8日
土曜日
クイズ・バクーニンに聞きました
『神と国家』であなたが言いたかったことは何ですか。朝、7時45分起床。暑い秋であるが、さすがに朝は涼しく、いい睡眠がとれる。朝食、サツマイモ、キノコの中華スープ。はなたけ(エリンギと舞茸の中間という感じの、非常に柔らかいキノコ) がおいしい。
足に少々力が入らずフラフラする。これは風邪のせいでなく、漢方でのんでいる血圧降下剤のせいか。今日から上京する予定の母に電話。明日の晩、一緒に食事することにする。天気よろしく、週一回の定番運動として、カバンかついで神保町へと出向く。愛書会。鈴木棠三『落首辞典』(東京堂)とか高野六郎『随筆・屎尿屁』(春陽堂)だとかを買い込んだが、ふと見るとオヨヨ書林の出品で、昭和50〜60年代のB級エロ漫画誌が数十冊、出ていた。誌名も知らなかったようなものもかなりあり、ざっと選って、三十冊ばかり買い込む。荷物がかなり重くなってしまった。
白山通りまで出て、神田書店などものぞき、腹が減ったので『いもや』で天丼。数人並んでいたが、前に並んだカップルが、二人で坐ることにこだわって順をゆずってくれたので、案外さっさと席につける。ゆずって貰って悪口言うのもナンだが、こういう店で並んで坐りたがるのはわがままというもの。並んだ時点で職人さんが注文を取っているので、その順番を狂わすことにもなる。天丼は相変わらず旨し、と、書きたいところだが、今日はご飯がちょっと固く、箸にひっかからないくらいポロポロしていた。炊くときに水加減を誤ったかなとも思うが、神田森莉氏の日記に、居酒屋で頼んだ押し寿司の飯が、やはりパラパラであったとの記述を読んだのを思い出す。今年は米が不作で、いい米は値上がりしているので、外食店の米はどこも粘りのない、安い古々米などに切り替えているのかも知れず。まあ、それであっても、水加減を少し多めにするとか酵素をちょいと足すという工夫で、粘り具合などいくらも調整できるので、そう、食べて驚くほど美味い米を外食屋に期待さえしなければ、こういう米 の炊き方にそのうち馴れて旧に復するとは思うが。
半蔵門線で帰宅。くたびれたが、関節の痛みなどはなし。郵便を見ると、コミケ準備委員会から当選通知が来ていた。三日目(30日)火曜日東地区、U−09a『東文研』。今回はテレビでやれないトリビアネタを集めた便乗本『トリビアの歪(ひずみ)』というのを出す予定。来場よろしく。買った雑誌の漫画群に目を通すが、エロだらけのB級C級漫画でありながらSFあり、戸来伝説をモチーフにしたトンデモあり、やたらシュールなガロ系のものもあり、かと思うと、穴埋め原稿だろうが2ページの短編で、水木しげるの『イボ』の見事なパスティーシュあり、と、昭和末期底辺 漫画業界の豊穣さを堪能する。
3時半、ミリオン出版Nくん来、の筈がこない。仮眠していたら4時過ぎに来た。向こうも仮眠していて遅れたとのこと。図版ブツ、書庫の雑誌類を引っ張り出すのも荷なことだな、と思っていたのだが、今日買ったエロ雑誌の広告中に使えるものが案外あり、それで全部まかなえたのは楽でよかった。あとクラウス『日本人の性生活』 を参考書籍として渡す。
名を知っている関西在住のライターがはてなダイアリーで、例の大阪家族殺傷事件に関連し、“産経新聞でアンチ・ゴスロリのキャンペーンが始まっている”と書いていた。私も産経新聞はとっているが、そのようなキャンペーンが行われていたという記憶がないので驚く。キャンペーンと言うからには連続してそのような論説が掲載されているのだろう、と家にある6日からのバックナンバーを確かめてみたが、当該事件の報道にはゴスロリのゴの字も無かったし、産経Webで検索しても、“逮捕大学生もゴスロリ”といういかにも産経らしいマヌケな表現があった以外、ゴスロリ叩きと言えるほどの記事は見あたらず。まあ産経ならやりそうなことではあるし、そう思 われても仕方ないが。
5時半、家を出て、新大久保アールズアートコートにて『立川談慶支援の会』。ブラッCが受付していた。ここは労音の施設であり、コンサートなどが中心。たぶん会場備え付けのアンケート用紙にも、“今日のコンサートの感想をお書きください”などとある。開演前にかかるBGMもビバルディだったり、チャイコフスキーの『花のワルツ』だったりという、落語の会らしからぬオシャレさ。落研関係者らしい会話も耳に入ったが、談慶さんの後輩だろうか。慶応カラーと思えば、このオシャレさも納得できるのか。私の周囲の慶応ボーイというと志水一夫、上薗そんな、仁村ヒトシ、NHKのYくんといったところなので、慶応=オシャレ、というイメージにはどうも ならないのだが。
で、今日の演目は『心眼』と『らくだ』。うわあ、重い。もし談志がこの二席をやる、という会があったら、私は逃げ出す。人間の業をコレデモカと見せつけ、押しつけ、こっちの意識の中にぐいぐいとネジ込んでくるのが談志の芸風で、そう言えば、かつて国立演芸場でやっていた談志のひとり会に通いつめていた頃、最初のうちは最前列に席をとっていたのが、徐々に徐々に、後ろの方へと下がって聞くようになっていったのを思い出した。談志のらくだを褒める人は多いが、あれは三年か五年に一度聞けばいい噺である。今日の談慶さんは明るい芸風なのでその憂いはないと思うが、なにぶんにも一門だし、やや危ない。高座に向かって斜め左の前から五列目あたりに席をとる。芸能プロダクション時代以来、無意識に客席の人数を数えるクセがついて いるのだが、80人強、といった入場者数。なかなかである。
ブラ汁、談一の前座の後、いよいよ『心眼』。改めて談慶さんの高座を見ると、ずいぶんと手や体の動作の振れが大きい人なのだな、と思った。談笑ほどじゃないが、古典派にしては大胆なほど、両手をいっぱいに広げるような動作が諸処に出てくる。談志譲りのところも、オリジナルの人物造形の部分も含めて、きわめて現代的な演じ方である。これを“伝統を現代に活かす演出法”とみるか、“演劇的表現法であって寄席芸の本分から逸脱している”ととるかで、この人の評価は大きく分かれるのではないか。しかし、評価がどうあれ、若い世代の客の前で演じ、取り込むには、こういう演出で演じるしかないのも確かだと思う。その観点で見れば、大変に力が入り、テーマ性も明確に見えて、いわゆる“意図のはっきりした”いい高座であった。ただ、キャラクターは見えても筋がいまいちつかみにくい部分があった。眼が開いたときの梅喜の驚き、揺り起こされたときのとまどいというようなところは、もっとくどいくらいにその“前”と“後”の状況の変化を表現して、アクセントをつけた方がいい。 落語、というか話芸慣れしていない今の客にはそれが親切だと思う。
一席終えたあと立ち上がり、ひょいと裾をまくって、この人の持ち芸であるらしい“雪駄のタップダンス”。友人が作ってくれたという、“A列車で行こう”を三味線バージョンにした“一番駕籠で行こう”にあわせて。これは傑作。表情にちと一生懸命さが見えた(タップではこれは隠さないといけないもの)が、文句なしに、どこの 寄席でやってもウケる芸ではないか。
休息の後、『らくだ』。これは本人からの案内葉書に“自信作”と手書きされていた。さっきの『心眼』以上に明確に、らくだの兄貴分の半次と屑屋の久六の対比を描く。そのため、久六が五人の子持ち(この子供の数でどこの流派かわかるそうな)男には思えないほど若いキャラクターになってしまっていたが、彼の酔っての述懐も、談志のように哲学的にやりすぎず、半次のハ中類的な不気味さも強調され、自信作の言葉はウソではないと思った。うっかり大家の前で失言した久六が、放送業界人がよくやるカットの仕草(両手でチョキを作ってテープをカットする仕草)をするのが古典の中でいやらしくなく、視覚的クスグリとしてスッと入っているのがいい。放送作家もやっている人らしかった。“らくだは……引っ越してきてから一度も家賃を払っていない”“へぇ”なんてギャグも入れてくれていた。別に私がいたから入れたもんじゃなかろうが。それにしてもひさびさに、まっとうに古典落語と取り組んでいる人 の高座を聞いた気がした。これではイカンのだろうが。
終演後、高座の談慶さんに挨拶し、K子に携帯で連絡。JRで新宿に行き、明日の朝のパンを買い、小田急で下北沢。『すし好』で待ち合わせ。さすが土曜で、かなりのにぎわい。白身はスズキに真鯛、あとシメサバ、タコつまみ、ネギトロ、アナゴなど。酒は多聞をロックで。うまいが少しキュウキュウと入りすぎる。