裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

9日

木曜日

六根清浄ウイドウ

 懺悔懺悔懺悔ばかり気にしてる〜(山口百恵シリーズ3)。朝、7時45分起床。何だか凄く面白い夢を見たのだが全部忘れた。朝食、枝豆とトウモロコシ。道新こだわり選書から校正原稿がメールで届く。ここも最初この欄を引き受けた頃はネット環境が充実しておらず、担当者はまだパソが扱えたが、緊急で電話すると上司らしき方が出て、出先のメアドを伝えようとしたら“いやあ、私、そういうの弱いんですよ”と、メモとることすら拒否されたりして往生した。そんなところでも、今や校正までメールで出来るようにまでなったか、とちと感慨。もっとも、なぜか文字バケが毎回ある。内容について一部質問があったので、確認できるサイトを指示。

 入浴、洗顔、歯磨如例。電話あり、旧知の某さんから、個人的なことでちょっとご相談あり、至急会えないかとのこと。12時に時間割で、ということにする。昨日届いた光文社文庫版江戸川乱歩全集9巻『黒蜥蜴』の、私の執筆したエッセイの部分の み読む。内容はウニャムニャなるが文章のテンポのみはよろし。

 12時、家を出て時間割。某さん、いつになく落ち着かなげな顔で、シュワルツェネッガー大勝利の記事などを読んでいる。雑談ちょっと話して、本題。要はいま転機となる状況に自分がいるのだが、さて進むべきか否か、というような問題。某さんに私は大変お世話になっているので、彼が今の職場を離れるというのは実は私にとってイタいことなのだが、しかし彼が今の場所で出来る仕事というのは、もうやり尽くしてしまっていると思う。新天地も私のよく知るところであり、いささかアヤウゲな噂もあるところなのだが、チャレンジしがいはあるところだろう。このまま安定を望むのは反対。いささか無責任だが、協力は惜しまない、大いにおやんなさいとハッパをかける。

 彼を送り出して、1時、入れ替わりという感じでサンマーク出版Tさん。ゲラを貰うが、ネタ数多すぎの感。500円でこれだけサービスすることはない(第一、続編が出しにくい)のではないか? と思うのだが。スケジュール確認。トリビアがらみの仕事(これもそうだ)でお忙しいんじゃないですかと言われるが、まあネット関連でひとつ、大きめのが入ってきた以外は、これといったものもまだ無しの状況。テレビの仕事と言うと派手に聞こえるが、そんな実入りのいいものじゃない。ブームに乗ることは絶対必要だが、乗りつつも同時に、その騒ぎが終わった後、を考えて布石を打っておかないと本当にあぶない。エヴァンゲリオンブームのときに、オマツリ感覚でいた連中がいま、どうなっているかという先例がちゃんとあるのである。

 打ち合わせ終えて出て、チャーリーハウスで遅めの昼食を取る。豚肉からあげに、甘酢あんのかかった定食。うまいがいささか胸がつまる。食べると汗。帰宅して、また某MLで集まった情報を依頼先にまとめて送付。こういう細かな作業も楽しい。電話いくつか。モノマガジンですが……とあったので、“ああ、〆切の件(なをきが旅行のため早まる)は了解しました”と言ったら、全然話が通じずにしばし混乱。まったく別件の特集記事の件であった。あと、『編集会議』からも特集記事関連でインタ ビュー依頼。いずれもトリビアとは何の関係もなし。そんなもんか。

 ちょいと横になって資料本読むつもりでいたら、グーと寝てしまう。気がついたら5時半。夢も見ない熟睡であった。ゆまに書房赤入れ原稿、バイク便で送る。読売新聞夕刊に昨年七月の前橋女子高生拉致殺害事件の犯人に無期懲役が言い渡されたという記事が載り、裁判長が判決主文読み上げの最中に、犯行のむごさを記述した部分で 一分間、絶句してしまい、さらに死刑でなく無期となったことに対し両親に
「納得はいかないと思いますが、国家が死刑という判断をすることは難しいこと」
 と語りかけた、というのがあって、読んでどうしようもない情けなさと怒りを覚える。犯人にではない。このフヌケのような裁判長に、である。

 およそどの職業であっても、プロとしての資格の基本は“感情に流されない”ことである。殺人事件の現場で青くなる刑事だの、ガン患者への告知が怖くて出来ない医者、勝てる試合を負けがこんでいる相手チームへの同情から譲ってしまうプロ野球の監督などという存在が、人間味には富んでいても、プロとして失格なのは当然のことだ。司法のプロたる裁判官が、判決文朗読で涙で声をつまらせるとはなにごとぞや。人情などという不確定要素でなく、厳然たる法律手続きによって刑が決定されるからこそ、われわれは安心してその法律に身の安全をゆだねられるのである。何より許せないのは“国家が死刑という判断をするのは難しいことです”などと臆面もなく言ってのける神経で、なら死刑というのは誰がどう判断すればいいというのであろうか。この思想は暗に日本に私刑、敵討ち、ヴェンデッタの風習を認めることになる。法治国家というのは、個人からそのような権利を取り上げ、その代わりに国家が犯罪人とはいえ、一個の人間の命を奪うという重荷を背負う、そういうシステムであろう。いわば死刑の決定と執行は国家の義務であり、責任なのだ。その責任を裁判官が放棄したに等しい今回の言葉は、日本という国がもう安心して住むことの出来ぬ無法国家に なってしまったことを意味することではないか?

 8時、家を出て参宮橋までタクシー。そこから小田急線で東北沢。おなじみの某スペイン料理店。8時半に予約して、直前に電話してみると“たぶん、(席が)開くと思う”というような返事。カウンターのみの店なので、こういうアバウトさは仕方ないのである。最初のぞいたら満席の様子なので躊躇するが、奥の席が空いていた。早速スペインワインのマルケスなんとかを頼み(メモとったはずだがメモがどこかへ消失した)、吉例のハモン・セラーノとイワシ酢漬けで。さらに野菜の卵とじ。前にはここでたらとジャガイモの卵とじをウマイウマイと食べたが、こっちもまた佳品也。

 その次がムール貝のスープ煮。今日のムール貝はいつものやつの倍くらいの大きさがある。スゴイですね、と言ったら、今の季節はムール貝が痩せるので、大きいやつでないと、ということだったが、痩せているどころか、ふかふかの巨大なやつを噛みしめるときのその至福感、まずこれまで食べたムール貝のイメージを一新するに足る尤物。隣の席には女性三人連れがかしましく歌舞伎談義。やれ仁佐衛門がいいの、福助がどうのと話しているが、三人が三人、顔がどう好意的に見てもおヘチャの部類であり、しかしこういうのが何か“正しい”ミーハーであると思って、そのさえずりを いい気分で聞く。何にまれ、ミーハー人気のない分野は育たない。

 料理続いて、鳥もつとモルシージャ(スペイン風ブラッドソーセージ)の煮込み。これが絶品、甘めのスープに、とろけるほどに柔らかく煮込まれたもつと、濃すぎるほどのコクのあるモルシージャが入り、ワインとパンがこれほどあう料理というのもちょっと考えられないほど。いかにもスペイン風の、洗練を敢えて拒否した感じのある田舎料理である。カウンターの中に、今日は手伝いで、黒いシャツに黒い長い髪の若いお嬢さん(マスターの知り合いの娘さんらしい)が入っている。この子が、卵を剥いたような感じの美女で、長く美しい首筋から肩にかけての線を眺めているだけで楽しい(じろじろ眺めても視線が猥褻に及ばないのは老人の特権)。いかにもこういうスペインレストランに似合った美人なので、K子が“フラメンコやってらっしゃるんですか?”と訊いたら、イエ全然、という答え。スペインにも行ったこともなく、その黒髪も、“もとが赤毛なんで、黒く染めてるんです”とのこと。茶髪金髪全盛の この時代に、黒く染める娘がいるとは。

 料理、〆はいつものアサリのリゾット。今日は砂も入っておらず、気持ちよく食べられた。すっかり堪能して、タクシーで帰宅。K子と話して、今年の冬コミ用の雑学本のタイトルが決定。『トリビアの歪(ひずみ)』。いろいろ返事必要なメールや手紙も来ているが、ワインの酔いで応じられず、バタリと倒れ込むようにして就寝。

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