5日
水曜日
ゾンビが貴雄を生む
こんなホラー映画ばかり観ていたからあんなオタク映画監督に。朝方、昔薬大の頃お世話になっていたT先生と論争する夢を見る。T先生はT先生の役でなく、架空の論敵の役で引っぱり出されたという感じ。ご本人は何だかわからないだろうが、とりあえず変な役で使ってすいません。7時20分起床。下半身の力がやはり抜けているような感じだが、前回のような、立ち上がったりするたびに痛くてうめき声をあげるといった症状はなし。麻黄附子細辛湯の効果あらたか也。こういう対策が立てられる ところは、薬屋のせがれとして育った余得であろう。
朝食、サツマイモ蒸かしとネギスープ。ネギスープでTシャツが濡れるくらい汗をかく。若い頃から大汗かきで、健康のためにはそれはいいことなんですよと言われて喜んでいたが、やはり格好は悪い。首筋の大汗といういかにも赤ら顔のおじさん的な現象はなんとかならないかと思う。先日などカラーシャツの襟の首の裏側のところが 吸った汗が乾いて、びっしりと塩が固まっていた。
モーニングショーは例の大阪家族殺傷教唆ゴスロリ少女の件でもちきり。“今の若い人のことは理解できん”みたいな形でまとめようとしているが、今の若いのにだってあんなの、そういないだろう。彼女のサイトも見てみるが、これで文学少女などと言ったら文学少女に叱られる。イタイだけのバカでしかない。旧かなづかいっぽいあんな文体、二十数年前(私が同人誌野郎だった当時)からいくらもある、陳腐なものだ。もっとイタくて、もっと可愛くて、もっと文学な少女などいくらだっている筈で ある。あの程度の女を基準にされては今の若い世代も迷惑だろう。
昼は参宮橋に行く道添いにある韓国料理店でビビンバ。あまりうまくないが、おばちゃんの気っぷがいい店。1時半、時間割にてミリオンNくんと打ち合わせ。使用する資料を見せ、原稿の具体的な文字数、図版に関してのことなど詰める。雑談で業界 人の情報をいろいろ聞く。ちょっとこちらの気が軽くなる情報もあった。
書庫に入らぬ日はあってもトイレに入らぬ日はない。トイレ読書で数ページづつ読んできたトーマス・マン『魔の山』、ついに読了。さすがに最後の数十ページはトイレから持ち出して書斎で読んだ。教養小説の最高傑作、二十世紀文学の金字塔と名高い作品だが、この作品に幽霊、何かの比喩とか心理的表現などではない、“本物の”幽霊が登場することを、どれくらいの読者が記憶しているか。終盤に入って登場する十九歳のデンマーク少女、エレン(エリー)・ブラントは愛らしい顔をして鋭い霊感を持ち、またホルガーという守護霊の教えで、どんな隠し事でも当ててしまう。サナトリウムの住人たちが彼女を中心に交霊会を開くことになるが、その席で主人公ハンス・カストルプは、ここで死んだ従兄弟のヨアヒムを呼び出して欲しい、と頼む。そして、かなりの時間がたった後、レコードでグノーの『マルガレーテ』の歌が流れる 中、ヨアヒムの霊が出現するのである。
「部屋の中では人数がいままでより一人だけ多くなっていた。一座から離れた部屋の奥の方に、後方の赤い光が薄れて暗がりになり、ほとんど何も見えなくなっているあたり、つまり事務机の長い方の一辺とスペイン式側壁の間にある、さっき休憩したときエリーが腰かけていて、今は部屋の方に向いているドクトルの来客用安楽椅子の上 に、ヨーアヒムが坐っていた」(新潮文庫版583ページ)
ヨアヒムのこの霊は、カストルプだけでなくその場にいた人々全ての目に映るし、霊媒のエレンはヨアヒムの死後にサナトリウムに入院した人物なので、彼のことを知らない。また、ヨアヒムの霊を呼び出して欲しいとカストルプが言ったのも、その場でのことで、前もってわかっていたわけではない。ヨアヒムの霊はみんなの目にヨアヒムとわかる姿だったが、奇妙なことに、彼が身につけている軍服は正式のものではなく、作業服と軍服の中間のようなものであり、帽子のかわりに、何か鍋のようなものを頭にかぶっているという姿だった。カストルプは彼に話しかけてみるようにうながされるが、立ち上がってその霊に近づいたとき、急激に恐怖に襲われ、部屋の灯り をつけてしまい、霊は姿を消す。
どう読んでも作者マンは、この霊を本物として描いているし、霊の姿に不合理な部分があることを敢えて描写しているところにリアリティがある。もっとも、交霊に関するこの小説の中での言及はこの章のみであり(それでも、世界文学に描かれた最も詳しい交霊会描写だろう)、その後にこの作品の最後のクライマックスとなる、セテムブリーニとナフタの決闘という事件があって、カストルプがベルクホーフ・サナトリウムを去るまで、霊の話は一度も出てこない。だが、近代的知性の凝縮とも言えるこの大小説の中、ここまではっきりと幽霊の実在が描かれる場面があるのはかなり異 様と言えることではあるまいか。6時半、六本木に出る。雑用あったのだが、結局済ませられず、ムダ足。それも業腹なので明治屋で買い物して帰宅。
8時半、渋谷駅でK子と待ち合わせ、東横線で武蔵小杉。当初は武蔵小杉までがえらく遠く感じたが、最近は“あれ、こんなに近かったか”という感じである。ただし雨が降り続き、駅から『おれんち』までの道のりがちとつらい。今日は特別な飲み会というのでなく、たまたま時間の空いたと学会I矢さんと三人で、カウンターで。
最初に今日仕入れた鮮魚のてんぷら。ひめ、おじさんなどという聞き慣れない名前がメニューにはある。後で実物もみせてもらった。以下は帰ってから調べたのだが、ひめもおじさんも俗称でなく歴とした和名。ひめというのはイロハゼの仲間で、鮮や かな体色がお姫様の衣装みたいなのでそう名づけられたらしい。
http://www.pref.mie.jp/OKIKAKU/HP/ichigyo/1409018.htm
おじさんというのはヒメジの仲間で、あごの下に長いヒゲを持ち、エサをそれで探すという。あごヒゲをはやしているので、おじさんという、安直な命名。ただし、味 はひめよりこのおじさんの方がずっといい。
http://www.scc.u-tokai.ac.jp/sectu/kaihaku/collect/fish/ojsn.html
それから生ノリの酢の物、生ノリ入り卵焼きなどを食べ、本日はメインに7キロもあるブリが店に入ったというので、ブリしゃぶ鍋。脂が乗っててらてらと光るブリの切り身が皿に並び、それを鍋の出汁の中にサッとくぐらせて食べる。その甘味というか、口の中でほろほろとほどけていく食感というか、ああ、冬が来てブリが食べられる季節になってくれてほんとうによかった、という感じ。つまりは人生の肯定につながるような気分になる。野菜類にそのブリの脂がからまったうまみというのも、絶にして妙。魚と野菜を食べ終わったあとは雑炊にしてさらい、その間にヤングのスタウト一瓶、開運のひやおろしを三合、ロックであけた。この酒と鍋で最後まで残っていた風邪も完治した模様。I矢くんと、と学会のKさんが企画している上野の博物館見学の帰途、広小路の『井泉』でトンカツオフをしよう、と話す。