22日
土曜日
世にネスビットの種はつきまじ
時代は変わっても『砂の妖精』のようなファンタジーは書かれ続けるということ。朝7時起床。朝食、トウモロコシとサツマイモのふかしたの、長ネギのスープ。ひさしぶりのこの朝食である。トウモロコシはゆうべも食べたが、栄養面はどうかしらないが通じは極めて快調になるようだ。クレソンも少し蒸してつけあわせて食べる。葉緑素は体内に入ると核にあるマグネシウムが鉄と入れ替わるだけで真っ赤な血色素になり、これがサラサラの血液を作る、と川島四郎の本に書いてあったのをこないだ読んで、すぐ影響されて始めてみた。すぐ飽きるだろうが。だいたい、クレソンを数本食ったくらいで血液は綺麗にならない。川島先生は毎晩、コマツナやホウレンソウを二束ずつ、茹でて食っていたそうである。それも、食事前に。さすがの川島先生も、後で食べると残したくなったそうだ。果物はサクランボ。『寿司処すがわら』の主人の郷里、山形から毎年送られる尤物。
メールにいろいろ返事、さらに電話。FAXでタコシェと青山ブックセンターから『UA! ライブラリー』追加注文、そろそろ在庫が追いつかない、とK子言う。と学会10周年記念会誌の目次・奥付の校正刷りが平塚くんから届く。チェックして返送。本発売は夏コミだが、その前にSF大会にて限定販売のもの。
いろいろ大阪日記に付け落としのことなど。戎橋の浮浪者で犬を何頭も飼っている名物(?)おじさんがいて、ここに生まれたての、ぬいぐるみみたいに可愛い子犬がいて、“子犬を皆さんの力添えで育ててください”というメッセージが段ボールに書かれている。行きにこれを見て、ケッ、動物をダシにしやがってと思っていたのであるが、帰りはアルコールが入って精神状態がメロメロなこともあり、つい、寝ているのを撫でてしまった。ホントに可愛い。で、エサ代に数百円を置いてきてしまう。こういうことはしない主義なのだが、犬には勝てない。付け落としと言えば、西玉水で食ったもののうち、鮎の塩焼きというのが抜けていた。抜かすのはとんでもないくらい大きくて味がよくて焼き加減もさすがの逸品だったが、やはりクジラやハモと並ぶと、鮎は俗なのである。
昼は参宮橋に出てノリラーメン。昼飯の味で体調がわかるが、あまり思わしくはないという感じである。スープのコクを舌が味わえつくせない、という雰囲気。帰宅して、個人用同人誌の原稿作業。コピー、切り貼りがなかなか時間のかかる作業となってしまう。2時半、家を出て新宿、そこから地下鉄丸の内線で新中野、駅すぐ近くの平塚くんの仕事場へ向かう。マンションの雰囲気がなんとなく『仄暗い水の底から』に似ている。綺麗に整頓された仕事場で、平塚くんと奥さんに挨拶。ずいぶんとスッキリした仕事場である。うちはなぜこういう風にならないのか。同人誌の台割を渡して、作業を確認。原稿早渡しの割引率の凄さを聞いたりする。と学会誌も、自分のところの刷りを見せてもらう。なかなか結構。文章を無理して縮めても、図版一点増やした甲斐があったと思う。
そこを辞去して、一旦帰宅。今日は6時過ぎに銀座でK子と待ち合わせなので、そのまま行ってもよかったのだが、連絡等、ついているか不安なところが数カ所あったので帰宅してそれらを確認。とって返すようにしてまた新宿・丸の内線・銀座という段取りにて三越前。少し早く着いた。で、何の気なしに紙入れを確認したら、札が一枚も入っていない。あわてて銀行に行くがATMは土曜日なので5時で閉まっていて使えず。仕方なくクレジット・カードの借り入れという形で2万ほど降ろして、なんとかふところに現金をのむことが出来た。
実は大阪にいる間にK子にメールが届いたのだが、それが銀座の能登料理屋『のとだらぼち』からで、クジラが入ったので、常連の皆さんにそれをお分けしたい、というお誘いだった。大阪でクジラ食いに来たそのあしたに東京の店からクジラの誘いがあるというのも西手新九郎だが、さっそく行きますの返事をK子出し、またみんなを引き連れて行こうかと思ったがお誘いなので傍若無人にも出来ぬと、職場の近い植木不等式氏一人を誘って(後で考えたら土曜日なので職場は関係なかった)みる。“私はホエールウォッチングの会の会員であり、クジラを愛すること一通りでなく、目に入れても口に入れても痛くないほどクジラを可愛く思っているので、是非参加させて いただきます”とのお返事。
だらぼちに着いたらもう植木氏来ていた。ここはせまい店で、20人も入れば満員になるが、そこに能登関係者が集まりにぎやか。若い連中も来ているのは県人会かなんかか。酒は飲み放題ということで、最初から植木さんとがぶがぶ。植木さんはゆうべというか今朝というか5時まで後輩と飲んでいたそうで、K子につつかれていた。駄洒落タイトルを毎日、日記につける苦労のこと。誰に話してもアホとしか思われない悩みであるが、何も思い浮かばないときのこの精神的あせりはたまらないものがある。それが駄洒落であるというところが自分で省みてもアホなのがまた何とも切ないものがある。しかし、マジに“日本語という日本語を使い果たしてしまったのではないか”などと思うときもある。
突き出しに茶碗豆腐というのが出て、それから刺身。クジラとイカである。食べてみると、西玉水のシロナガスの濃厚かつ重厚な味にはもちろん比ぶべくもないが、非常にあっさりとした軽い食味であり、その中にクジラらしい風味も十二分にあって、これはこれでまた別の味わいがある。植木氏と“何という種類かな”と話す。そこらで今日の主催者のおじさん(門前町のお豆腐屋さん)の挨拶。なんでも去年の七月から法令が改正されて、定置網にかかったクジラは食べてもいい(DNA鑑定の手続きを取ったあとだそうな)、ということになったという。能登でお酒を送ってくれたTさんという人が以前、能登のクジラ事情に関してメールをくれて、それまでもクジラが網にかかると、あくまでもこっそりとあちらの魚屋さんには“入りました”と張り紙が出て、地元の人が大急ぎで駆けつける、という状態だったという。まあ、勝手に定置網に入ってきて漁れちゃったものを捨てさせるのはなんだし、伝統食文化でもあるし、この際法律でこれくらいは認めよう、ということだろう。とまれ、そのおかげでかく堂々と(?)クジラ料理がいただける。ありがたいことである。種類をおじさんに訊いたが、ミンクかイワシ、くらいしかわからなかった。
その他、確かさんなみでも出たことのあるクロモ(めかぶみたいにぬるぬるしていながら、バキバキという噛みごたえもある能登の海草)の酢の物、ウワバミソウなる異名のある水蕗とアブラゲの煮付けなども出る。アブラゲが噛むとむちっとした感触のある、出汁をたっぷり含んだ実にうまいものだったが、これは次に出たゴマ豆腐と並び主催者の豆腐屋さん手作りの自慢の逸品。そしてクジラベーコン。クジラベーコンというと脂ギトギトのやつを思い浮かべるかも知れないが、ここのは脂は白く、赤身はピンクで、何やらしゃれたお菓子のような外見。口にいれるとほろほろとほどけるようで、かすかに舌に残る肉の香りが、あ、クジラだったんだ、と思い出させるというもの。処女のクジラに違いない、などと勝手に思う。あっという間に無くなって最後の一切れを植木さんに進呈したが、これは前々日、大阪でクジラ食ってきた故の余裕であって、それが無ければ有無を言わさずかッさらっていたであろう。
最初にこの店を訪ねたときの板前さんなどが挨拶に来てくれて、誘ってくれたお礼を述べる。そしていよいよ、誘いメールにあったスキヤキ。赤身のスキヤキかあ、ボソボソとなるんじゃないの? などと思っていたがとんでもない。黒い皮付きの脂身をたっぷりと入れて、その旨みを野菜やシラタキに染み込ませている。食べて三人とも、“うむー!”とうなった滋味である。昔、海から流れ着いたクジラはゑびすと称えられて漁村の人々を潤したというが、まさにこれは天のめぐみ海の幸、福神の贈り物。そのあとも味噌汁だのおむすびだのが出たようだが、記憶に残っておらぬのは、ぐいぐい飲んだ竹葉の酔いもあるが、このスキヤキのあまりの美味故、であろう。
隣のテーブルにいたのは上等な背広を着用した老紳士で、なにやら白い小さな石をひねくっており、能登でとれるナントカ石だということである。78歳だとか。土地の名士らしい。この爺さんが、ちょいとしたことがきっかけでK子をいたくお気に召し、いろいろと話しかけてきたり、手を握ったり、挙げ句は肩に手をかけたりする。K子、それを軽くいなしつつ、適当に相手をしてお世辞を言ってやったりしているので、向こうはますますご機嫌となって、電話番号を教えてくれとまで言い出した。夫たる私も知らなかった彼女の水商売的才能に、植木氏と二人、感心しきり。爺さん相手であっても、女房が他の男にモテているのを見るのは悪い気がしないものである。しかし78翁半ば本気のようで、店を出てまで追いかけてきた。いつ彼女が本性を出すか、こっちはハラハラしていたのであるが。無事あしらって乗り込んだタクシーの車中で“今度は外浦の方かねえ”と話す。能登も内浦と外浦で、だいぶ意識の上でライバル心があるようだ。