29日
水曜日
大喜利よ今夜もありがとう
これを見ないと日曜って気がしないからねえ。朝、5時に目が覚めてしまい、しばらく寝床読書。このあいだからテリー・イーグルトン『文学とは何か』(岩波書店、1997年新版)を読んでいる。太田出版のHさんに“これは是非お読みなさい、面白いです”と勧められて手にとったもの。現象学、解釈学から構造主義、ポスト構造主義、記号論、精神分析的批評、さらに新版での加筆ではフェミニズム、ポストコロニアリズム、カルチュラル・スタディーズなどまで、近代文学批評の地平をわかりやすく見通した最良のもの、という評価を得ているらしい。なるほど、読んでみるに非常に読みやすいことには一驚する。……もっとも、読みやすいといっても、それは類書に比べて、ということで、近代文学研究の基礎の基礎くらいしか齧っていない人、もしくはそれ以前の人にとっては、やはり難解な部類に入る本だろう。にもかかわらず、旧版は出て9年の間に18刷を数え、97年に出た新版も03年の段階ですでに8刷なのは、筒井康隆の『文学部唯野教授』の元本となったことで名が上がったためか。著者はマルクス主義文学批評家で、ポストモダン嫌いで知られる人。この本でも新版あとがきにおいてポストモダニズムをけちょんけちょんにけなしている。そのあ たり、確かに痛快でなくもない。
とはいえ、私がやはり近代文学研究というものに対して抱いているうさんくささというものは払拭できない。このうさんくささは何に起因するかと言えば、そもそも、文学研究というものが出現した根本の情動であるところの、小説を読むという行為への欲求、もっと露骨に言えば純粋な読書の快楽を下に置いて、何かそこに高尚な意味をつけくわえようとする下心のようなものを感じてしまうからである。論より証拠、 このイーグルトンの著作にも旧版の結論部分に
「(文学理論は)私たちの時代を概観できる特定の視座なのだ」
という一文がある。文学というものを、自分たちの立ち位地(それも“正しい”立ち位地)を見極めるための道具として使おう、という目的意識がそこには見てとれるのである。著者がマルクス主義者であるため、全ての批評は政治的である、ないはずがないし、またあらねばならぬ、という主張もこの結論において露骨に発せられる。私に言わせれば、そんな読み方はヨコシマなものでしかない。文学作品をいくら分析し、解体し、また再構築してみせたところで、読書の楽しみが一分と増すわけのもの でもない。
私としては、こういう批評よりも、例えばイギリスの19世紀文学研究家ジョン・サザーランドが『ヒースクリフは殺人犯か?』(みすず書房、1998年)で示してみせたような手法の方が好みである。彼は19世紀文学を、徹底してマニアックに読み込むことで、そこから当時の社会状況、そして文学状況を敷衍・検証することを専門とする評論家だ。豊富な知識を網の目のように張り巡らせることで、作品の裏に隠された意図や作者の内面を探ろうとする試みは、確かに古い手法ではあるが、第一、探偵小説を読むようなおもむきがあって読んでいて楽しいし、時には近代的書評以上 の先鋭さを見せる。
例えば、上記の本の中の一章『サー・トマスの富はどこから来たのか?』においてサザーランドは、この間亡くなったエドワード・サイード(イーグルトンと同様、文学の政治的分析を得意としたポストコロニアル主義の比較文学者)が『文化と帝国主義』の中で19世紀初頭の女流作家ジェーン・オースティンの『マンスフィールド・ パーク』を帝国主義的覇権思想の産物と指摘し、
「間違いなくオースティンは奴隷所有社会の一員であったのである」
と結論したことを、政治的文脈からでも、批評論的文脈の方からでもなく、ただ当の作品の中から、サイードが、多分、そのような分野に無知であったが故に見のがした一節を挙げて
「この小説にははっきりと、ファニー・プライス(注・この作品の主人公)が福音主義キリスト教のクラパム派に属していたことが述べられている」
と指摘し、奴隷制度に対し反対の立場をとっていたクラパム派として主人公を描いたオースティンが、奴隷所有社会に肯定的であった筈がない、と、サイードの独断をやんわりと、しかしかなり痛烈な皮肉をこめて斬って捨てている。サザーランドは現在、米英の多くの書評誌でコラムを書き、若手文学理論家の幼稚な事実誤認を片っ端からたしなめている意地悪爺さんとして著名であるという。こちらのやり方の方がよりワタシ的、“と学会”的であり、かつ、スマートというわけではないが議論を戦わせる場合には能率的なやり方である。もし、サイードの論に正面からぶつかっていけば、そこに繰り広げられるのは長々と続く、不毛な論争の嵐であろう。しかし、こういう、単なる(しかし動かしがたい)事実をひとつ指摘しさえすれば、後は相手が何を言おうと、もうそれで話はオシマイなのである。上記の指摘とその説明の箇所は、上記著作中の、たった1ページ半のスペースしかとっていないのだ。
7時半、起床。朝食、蒸かしサツマイモと黄ニラスープ。昨日とは打って変わった好天気。窓を開け放して風を入れる。ネットで、トリビア関係でリサーチ協力をしてくれているML参加者にお礼とその他のコメント。SFマガジンの新連載について、笹公人さんからメールあり。なかなか企画の形を決めるのに難航していたが、どうや らやりやすい形でやらしてもらえるようになったとのこと。
新宿へ出る。途中、参宮橋『道楽』でラーメン。今日は味噌とんこつというのを初めて試みてみる。なかなかうまいが、クセになるほどのものではなし。新宿いくつか買い物目的があったのだが、どれも不首尾に終わった。紀伊國屋に行って見る。角川文庫で出た雑学本の帯に“トリビアの泉も真っ青”との惹句。苦笑する。コピー書い た編集者も苦笑していたことであろう。
帰宅したら、太田出版からビデオが届いていた。去年6月のと学会東京大会の記録ビデオ。前に、このDVをもらっていたのだが、ウチではDVは見られないので、そのままにしてあり、何かの折りにとみさわ昭仁さんにお貸しした。太田から、ちょっと来年の大会の参考に見てみたいから戻して欲しいと言われて、とみさわさんに連絡したら、なぜかVHSにダビングされたものが太田に送られ、これでなくてマスターのDVの方を、と言われ、ちょっと混乱して両者への連絡が交錯した。要はとみさわさんのところからとっくにDVがK子のところに戻っていたのを私が知らなかったのが原因。ともあれ、めぐりめぐってやっとVHSにダビングされたテープが私の元に来て、ほぼ、まる五ヶ月ぶりにあの大会の模様を見返すことが出来た。
私の司会技術は、反省点が多いが、進行役としてはまずまず及第点か。基礎講座、発表エクストラ、候補本紹介、休息あとの談之助さんの落語、といくところまではまず、私が関係者でなくても90点つけられる出来だと思う。その後の運営委員と鶴岡によるトークは、いささか話が散漫になり、オタ話がえんえん。みんなもうくたびれ果てていたのであろう。次回はここをもう少しスッキリさせる必要がある。
見終わったらもう6時になっていたのに驚いた。まあ、公演自体が4時間あったのだから、飛ばし飛ばしでも3時間くらいはまず、かかるのが当然である。今日は結局仕事を何ひとつしなかったが、まあ、一日くらいは休日と思った方がよかろうと自分で自分を許してしまう。母から電話。惣菜類送ってくれたという報告の他、家の近くにある銀行の職員がこのあいだ訪ねてきたので、ウチはもう引っ越すから、と言ったらそうではなく、“じゃんくまうす”さんの日記によく出てくる唐沢さんというのはここの家かと思いまして、と、確かめに来たのだとのこと。なかなかマニアな銀行員さんもいるものである。
8時、伊勢丹会館内『三笠会館』でK子と食事。秋の特別素材として茸が揃っている。スープのパイ包み(壺焼き茸みたいなもの)を頼むと、ワゴンに何種類もの茸を乗せてきて、三種類をこの中から選べるとのこと。雪嶺茸というやつ、山伏茸、それに畑シメジを選ぶ。スープは上品なコンソメに、それぞれのダシが出て、大変結構であった。あと、いつものガーリックスパゲッティ、ヒラメのポワレ、鴨のロースト。この鴨はフォアグラ鴨だそうな。支配人は自慢げに説明してくれたが、要するにフォアグラを取った残りの有効活用ではないか。フォアグラはオードブルで出たが、日本 人向きにあっさりとした風味で、こっちの口にはあう。
食べてまだ10時。久しぶりに歌舞伎町のカラオケボックスで2時間。いつもはオタクソングばかりなので、今日は小林旭、井上陽水、ピンクレディー、それにキル・ビル鑑賞記念で梶芽衣子の『怨み節』など。この歌、つい歌い手が必要以上の、自分自身の怨念みたいなものを込めて“う゛ぅぅらみぃぃ、ぶぅぅぅしぃぃぃ……”と、ドスを効かせて重ーく歌ってしまいがちであるが、シネマスタア・コレクションに収められているオリジナルは驚くほどあっさりと、むしろ可憐とさえ言える声で歌っている。歌が勝手に歴史を付随させていく“『リリー・マルレーン』現象”というやつか。K子はアイドル歌謡専門。仕事場でずっと有線聞いていたせいか、80年代アイドルについては“誰それ?”というようなマイナーなものまで知っている。12時まで歌って帰宅、メールのみチェックして、すぐ寝る。