裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

金曜日

ハーバード・ビヒズス・スクール

 乳酸菌についての研究でMBA(*)を習得しました(*: Master ofBacteria Administration)。朝、『愛と誠』の早乙女愛の名前は本当は愛ではなくて“筥”だ、と言うことがわかった、という夢を見る。私は“しかしそんな字では誰も読めないから、愛に変更したのは正しかった”と、そもそも本当の名とは何のことだ、という理解に苦しむシチュエーションには全く疑問を抱かずに、ひたすら納得、感心していた。だいたい、なんで筥なんて字が出てきたか。

 7時15分起床。昨日に引き続き寒い。朝食はゆうべ全日空ホテル内のベーカリーで買ったソーセージパイとダークチェリーパイ。中国の友人宇宙飛行についていろいろな人がいろいろなことを言っているが、産経新聞の社説がなかなか笑えた。大意をかいつまむと“いや、日本にも出来ないこのような快挙を成し遂げるというのは立派だ。素晴らしい。大したもんだ。……こんな立派な国に莫大な援助をするのは失礼にあたるから、もうストップしたらどうか”。知り合いの物書きで、借金している相手のサイトで、いかに自分がいま仕事で忙しいかをとうとうと自慢して、さすがに呆れられて“なら、金返してくれんか”と言われていた奴がいたのを思い出した。

 歌手の塩まさる氏死去、95歳。“くだんのはは”と聞けば、たとえ小松左京ファンであっても、元ネタであるこっちの『九段の母』(塩氏の代表曲)をまず、思い出さねばいかんのである。それが順序だ。生涯現役をつらぬき、毎年、九段で開催される軍歌会に出席し、去年も車椅子で歌っていたと睦月影郎さんに聞いた。私はこの人の名は、徳川夢声の戦争日記で知った。一緒に南方慰問にまで行った仲であり、以前に、まだお元気と知ったとき、インタビューして夢声のエピソードなどを聞いておこうかと考えたこともある。今にして思えば、無理しても聞いておけばよかった。

 藤井総裁の顔がテレビに映るが、この馬面の笑顔も、いかにも他人を小馬鹿にしているようで、得難いキャラクターである。一方の石原国交省の、余裕のない態度といい対比になっている。……マスコミの多くはこの藤井総裁の開き直りが小泉政権の無力さを浮き彫りにして、選挙に向かって大きな逆風になった、と騒いでいるが、はたしてそうか。野中去り、江藤も去り、亀井にも従前の気勢なく、菅民主党が思ったほど国民の支持を集めていない今、抵抗勢力がいなくなった小泉政権にとっての落とし穴は、もともとコワモテの気味のあった小泉首相の独裁体制に対する国民の不安ではないのか。まだまだ改革には手強い敵が残っているのだ、ということをアピールし、オクサマ族の母性本能をくすぐる“いじめてくん”役に適任の石原伸晃をアテて同情票を狙おうとしている、これは小泉流人事の裏技なのではないか、とカングっている のだが、違っているかしらん。

 午前中からせっせと『近くへ行きたい』単行本の原稿チェックをする。今回の本は傑作選的なものなので、あまり大幅な改訂はせず、字句の修正と、最低限の書き足しに止めるという方針なので、サクサクとは進む。12時にYくんと打ち合わせなのだが、出来た分だけでもプリントアウトして手渡そうとしていたら、プリンターがいきなり紙づまり(それも、20枚以上の紙を一度に噛み込ませる大づまり)を起こし、修復しているうちに、トナーのインク送り用の歯車がスッポ抜け、粉インクが大量にあふれ出すというえらい騒ぎとなる。歯車の歯がどうやら欠けていたらしい。これは素人では手に負えぬ、とリース会社に電話し、修理に来てもらうよう頼むが、今日すぐというわけにはいかず、早くて月曜になる、とのこと。今回は特に急場のことではないが、しかし、プリントアウトが必要な件であったなら、私のような物書きにとって、プリンターの故障は死活問題。もっとサービスに手が回る会社に乗り換えるか、 と真剣に考える。

 12時、時間割でYくん。一応、プリントできた分だけ手渡して、あとは今日じゅうにメールするから、と告げる。こっちは今日じゅうということで、どうだ早いだろう、と自慢のつもりだったが、Yくんに言わせると、今日が本文原稿のタイムリミットだったので、ギリギリだったのだそうだ。それは知らなかった。ついでに、この連載、あと2回で終了なのだが、その後の新連載のこともちょっと話す。最近私が忙しくなっているので、月イチにまとめ撮りできる朗読コーナーなどはどうか、と言われる。飛び込みがあると遅れがちにはなるが、まだそれほどキツいわけではない。とはいえ、動画での仕事は前からやってみたかったので、ちょいとそれには乗ってみたい気がする。ネックは単行本化しにくいことだが、映像を取り込んで、私の話はテープ起こしにすれば何とかカタチになるだろう。企画書は後で書くが、下ネタでやりたいとYくんに言っておく。最近、エラそうなイメージになってきた部分があるので、初心にもどってエロ雑学コーナーなどをまたやってみたいと思うのである。

 打ち合わせ後、バスで参宮橋まで行きノリラーメン。とんこつ味噌ラーメンというのを始めたそうなので、一度試みてみようとは思うが、今日はいつもの。そこから今度は青山に出て、切れているパンや野菜等を買い込む。それから後は帰ってひたすら残りの原稿をだだだとチェック。3時までに16本全てチェック終了、メール送る。その間に、プリンターのメーカーであるE社から電話あり、B社(リース会社)から連絡あったが、今日担当のものがたまたま渋谷にいるから、これから修理にうかがっていいか、という連絡。もちろん了承して待つ。パソコン周辺機器の修理技術者というとエンジニアぽくてカッコいいが、やってくれることはクツシタはだしでベランダにそのプリンターを持ち出して、トナーインクのこぼれたのを掃除する作業。大変だなと同情。どうにか理由もわかり、壊れたトナーを持ち帰る。結局、トナーは新しいのに交換しないとダメで、B社に電話して、月曜に届けてくれるよう頼む。B社はE社が今日、うちに来たことに驚いていた。何とかしようと思えば何とかなるのだ。

 5時、家を出て銀座に向かう。45分、銀座松竹本社ロビーにて植木不等式氏と待ち合わせ、中国人監督が日本のNHKエンタープライズとの共同製作で作ったドキュメンタリー映画『味 Dream Cuisine』試写を見る。四谷にある山東料理店『済南賓館』の佐藤孟江・浩六夫婦を主人公にしたドキュメンタリーだが、植木氏は昨日、その済南賓館で食事をしてきたという。さすが、下準備というか舌準備というかは怠らない人だ。彼を誘ったのは、そうすれば映画について、さまざまな補足情報を得られるだろうというアテコミだったが、思惑以上。テーマになっている魯菜 について、いろいろ教示受ける。

 試写室に人は十人ほど。地味な映画だから仕方がないか。植木さんの名刺の肩書を見て、配給会社の人がとんできて名刺を渡していた。映画は、戦前の済南で生まれた孟江さんの数奇な人生を解説していく。若かった彼女は魯菜料理に惚れ込み、その修行をするが、やがて戦争、そして終戦となり帰国。後に中国は文革の嵐が吹き荒れ、高級料理であった魯菜はブルジョア的遺物として迫害を受け、その伝統が途切れてしまい、皮肉なことに日本人である孟江さんがその伝統を受け継ぐ最後の一人となる。彼女はやがて中国政府に魯菜料理の指導者として招かれ、丁重な待遇を受けるが、現在の中国では大衆の嗜好が変化し、孟江さんの誇りでもある魯菜料理の伝統を“現代に合わせる”という名目で全く変えてしまい、新魯菜料理を提唱する女性シェフは、料理学校の生徒たちに、孟江さんが“使わないことが魯菜料理の伝統”と教えた砂糖や化学調味料を“使うところでは使った方がいいのよ”とどんどん使用する。その一方で、彼女を招聘した美食培訓学院(生徒をまるで軍人のように訓練する)の経営者 は、孟江さんと組んで、日本に魯菜料理をひろめようと計画する。

 ドキュメンタリーだから、撮影した本人に上映の許可はとってあるのだろうが、しかし、よく中国側が許可したな、と思うくらい、この中国人監督(日本在住)の目は孟江さん寄りで、美食学院長と新魯菜の女性シェフの二人は完全な悪役として描かれている。しかも昔の時代劇にでも出てくるようなタイプの悪役で、二人で酒に酔って
「彼女(孟江さん)の元に70人のコックをやって、魯菜を学ばせれば、70人の孟江さんが出来る。彼らを日本各地にばらまいて、魯菜料理の店を開かせれば、10年のうちに魯菜料理は日本で大発展するぞ、アッハッハ」
 などと野望を堂々とカメラの前で語る。結局、孟江さんの
「あんなに砂糖や化学調味料を使って、何が新魯菜なの!」
 という一言で彼らの野望は潰えるのだが、そのときの彼の目つきの憎々しげなことは、まさに名悪役と言ってよろしいくらい。しかし、孟江さんを取り込もうと思うなら、内心はどうでもせめて彼女の前でくらいは“そうですよね、砂糖だの化学調味料なんかは狗屎ですよ、クソ”くらい言っておけばいいのに、この女シェフも融通がきかず、共同事業へのお誘いの席で
「時代は変わったんです。あなたがたの料理は骨董品なんですよ」
 などと口走る。逆に言うと、根っからの悪人ではないのかも知れないが。

 孟江さんと浩六さん夫婦のコンビネーションも独特。中国生まれで、大陸的なねばり強さで大きな夢を見続けている孟江さんに比べ、江戸っ子の浩六さんは現実的かつオッチョコチョイな享楽主義者。済南料理のレシピを残すのに、最初に作って写真を撮ってから、という妻に、最初にレシピを作ってそれから写真を撮ればいい、という夫がぶつかり、短気な夫は“今日はもうやめやめ! ……ええ、タバコもねえや!”と外へプイと出ていってしまう。妻はレシピを整理しながら“……なんであんなに怒るのかしらねえ”。78歳の妻と72歳の夫の、もう何百回となく繰り返されているのであろう夫婦喧嘩が実にユーモラスだ。孟江さんが昔、二人で済南の屋台の臓物料理を食べ歩き、それが料理に一生を捧げる転機になったという幼なじみの戴さんに会いに行くが、戴さんは教師になっていたために、インテリ階級とみなされ、文革時に(たぶん迫害にあって)亡くなっていたことがわかる。孟江さんはその事実を淡々と受け止めるが、浩六さんは“オレの方がショックだよ”とハンカチで涙を拭い続けるのである。彼の人生の方は映画ではあまり語られないが、そっちも充分に興味深い。人生最後の賭けに、済南に移り住んで本当の魯菜料理を広めたいという孟江さんに、東京生まれの浩六さんは反対する。だが、済南の地を二人で歩き、妻の熱情にほだされ、“オレも強力するわ”と決意する。しかし、東京に戻ってすぐに、思いがけないアクシデントが浩六さんに起こり……。ドラマとしては悲劇なのだが、しかし、奇妙にこの作品を見たあと、心の底に暖かいものが残るのは、妻を脇でフォローし続けて きた、この浩六さんの性格によるものだろうと思う。

 映画終わり、夜の銀座の街を歩きながら植木さんと、“あの済南の屋台街がブレードランナーぽくて、行ってみたくなりますね”、とか話す。植木さんは“いい映画であったが、夫妻の人間を描くことにばかり一生懸命で、料理が描けていない”と不満を。“人間が描けていない”という批評はよく聞くが、“料理が描けていない”という批評はいかにも植木不等式氏ならでは。私は私で、古い怪獣映画、古いアニメに固執しているロートルオタクとしての自分に何か、あの二人を重ねあわせてしまったような気がする。人によっては、この二人の店の料理はさして抜群にうまいものではない、という評価を下す人もいるようだ。本当の老舗は、実は伝統を守る裏で、現代に秘かに合わせていっているものだ、という説もある。しかし、それとは別個に、“私はこの味を変えない”とひたすら頑固に言い切る人間は、そういう人が存在するというだけで、言いようのない安心感を周囲に与えるものなのだ。この効果は何物にも変えがたいパワーを持つ。

 銀座五丁目の三笠会館下の喫茶店で漫画のネームやっていたK子と落ち合い、7Fの揚州料理店(ようしゅう、というのはこっちの字が本当で、小岩の楊州飯店の楊州というのは楊さんという人がやっているから、というだけの意味なのだとか。へぇ)『秦淮春』へ。蝶ネクタイした店の主任に、植木さんが“揚州料理でお勧めというとなんですか”と訊いたら、即座に“チャーハンですね”と答が返ってきた。これから酒と共に、さあ料理を、というときにこういうことを言ってはイカンでしょう。運ばれてきた料理、それぞれぞれなりにおいしいが、食べながら、どうしてもあの映画での、済州の屋台料理が頭に浮かんできた。いつもの雑談(というか雑々談)、お開き10時過ぎ。銀座線で帰宅。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa