裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

月曜日

松坂さまに落ちていく

 慶子さまの色香に迷い人生の谷底へと。朝、5時半に起床。サンマーク用のコメント原稿を書く。7時半までの2時間に20本ほど、原稿用紙にして7枚強、書いて編集部にメール。すぐ朝ご飯。昨日紀ノ国屋で買ったキャベツを千切りにして、上に健康ナッツ(カボチャの種、松の実、クコ)をふりかけ、ノンオイルドレッシングにエコナ油のマヨネーズを混ぜたものをかけたサラダ。それと小トマト一ヶ。

 食べ終わって8時半、またパソコンの前に座ると、すでにしてTさんからの“受け取りました”、という返信。この人も早い。それから続いてまたザクザクと書き進める。10時半までにさらに16本、8枚あて送信。やたら凄い勢いで書き進んだように思えるが、考えてみれば1時間4枚、さまで大した量でもなし。睦月影郎さんの半分のペースだろう。しかし、それからモノマガジン企画ページ用の使用図版ブツ指定と全体の構成ラフを編集部に送り、向こうから折り返し電話でその中で一本、使用不可のものがあったため、代案を考え、その間にリース会社からプリンターのインクトナーが届いたので受け取ってセットし、昼飯まで作って食ったのはなかなかハカがゆ くことではある。

 昼飯は昨日のコロッケの残りで、昨日と同じコロッケ丼。ネギとシイタケの味噌汁を添えて。昨日は大根の味噌汁だった。朝岡スパイス社の粉末フュメ・ド・ポワソンをダシの素代わりにして、上品な浜汁っぽい風味に作る。かきこんで、急いで家を出て、1時、時間割。サンマークTさんに、ここまでの赤入れゲラ(ネタのカットや差し替え、移動などの指示入り)を渡す。雑談しばし。いやあ、もうテレビではそんなに稼ぐ気はないですよ、一時に欲かくと長続きしませんからねえ、などと余裕のあるところを見せつけたそのスグ後で、こっちの部数や定価については“いやせめて、これくらいは出してもらわんと”などとガメツイところを発揮。どうも言動が矛盾して いたようだ、と、後で思い返して自戒。

 帰宅したら、モノマガジンからさっそくページ構成デザインがFAX。それから、マガジンつながりというわけでもないが、ワニマガジンから、レディーストリビア誌の具体的ギャランティ提案のFAX。ネタ出し代、監修代、執筆代などと細かに項目が別れているが、総額も、それぞれの項目ごとの額も、こちらの予想とだいたいピッタリ。二万と違っていない。以前、レディースコミック誌を丸抱えしてやっていた当時のカンはまだ鈍ってないな、とニヤリとする。もっとも、こんなカン、今持ってい ても何の役にも立たないが。

 3時15分、さらに17本ばかし、書き上げてメール。打ち合わせ等での中断を勘定に入れて計算すると11時からの3時間半で9枚弱。昼飯を食ったのでちょっと頭に血がいかなくなり、ペースが落ちた。それでもサクサク行くのは、コメント原稿のため、全体構成と文章の質を考慮に入れなくてもいいからだろう。なにより、調べながら書くので、どんどん新知識が飛び込んできて、書いていて楽しいのがはかどる原 因であると思う。毎度こんな風に進めばいいのだが。

 3時半、家を出て、お台場までタクシー。レインボーブリッジから見るお台場付近に夕日がさしはじめていて、まことに美しい。タクシーのナビゲーターに“台場二丁目、フジテレビ”と出て、そう言えば地名はただの台場で、ゆりかもめの駅も台場駅なのに、いつも“お台場、お台場”と“お”の字つけで呼ぶよなあ、と気がついた。交通などの案内表示もほとんどが“お”台場表記である。台場というのはそもそも、江戸幕府が幕末に各地に海防のため大砲を備えさせた、その砲台を置く場、という意味である。お上の施設故に、庶民はみな、御の字を冠してお台場、お台場と呼んだわけであろう。幕府を倒した明治政府の機関の末裔たる現在の役所は敬称を抜いて呼び捨てに台場と表記し、駅名もそれにならうが、都民はいまだ江戸の名残で“お”の字をつけて呼び、徳川時代を偲んでいるということか。

 例によりフジ内部をえんえんと歩き、打ち合わせ室へ。ディレクターK氏と二人切りで顔をつきあわせながら話を詰める。内容はオフレコ。こっちの示した提案、二案とも結果的には却下。ただし、むこうの提案がちょっと意外であったし(逆に手間かかるであろうに)、それならば……とこちらも納得することにする。満足というわけではないが、所詮テレビのすることである。会話中に氏の携帯が鳴る。まあ、当然と言えばこれほど当然な話はないのだが、着メロが“へぇ、へぇ”であった。当然、なのではあるけれど、“うひゃあ、スタッフまでこれ使ってんのか”という驚きがあった。私には恥ずかしくてちょっと出来ない。雑談も少し。一般視聴者のモノ知らずなことには、スタッフもややあぐね気味らしい。どんなに薄い内容のものを作っても、まだわかりにくい、難しいという声が出る。あまつさえ、パネリストの……いや、こ れは言ってはマズい。

 話終わって、ではその件よろしく、と言われて出る。結果としてタダ働きが増えたわけだが、K子も珍しくこの件に関しては、“協力してやんなさいよ、番組が出来るだけ長く続くように”と言っているんで、まあいいとするか。番組に関しては、続くようにというより、局の方で“やめさせてくれない”と、スタッフ一同悲鳴を挙げているようだ。帰りのエレベーターを待つ間に、30歳くらいの局員に“ヤッ”という感じで挨拶された。顔に見覚えがないが、いやに親しげな挨拶だったので、やはり前に会った『トリビア』のスタッフだったっけかな、と思い、ニコッと笑って挨拶を返す。が、どうも、見ているとこの人物、出会う人物出会う人物に、片端から“ヤッ”“ヨーウ”“どうなの、最近”などと声をかけている。相手は無視しているのが大半なところをみると、どうもいつものことであり、見境なしらしい。一般の社会なら、どこか精神に異常を来した行動と思われるだろうが、テレビ局内では、この程度はさ まで奇態にも思われないのである。

 帰宅して、またサンマーク。8時15分に、本日最後の17本をメール。8枚半。本日の原稿執筆枚数、計400字詰め32枚見当。凄いように思えるだろうが、凄いというのはこれを毎日続けることであり、突発的にこんなに書いたってあまり(原稿 を待っているT氏以外には)意味がない。

 8時半、船山でK子と食事。今日は神無月コースというやつ。今日はパイデザの平塚くんがK子の仕事場にメンテで来ており、“一緒に来る?”と聞いたら、“いえ、最近美食が続いているんで、今日はパスします”と言ったとのこと。ところが、すぐ追っかけで店に電話があり“やっぱり行きたいんですが、夫婦で行っていいですか”とのこと。行っていいも悪いも、ワリカンである。ウマヅラハギの笹寿司、ぎんなんとむかごの唐揚げ、菊と蟹の酢の物が、ほんの半口くらいずつの前菜からはじまってあとはお造り(なんと鯨肉が出た。イワシクジラであったが、言われなければ牛肉の刺身かと思うところ。あの鯨独特の風味はもう少し熟成させて出すものだとか)、芋饅頭の蒸しもの(身欠鰊の濃厚さとダシの軽い風味とのとりあわせの妙)、K子のリクエストによる土瓶蒸し、それからグジ(甘鯛)の若狭焼き。若狭焼きというのは、ウロコをとらずにダシ醤油を塗って焼く料理法を言うとのことだが、ここのはウロコはとってあったような。何にしても、目の下20センチはある中位の甘鯛のひらきが一人一皿、つく。ここまでワイワイはしゃぐようにして食べていたK子も平塚夫妻もちょっとこれに至って沈黙。ヒレも眼肉も全て味わいしゃぶり齧りつくし、甘鯛の原 型が消滅するまでただ、ひたすらに皿をつついていた。

 あとは天麩羅(帆立)、茸ご飯、デザートに柿と葛切り(ATOKには“葛切り”が入っていないことを発見)。“いま、熟成させている最中”と言ってみせてくれた巨大なカラスミに驚嘆したり。ともあれ、我々が行く店というのは格式なんぞより味重視で、お行儀も見た目もなく齧りつくような店が多い中、珍しく本式に、しかし堅苦しくなく正統派の和食を味あわせてくれる船山というのは実に貴重なお店である、と改めて思う。それにしても平塚夫妻、完全に美食ジャンキーになったな。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa