裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

水曜日

キム・デ・ジュン・ゴールド

 去年と違う〜今年の大統領〜(山口百恵シリーズ2)。朝7時15分起床。もう目覚めるときに“うう、寒い”という感覚。朝食、アスパラと甘い枝豆。店で売っている枝豆は、だだちゃであろうとここまでの香りと甘味が出ない。食うたびに感激。今 朝も梨はナシ。メールチェック。ML、いまだ大盛り上がり続いている。

 今日は午前中に原稿を15枚分片付けねばならない。まず〆切過ぎのはなはだしい道新こだわり選書原稿からかかる。今回は太田龍『縄文日本文明一万五千年史序論』(成甲書房)、飛鳥昭雄『ユダヤから来た日本の妖怪たち』(工学社)といった強力ネタが揃っているので比較的まとめるのはラク。毎月本を紹介するコーナーというのだと、時には不作の月もあり、どうしようかと頭を抱える場合もあるのである。

 8時54分にこれをアゲてメール。すぐ続けてフィギュア王『奇想怪想玩具企画』の原稿。数年前に書きかけて放っぽっておいたネタがあり、これを再利用する予定であったが、書いているうちに案外面白くなり、筆がノッてきて、再利用とは思えぬ面目一新のものになったのはまず、重畳。すぐに図版ネタをバイク便でワールドフォトプレスに送る。これが10時半。最近、ノッた時の筆の進みは自分ながら凄いと思うほどである。騎虎の勢いで、今日打ち合わせ予定の廣済堂の単行本用コラム二本、計6000字(400字詰め15枚)を、旧原稿の仕立て直しではあったが12時まで の1時間半でバリバリと書き上げる。

 昼はパックのゴハンを温め、冷凍庫の中のラム肉しゃぶしゃぶ用と、冷蔵庫に一個だけ残っていた小タマネギを刻んだものを炒め、飯の上に乗っけ、上から生卵とジンギスカンのタレをかけて書き込む。北海道風卵飯。アリモノでいいかげんに作ったものだったが、案外イケた。デザートに冷凍びわをつまみながら、ゆまに書房『愛の賛 歌』(水谷まさる)の赤入れ。

 この作品、最初は内容にもツッコミを入れる予定であったが、あまりにその入れるべき箇所が多くなりすぎたので、ツッコミは後で解説でたっぷり、と思い直し、用語の解説に止める。しかし解説といっても、なかなか面倒である。『紅ばらの夢』もそうだったが、この作品も敗戦直後の日本の風俗が細かに描かれていて、小さなエピソードにも、戦後の窮乏と混乱と、しかし戦争が終わったという希望とが、要素として満ちあふれ、見のがすわけにいかないのである。事物・事象ひとつひとつの解説が、どうしてこんなに楽しいのだろうと思う。ひとつのことを調べるたびに、戦後という時代が、ジグソーパズルの片を埋めていくように形をとって見えてくるからのような気がする。例えば、登場人物の一人が紙芝居屋をはじめるのだが、この小説が出た昭和24年こそ、紙芝居の大膨張の年であり、それは、この年にそれまで行われていたGHQによる紙芝居の検閲が廃止されたからなのであった。紙芝居屋は三年後の27年までに東京だけで3000人、全国で5万人という数に膨れ上がる。需要が一気に膨張したために、浮浪児であったその登場人物も、楽に就職が可能だったのである。

 その合間に打ち合わせ。2時、時間割にて廣済堂Iさん。原稿はすでにメールしてあるので、今後のスケジュール確認中心。トリビア騒ぎでいろいろご迷惑をかけているが、考えてみればあの番組の元本である『トンデモ一行知識の世界』の単行本時の企画者は、当時大和書房編集者だったこのIさんなのである。この人がいなければ、今のこのオマツリ状況もなかったかもしれない、と思うと、世の中のつながりというものの不思議さが身に染みる。懸案だった件をちょっと、ご相談。思ったより簡単に (編集者レベルで、であるが)応諾の返事が貰えて、ホッとひと安心。

 帰宅、すぐ赤入れ続き。完成させて3時半、昨日FAXで来た『紅ばら』の注釈ゲラと一緒に、バイク便でゆまにTさんの元へ送り、ふう、と息をつく。それからすぐに東武ホテル、小学館の本のことで打ち合わせに。編集者さんお二人を時間割へ案内して、打ち合わせ。先日連絡のあった、“学年誌のウルトラマン記事採録本”のコラム依頼の件である。一応、小学館が権利を持っている『帰りマン』以降のものではあるが、珍記事、貴重な資料がいっぱい。就中、『帰りマン』のコミカライゼーションを、あの坂口尚がやっているというのは意外も意外。しかも、絵もセリフも、モロにあの坂口調なのである。三回で森東よしひろ氏に交代してしまったとのことだが、このタッチでは子供たちウケはよろしくなかったであろう。ウルトラマンブームが生ん だアダ花のような怪作である。

 編集さんお二人とも私のファンらしく、話はウルトラマンを離れてもはずむ。打ち合わせ終わって、一旦帰宅、メール数通。清朝宮廷料理である“魯菜”の料理人認定を受けた唯一の外国人である日本人女性(その後革命で宮廷料理は弾圧され、本国では滅びてしまったので、彼女が唯一、その料理の伝統を受け継ぐ者となった)を描いたドキュメント映画の試写の案内状が来たので、植木不等式氏にこれはお知らせしないと、とメールしたり、大阪古書籍共同組合発行の月報誌への原稿依頼への了承のお返事をメールしたり、ネット四コマ関連でWAYAさんにプロフィールを書いてメールしたり、連絡事項煩瑣。某出版社から電話。こんど雑学知識もののレディース四コマ漫画雑誌を立ち上げるので(どういうものだかちょっと想像しにくいが)、それに参加してくれますでしょうか、とのおたずね。お仕事でしたら何でも、と答える。まだ年内創刊というだけで何も決まっていない(大丈夫か)ので、カラサワさん参加ということでまた会議して、決定したらお電話します、とのこと。トリビアブームの特徴というのは、中心からその波及がいきなり末端に及ぶことではなかろうか。

 これだけつまった予定だと、脳内アドレナリンが分泌されてそれほど肉体的疲れを感じないのだが、やはりこないだの旅行以来、疲れは溜まっているはず、と、残った執筆予定をキャンセルし、新宿に出て、マッサージを受ける。センセイも“背中の凝りがちょっと深いとこいっちゃってますね”と、いつもの指圧でなく、腕をとって逆にねじって、グイグイと体を押しつけてくる、変わった揉み方をしてくれる。レスリングで、相手の腕をとってねじ上げる、あのスタイルである。試合を見ているとやたら痛そうだが、かなりキツイが関節技ではないのでそう痛くもない。こうすると、普通の揉み方より、芯の方まで届くのだそうな。“プロレスやってるみたいだ”と言ったらその通りで、センセイの友人に佐山サトルのジムの人がいて、その人から習った マッサージ方なのだそうである。

 タクシーで渋谷駅に戻る。駅前でK子と待ち合わせ、すっかりK子のいきつけ店となった元住吉・“おれんち”まで。通勤特快なので、武蔵小杉まで30分かかるかかからないかというところ。で、駅から歩いて15分。都合45分というのは、浅草や上野よりもなんぼか近い。先日、私がアニドウの上映会に行ったときにあのつくんやI矢さんを引き連れていったときの味がK子忘れられず、今回はカウンターに座って(ここの店でカウンターに座るというのは特別な意味があるらしい)味わいたい、というので、またやってきたのである。ついでに、Web現代用の写真も撮らせてもら う。

 若主人がK子を気に入ったらしく、いろいろと世話を焼いてくれる。今日はおまかせで、と頼む。まずはベルギービールで息をつき、冬瓜とつくねのスープ煮のつきだしをつまみながら、調理場での主人親子の仕草を眺める。おまかせの場合、板前さんの動きを見ながら、次に何を作ってくれているのか、を推理するのが楽しい。焜炉の上で、地鶏を煙をもうもう立てながらやく、燻り焼き。煙の風味と肉のジューシーさが味わえる逸品。ビールがすぐなくなり、K子に怒られるがこんなつまみが出てきて は仕方がない。

 芝エビの唐揚げやカキ酢、カキのイタリアン風などが出たあと、お造り。見事な北海道産ボタン海老に、活き締めのコリコリした鯛、かつおのたたき、キンキなどがほんの一口ずつ、それに千葉さんのイワシ。いずれも口に入れてウン、という味。そして焜炉を卓上に置いてのあぶり焼き、焼き物は季節ものの松茸、形は悪いが香りと歯ごたえはまさに松茸。それと椎茸、これはおおぶりもいいところで、しかし長野の椎茸のようにダラリとしていない、まるで椎茸の健康優良児とでもいいたくなるほどのほれぼれとする椎茸。さらに舞茸、とこぶしを活きたまま、そして魚卵嫌いのK子がうなったというカラスミ。さっと両面の色が変わるくらいにあぶって、噛みしめると表面のパリッとした歯ごたえ、中身のモッチリネットリ感が一度に来て、そしてじん わりと濃い風味が口の中に行き渡る。

 さらに海老とはまぐりの天ぷらが出て、そこらでそろそろお腹もくちくなるが、もう一品行きますか、と言って出てきたのが、長さ一メートルはある、竹を立てに断ち割って色を塗り、つまみ置きにした容器に一口ずつ盛られた珍味の数々。沢ガニの唐揚げ、からすみの燻製、ずわいがに味噌、タラ白子、どじょうの唐揚げ、燻製卵、さらしくじら、百合根のホイル焼き、焼き枝豆など、全部で十種類はあった。日本酒を クイクイ。

 〆はお茶漬け。ただし普通の茶漬けではなく、小さめのオニギリを二個、焼いて、それに出し汁をかけて、箸でこれをほぐしながら食べるオニギリ茶漬け。香ばしさの極み。ここは11時ラストオーダーの筈なのが11時過ぎてもまだ入ってくる客もあり、われわれも店の人と雑談しながら、12時近くまでいた。ぶらぶらと歩いて駅まで帰り、最終近くの電車がちょうど出るところだったので飛び乗る。こうまで通いなれると、もう遠さをほとんど感じない。近い遠いというのは感覚のものであるらし。実際、いつも中目黒で降りるのだが、まだだろう、と思って乗り過ごしてしまい、代 官山で降りてタクシーで帰ったほどだった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa