも知れず。

 古いレオン・シュレシンジャープロデュースの作品でアヴェリーものが一作あったのだが、表記がフレッド・アヴェリーになっていることに対し植木さんから質問を受ける。テックスというのは彼がテキサス出身であるところから名乗った名であると答えた。海外サイトではフレッド・“テックス”・アヴェリーと表記していることが多いが、本名はさらに違ってフレデリック・ビーン・アヴェリー(エイヴリー)なのだそうである(『世界アニメーション映画史』による)。日本ではそういうことに言及しているサイトすら見あたらない。植木さん、“それでは彼がメキシコ出身だったらメックス・アヴェリーだったわけですね。サセックス出身だったら……”。

 一本、持ってき忘れた作品があったが、こういうことはこの上映会の恒例。オマケ上映でキャブ・キャロウェイが歌う『ベティの家出(ミニー・ザ・ムーチャー)』がかかったのが儲けもの。なんべんもなんべんも同じ小言を繰り返すベティの父親の顔が蓄音機(時代を感じさせる蝋管製)にメタモルフォーゼし、ベティが寝室に行った後も同じことを繰り返していると、母親がその蝋管をとりかえて音楽を聴くギャグは最高。もっとも、こういうギャグの優秀性がアニメの本質と思うと(好むのは別として)やはり見方をあやまると思う。ベティもミッキーも、その高度なギャグを失ったあたりから一般性を獲得した。大衆文化において何よりも優先するのはキャラクター性なのである。それはフルアニメーションの時代から変わっていない。

 見終わって、なみきの“早く自宅に帰ってください”という追い出しの声に急かされるように外に出て、どこにしようか迷った末に近くの『秦陽飯店』なる中華料理店に落ち着き、K子とそこで合流。またまた植木氏の体重のことなど楽しく雑談の話題にしながら、鶏手羽の鹹水漬けやワタリガニの上海風など食べる。隣の席に途中からついた女性二人組の一人を見たら、くすぐリングスの春咲小紅だった。こういうときに知り合いに会うのはうれしい。ビールでもおごろうかと思ったが、彼女はいま闘病中だったな、と思い出してやめておく。早く全快祝いで飲みたいね。孔府家酒というのがあったので、これはどの程度の酒かということを植木氏に訊くと、孔子の生まれである山東省の酒で、孔子が好んだ酒ということになっているという。友人に、こういうなんでもすぐ答えてくれる人がいるというのは大変便利。と、いうか、そういう友人ばかりであるな、私の周囲は。これで乾杯して、11時過ぎに帰宅。歯を磨き、メールチェックのみして寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa