裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

日曜日

ウンチーク・ショップ

 はい、この壷ですか、これについてはちょっと面白い話がありましてな……。朝、7時45分起床。朝食、五郎島金時。蒸かす前に一分ほど電子レンジにかけてから蒸し器へ。すると蒸し時間がかなり節約できる。最後まで電子レンジで調理すると、甘味が出ないのである。ニラのスープとリンゴ2片、コーヒー。ミルクが切れたのでブ ラック。

 この数日、午前中の体調がよろしくない。季節の変わり目だからか。今日も左目が痛む。トイレ読書、いよいよ『魔の山』一気に終盤になだれこむか。しかし、この小説、世界的名作としてみんな崇めてるが内容はスゴい。フリーメーソンは出てくるしフランケンシュタイン映画みたいな設備のレントゲン装置の描写があるしと呆れていたら、この結末間近になって心霊超能力美少女が登場し、降霊会まで開かれる。

 日刊スポーツの依頼で、各党のマニフェスト比べ読み。記者のUさんが大体のポイントを指示してくれているが、自民党のマニフェストの中には国の領土の1.7倍の面積の拡大が見込まれる大陸棚の調査、などというのが入っていて、これは読んでい て“へぇ”と驚く。
http://www3.ocn.ne.jp/~fitness/index1993.html

 昼は簡単に卵飯で、ウナギ佃煮、きんぴらゴボウなど。2時、東武ホテルでU氏と落ち合う。時間割が日曜で休みなので、神南の裏通りにある、以前村崎さんと写真撮影したことのある、半テラスのおしゃれな喫茶店で。各党マニフェストの実物を見せてもらうが、自民党、民主党の二党がやはり金のかけかた、凝り様で図抜けていて、他の政党はおつきあいで仕方なく作りました、金もありませんという感じ。自民党は小泉首相を最前面に押し出して、まるきりメンズファッション誌みたいなポーズの写真がたくさん。民主党の菅さんはまだテレがあって、普通の選挙ポスターのポーズ。パフォーマーとしての開き直り度では小泉さん圧勝。選挙ではどうか?

 一応、依頼された仕事に関しては1時間ほどのインタビューで終わり。Uさんは同じ北海道出身だそうで、おまけにトンデモ本ファンでもあるそうで、いろいろ今後の仕事関係などでも話す。雑談中に札幌がなんでオタクの発生地みたいになったんです かねえ、という質問が出たので、少し詳しく話す。

 まず、オタクという言葉が個人レベルで発生したのではなく、“オタク族”というククリから概念が出来たことがある。つまり、家に引きこもって個人でアニメや特撮にハマっている連中はその前からいたのだが、彼らは社会の一員としてリコグナイズされていない、共同体外の存在だった。それが社会現象化したのは、彼らの中に横の連帯が生じ、彼らが社会性を持った瞬間からである(つまり、引きこもりをオタクの主要な性質とするオタク論はそもそもが間違いなのである)。その連帯のきっかけになったのが1975年からのヤマト再放送運動であり、この場合、東京や大阪という大都市に比べ、札幌は地方局が、ある程度リクエスト葉書の数が集まれば、再放送をしてくれていた。このため、最初は普通のドラマなども再放送していたSTV(札幌テレビ)やHBC(北海道放送)の4時〜5時台が完全にアニメ再放送枠として定着してしまった。家庭用ビデオの普及していない時代、再放送で繰り返し繰り返し作品をチェックできるという環境が、オタクのスキルを上げることに直結し、マニアックなオタク語りが出来る状況が揃っていた。また、北大のSF研や映画研が、東映アニメや虫プロアニメの上映会を頻繁に行っていたことも土壌整備には大きい力になっただろう。当時、大学生がマンガやアニメにうつつを抜かすことは世間的にはいい顔をされないことだったが、学生自治を伝統とする北大の気風の中で、比較的自由にアニメびたりを標榜する大学生がいたことで(北大主催の上映会で、挨拶に立った主催者が自らのアニメびたりの“阿呆けた”と自称する日常を披瀝して笑いをとっていたのを覚えている)それより若い世代が“アニメに没頭するのは悪いことではないんだ” という自覚を持ったことは大きい要因だと思う。

 あと、72年の札幌オリンピックによる地下鉄など交通網の拡大で、真駒内近辺に住宅街が出来、上映施設などを備えた区民文化施設などが充実した、というのも有利に働いた。それまでは、札幌の中心で学生たちが気軽に借りられる上映場所というのは中央区の大谷会館ホールくらいしかなかったのだが、これによって自主活動の幅が大きく広がった。真駒内青少年センターの上映室で、『長靴をはいた猫』『ホルスの大冒険』といった作品の上映会をしょっちゅう行っていたものである。何においても札幌という街の、適度なコンパクトさ、それでいて都会的な設備は充実しているという街としての新しさが、それまでは個人レベルであったオタク趣味を、集団的な活動へと広げることにプラスに作用したのだろう。それに加えて、交通事情や書店事情、 深夜放送事情なども大きな要素なのだが、長くなるので他日に譲る。

 写真撮影してU氏と別れる。たばこと塩の博物館となりにあるウェディングドレスショップ『ドレスブラック』のウインドーにある巨大花嫁マネキンはかなりインパクトがある。『キル・ビル』でユマ・サーマンやダリル・ハンナにハマッた大女マニア は、是非ここに一度詣でるべき。

 ゲストで出演する快楽亭ブラック毒演会(11月15日土曜日昼1時から於浅草木馬亭)の内容がFAXされてくるのでイベント欄にアップ。この準備もしなくてはならない。いろいろ大変であるが、年の瀬が迫っているという雰囲気でもある。ただしいまだホントにさし迫るには時間的にまだ余裕がある、という時期だけに、いろいろと頭の中であれもやらずばこれもせずば、と考えすぎ、ものに手がつかない状況なの は困ったことである。

 8時、人でごった返すセンター街を通って、HMV地下の中華料理『白鳳』。K子と夕食。後ろの席に、文化村の国際映画祭帰りらしい映画関係者の派手な衣装のオバさんが連れと陣取り、うるさくしゃべっているのが気にさわる。映画関係者のババアというのはなぜああも派手な人種なのか。自分が日本人であることを忘れきってしま うのか。

 中華風刺身を前菜に取り、季節の上海蟹、それから北京ダックを一人2ピースずつとって、最後は石鍋チャーハン。上海蟹は蒸し立てで、一人ずつに蓋付きの皿に入れられて持って来られる。大きさは大人の拳固くらい。ハサミに紫蘇の葉がからみついているのも何かうれしい。蟹用断ち鋏でバチバチと立ち割ってまず、ホンのわずかしかない肉の部分をせせって食べる。これも充分に味わいがある。そして、ハサミまで全部を苦労して食べ終わったあと、いよいよ甲羅を剥がして、腹の中の、黄金色の素晴らしい味噌を存分に味わう。少しも生臭くなく、まるで木の実のようなコクの味わいとウニのような舌触りのアンバランスな取り合わせ。口中にひろがる何ともいえぬ甘味は、味噌の固まった部分と、肉との間の部分、さらには尻近くの脂肪の部分でまた微妙に異なり、脂肪の甘味はまさに魔の味と言うべきほど。酒以上に脳髄を痺れさせ、何も考えられなくしてしまう。ただ鼻息を荒くして、唇と舌を忙しく動かし、この旨味を全て味わいつくそうと甲羅に口をつけて外聞もはばからずちゅーちゅーと音を立てて啜る。エクスタシーに達した後のような疲労感を、カラッポになった甲羅を目の前にして感じていたほどであった。

 帰宅して、ネットちょっと。毎度この日記のタイトルは駄洒落なのだが、似たようなことをやっているサイトはいくつもある。ただし、ほとんどは私とは駄洒落の方向性が違うので気にしていなかった。中で、駄洒落製作に関するセンスでは(まあ、そこのみ、ではあるが)最も私に近いかな、と思い、ダブらぬよう注意もしていた『北風小象夫の跳梁跋扈!』が11月8日でサイト閉鎖、とのこと。これでバッティング の心配はなくなるか、と安心する一方、やはり寂しい。
http://plaza.rakuten.co.jp/torinama/

Copyright 2006 Shunichi Karasawa