3日
金曜日
襟裳の春は何もないバルテュス
日本最北端の美術館に、このたび著名なフランスの画家の作品を展示できましたことは大きな喜びで……。朝、8時起床。朝食、枝豆と明治屋で買った梨。やはり西村 に比べると甘ったるい、K子に言わせれば俗な味。
ゆまにの赤入れにまたチェックを入れる。戦後まもなくの風俗がかなりリアルタイムで描かれているものなので、読み返すたびに解説部分が増える。しかし、調べるということの楽しさよ。横山美智子『野ばらの夢』は以前『美少女の逆襲』でもとりあげた、いかにも少女小説的なベタ甘い作品だが、主人公・葉子が田舎の子供たちに、“そんな歌うたっちゃいけないわ”と禁止する下品な流行歌として挙げられているのが久保幸江の『トンコ節』で、代わりに彼女が子供たちに教える上品で教育的な歌の中に“誰が風を見たでしょう……”で始まる、クリスチナ・ロゼッティの詩を元にしたものがある。これ、調べてわかって笑い出してしまったのだが、『トンコ節』の作詞も、ロゼッティの詩の訳も、共に西条八十なのであった。恐るべし、その幅の広さ よ。芸術家はこれでなくてはいけない。
快楽亭からお仕事依頼。11月15日(土)に、浅草木馬館でまた出演して、何かしゃべってくれとのこと。別に今回は解説とかトークとかでなく、完全に“お笑い”のひとコマとしての出演依頼である。引き受けはしたものの、はて、あの上映設備も何もないコヤで、私がいったい何をやればいいか、ちと考えなくては。
1時、家を出て時間割。準備して、さて、というときに電話がなる。小学館から原稿依頼。昭和40年代にウルトラマンが放映されていた当時の出版物に載った特集記事などを集めた本らしく、それに何か当時の思い出を書けという、まるで私の存在意義確認みたいな仕事である。こういうときは普通“いま、出ますので、詳しくは後で連絡するのでFAXを……”とか言うのだが、つい、そこで“ああ、それはいいです ねえ”などと話し、打ち合わせの日取りまで決めてしまった。
そのせいでちょっと遅れて時間割、ゆまにMさん。遅れた上に、赤入れをも少し充実させたいということで、持っていったのが原稿の三分の一のみ。申し訳ない。西条八十の話にはMさんもひっくり返っていた。他にもこの復刻シリーズでは西条八十作の『人喰いバラ』などを出すのである。“西条八十、この企画のキモですねえ”と。
打ち合わせ終えてチャーリーハウスに入り、パイコートンミン。大急ぎで食えるもの、という選択肢でのチョイスだったが、ちょうどガス台でチャーシューを煮ていたところだったので(この店は狭いので、二機のガス台のみで全ての調理をする)しばらく待たされる。食べてタクシー、お台場のフジテレビまで。快晴で、高速からのお台場の眺め、非常に美しい。フジは打ち合わせに出向くのには不便なところだが、これは楽しみなのである。以前のフジテレビ(曙橋)は、今のような観光スポットの真ん中とは対照的な地味な場所にあって、テレビ局のくせに車の極めて停めにくいところだった。私個人としては、そういう薄汚れた場所で夢の番組が製作されて、全国に放送されていく……といったイメージの方が好みなのだが、自分の好みばかり言って も仕方がない。
到着して、案内してくれたのが新人スタッフの人で、途中で“あ、すいません、道を間違えました”と、あっちこっちへ。まあ、それだけ内部が複雑な作りのビルなのである。関連会社のポニーキャニオンなどまで移ってきてしまっているので、部屋数が足りなく、廊下に仕切りを設けて部屋みたいにしているところもある。“『トリビアの泉』視聴率○○パーセント達成!”などと墨痕淋漓に書いた紙がべたべたと貼ら れているのは選挙事務所みたいである。
『トリビアの泉』ディレクターKくんと打ち合わせ。詳しい内容はオフレコ。ただ、これまではネタ提供のスーパーバイザーという(あたかも先日のトンデモ落語会で、ブラ汁に“いったい何をしてるんだか”と言われたような)ナンジャモンジャなかかわり方であったのが、一気に、かなり深く番組製作そのものに関わる部分をまかされてしまうような成り行きである。こちらで用意していった番組への意見具申が、まさに今、現場でも課題になっていることであったためらしいが。人気番組ゆえのツラさもいろいろコボしてくる。もちろん、協力は惜しまないし、ある程度の腹案もあるけれど、やっぱり仕事量が増えるからには少しギャランティも上げて欲しい、と要求。テレビ局というところは、放っておくとどんどんタダ働きをさせられてしまうところである故に。いろいろ番組のウラ事情も聞く。こんな人気番組なのに“ええっ”という話も聞き、ああ、さすが人気番組で、大変だな、という話も聞く。テレビというの は本当に、毎日よく穴もあかずに放送されているものだ、という思い切。
帰りに車の手配をしてくれた若いスタッフは私の本のファンらしく、この番組かかわっていながら、やっと私に会えました、と言ってくれた。ちょっと濃い裏話を聞いて喜ぶ。配車してくれたタクシーで渋谷まで。すぐ仕事場に籠もる形で、『Memo男の部屋』原稿書く。4時過ぎ、メール。それから、『トリビア』関係の仕事。腹案 をまとめて、某MLにメール。反応がよくて、すぐ返事が来た。
それやこれやの応答が8時半まで。半にK子とマンションの下で落ち合い、二人でタクシー飛ばして下北沢『すし好』。今日はいろいろ打ち合わせもあり、原稿書きもあり、でテンパっていたので、生ビールを一気にグラス半分くらい、くーっと飲み干したところで、体の中に張りつめていた糸がふうっ、とほぐれるような感覚を感じたことであった。白身はヒラメ、それからコハダ、甘海老。黒ソイの薄づくりなどで、日本酒(燗)とそれから焼酎。カウンターの隅に、70代と思われる大柄な老人と、小柄な老婦人、それと30代くらいの男がいて、飲み食いしながらしきりに話し合っていた。若い男は黒のスーツにネクタイ姿だったが、老人はTシャツの上にハッピを来ている。ハッピに“ぶんしゅん半ちゃんギャルズ”と書いてあったのはいったい何か? “ぶんしゅん”とあるからには文藝春秋社の関係者かも知れず。なるほど、昨今の出版不況のことなどを話し合っていた。
「出た本をすぐ文庫に下ろすから、単行本が売れなくなるんだ。文庫ってものを一切廃止すれば、単行本が売れるようになる」
とか言っていたが、そういうもんでもないと思うが。