裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

木曜日

日帝のおばちゃん自転車で

 あの女東洋鬼、毎日見回りに来るあるよ。朝8時起床。外はじとじとした雨だが、ホテルの部屋というのは大体いつも、朝起きると鼻の穴の中が痛いほど乾燥しているものなので、ちょうどそれが釣り合っていい湿度である。シャワー浴び、朝食を食べに一回のレストランへ。W杯のせいか朝食バイキングの質が以前泊まったときよりやや上がったようで、コックがオムレツを注文に応じて作ってくれるシステムだったりする。ただし今朝は目玉焼きが食べたいのでそっちにする。

 食べて部屋に戻り、また寝転がってダラダラする。今日はダラダラして体を休めるのが目的なのである。ニュース等ザッピング。山本直純死去のこと。この人で思い出すのは昭和四十七年の札幌オリンピック。佐藤勝がテーマ曲として『交響曲札幌オリンピック』を作曲していたが、それよりも、山本作曲の入場行進曲『白銀の栄光』の方がずっと躍動感にあふれ、耳に残る名曲だった。当時を記憶する札幌市民はほぼ全員がこの曲を口ずさめるはずである。それにしても、昭和四十二年の“大きいことはいいことだ”でのブレイク以来、山本氏はテレビにラジオに出ずっぱりの売れっ子。その合間を縫って、どうやってこんな大曲を作曲できたのか。斎藤秀雄門下の後輩の小沢征爾に“お前は頂点を目指せ、俺は音楽の裾野を広げる”と言ったという、まさにその言葉を裏切らぬ八面六臂の活動であった。そして、こういう人ほどコケたときの衝撃も大きい。昨日も金成さんと話したが、人気絶頂時にこの人、無免許運転で事故を起こし、しかもそれを開き直って、一斉にマスコミからホサれたことがあった。それ以降急速に体調を崩したようで、最後に顔を見たのは数年前、飼っている犬が人を噛んだニュースがワイドショーで取り上げられ、そのときも(何かしぼんだような顔で)テレビに出て、開き直ったようなことを言っていた。痩せ具合から糖尿か肝臓の病気だと判断したが、肝臓病の場合、妙に怒りっぽくなる場合があるから、それなのかしらん、と思った。小沢征爾の追悼コメントを新聞で読む。以前、小沢征爾物語をたのきんトリオの野村義男主演でテレビ化したとき、山本直純役は山口良一で、徹底して小沢を引き立てるコメディリリーフにされていた。やはりこれも笑って見ていたんだろうか、それとも怒ったか、山本氏は。私は怒ったものだった。

 それから『仮面ライダー龍騎』と『忍風戦隊ハリケンジャー』の映画版が夏に公開のニュース。オタク主婦たちが子供そっちのけでビデオを回す光景を、そこはテレビ局だけに批判なしで映していた。この夏はこの二本で大ヒット間違いなしとかや。そりゃそうであろう、最大のライバルが消失したのだから。『コスモス』をサシたのは実は東映である、というネットの噂もあながちウソとは言えないんじゃないのか、と思えるような盛り上がりぶりであった。

 K子はモバイルでチャットなどをしている。検索で大阪心斎橋近辺のランチでヨサゲなところを探させて、『ぷちローザ』なるフランス家庭料理の店はどうか、という結論になり、では、と11時半に出かけてみる。出かけるとき、カギをうっかり部屋の中に置いたまま、オートロックのドアを閉めてしまい、係を呼び出す仕儀になる。心斎橋筋を歩いてK子少し買い物。道頓堀のところで学生たちが飛び込む真似をしたりしてはしゃいでいる。聞くところではW杯でみんな飛び込むを予想して、底に大量に沈んでいる自転車を撤去したり、ヘドロを掻い出したりして、少しはこの騒ぎが道頓堀の浄化につながっているらしい。確かに前々回あたりはのぞき込んだだけでプンと腐臭がして、同じくのぞき込んでいた外人が“キタナーイ、ネ”と呆れていたくらいだったが、幾分かは綺麗になったような気がする。

 ぷちローザはすぐ見つかったが、その並びに『amAno』という、“和風フランス料理”の店があり、こっちにしよう、と入ってみる。しゃれたカウンターと小上がりの店で、清潔でいい感じ。K子は薄切り牛肉のシチュー、私は舌平目のフライ。簡単なオードブルがつき、メイン料理にサラダ、ご飯、味噌汁、漬け物とデザートがついて、2300円。会社勤めのランチには高いが、ちょっと気取った昼食を、と考えている客にはいいか。しかし、気取ったというが舌平目の揚げたのでご飯を食べるのは、なんのことはないアジフライ定食と変わらない。ご飯はしめじの炊き込みご飯。

 そこを出て、K子はデパートを回るといい、私はかっぱ橋の古書街にでも、と思ったが、やめてホテルに帰る。雨で体が動かぬこともあるが、今日は食べてゴロゴロすることが主目的で、“ここまで来たからには○○へ”などという貧乏性は出したくない。途中の珍味屋で、つまみと缶ビール買ってホテルに帰る。“検査中”の札がドアにかかっている。朝のカギ騒動のようなトラブルがあった部屋は、何かないようにしばらく監視されるのだろう。別に何にもないので、無視して部屋に入る。

 シャワーもう一度浴び、浴衣に着替えて、缶ビールのみ、ベッドでごろんと横になり、そのまま夕方まで過ごす。一切頭使わず。テレビもニュースやドラマはうざったいので、環境ビデオみたいなチャンネルを流しっぱなしにして、クジラだのウミガメだのの遊泳を見ながら、頭も使わず、ただごろっちゃらとして過ごす。途中トロトロとし、目が覚めるとミステリなど読む(ピーター・ラヴゼイ『殿下と騎手』)が、いつもの私の読書の半分の速度。で、読み疲れて(疲れるほど重い作品ではないが)またトロトロ。東京だとなんやかんやで編集部からの電話や宅急便などが来るし、メールも気になる。今朝はさすがに仕事がらみのメール数通、K子に転送されてきたのに返事など書いたが、今はモバイルもK子が持って出たから用無しである。外界と遮断されて半日、無為に過ごせる快感よ。と、いうか、K子もよく一日をデパート回りでつぶせるものだ。ストレスがないのか、現金なもので夢も見ない。唯一、地下のパブのような場所で談之助司会で誰やらの追悼会をやるというものを見た。私はじめ全員が喪を表す赤い服を着ている。東浩紀氏が壇上でイタリアオペラを歌い、それに私がヤジを飛ばしたら向こうが笑いながら飛びかかってきて、二人とっくみあいになるところをマスコミがこれも笑いながら写真に撮っていた。

 6時ころやっとK子帰宅。私は着替え、半に今度は二人でホテルを出る。宗右衛門町のはずれ、日本橋北詰のクジラ料理『西玉水』。今日のメインはクジラでなく、ここで自慢のハモ料理である。確か去年も6月にここに来てハモを食ってる。その帰宅直後に親父が死んでるわけで、カチ会わなかったのはラッキーだった。長男としての責任のためにも、ここのうまいハモを食い損ねなかったためにも。実際、宗右衛門町通りの料理屋はふぐ屋であろうとうなぎ屋であろうとカニ料理屋であろうと、この季節はどこでも“はも”の張り紙をしている。まったく同じ看板の色変わりを隣同士の店で出しているところもあった。関西人にとり、この季節のハモは縁起物みたいに、食わずには始まらぬものなのだろう。

 ご主人、ニヤニヤしながらカウンターの奥から、本を取りだして来てみせる。『すごいけど変な人』だった。“ウチの息子が本屋で見つけてきまして、「あれ?」って言ってまして”と。ややテレるが、この本でよかった。『大猟奇』だとか『トンデモ超変態系』とかだったら。サインを頼まれる。“景気どうですか”と訊いたら、“もう、ワールドカップであきまへん”とのこと。心斎橋からこっち全部が通行止めなのだから、この店はそりゃイタいだろ。

 さて、以下、10時までのたっぷり三時間、ここでハモとクジラに飽いた。順に記すと、まず湯引きハモ、練り梅で食べる。東京で食べるものに比べ甘味が1・5倍増しである。続いて、“ちょうど今日、いいのが入ったんで、喜んでいただけるやろ思て”と出して見せられたのが、見事な大ぶりの松茸。今ごろどこの、と思ったら、毎年今頃の季節になると、秋と間違えてとまどいをして顔を出す松茸があるそうで、梅雨松茸と称えて珍重するんだそうな。これは山口県のものだが、しかし梅雨松茸でこれだけ形がよくて虫もついていないものは珍しいのだそうで。それを土瓶蒸しにしてもらうが、蓋を開けると中に松茸がギュウ詰めという感じである。もちろん、鶏、海老、銀杏といった土瓶蒸しの定番のものもちゃんと入って、松茸の味を際だたせている。K子は鶏の味の濃厚なことに感動していた。

 それから、ハモの子(卵)とキモ、それに浮き袋の煮物。浮き袋が珍味で、半透明のマカロニの如き形状。味はほとんど無いに等しいが、ぬるりとしてモチッとした歯ごたえはゼラチン質の極上のもの。聞くと、切って中を細い竹箸を通して掃除して、と案外仕込みが大変なので、最近これを出すところは少ないのだそうな。市場でもハモの肉は売れても内臓は売れ残るのだそうで、それをまとめて買い込むのだそうである。味が、ここは大阪には珍しく濃いめなのだが、昆布で丁寧に出汁をひいており、味醂の下品な甘さではない。

 続いてハモの変わり天ぷら、ハモの身にシソを巻き、梅を真ん中に巻き込んで揚げてある。うまいが、まあこれなら他の店でも、という味。私としてはぼたんハモを食いたかったところだが、ここまではわれわれが来るというので準備してくれていたもの。次からはお好みで、ハモのお造りを頼む。これはK子の大の気に入りで、ハモに骨切りの刃を出来るだけ入れず、毛抜きで丁寧に骨を取ってから刺身に引く。今日は急場の注文なので、息子さんがええと、ととまどうところを親父さんが“できます”と頼もしい返事、上記の方法では時間がかかるので、薄造り風に骨を切って出してく れる。甘味が鯛のものでもヒラメのものでもない、ハモの甘味。

 さて、それからせっかくここに来たのだから、と鯨も食べる。今日はまるで私らに会わせたように、いろいろと“ちょうどいいのが入って”が揃っている。まず、珍味と折り紙つきの、生サエズリ。鯨の舌である。学生時代、関西ではじめておでんダネとしてサエズリを食って、ふわふわした妙てけれんなもんだ、と思ったものだが、このサエズリは生のベーコンのような感じで、ねっとりじんわりした歯ごたえ、噛みしめると口じゅうに旨みが染みてくる。ここの店は基本的にシロナガス鯨しか使わないというが、サエズリのみは歯鯨のものがうまいのだという。もう、入荷の報せがあったときすぐ市場に駆けつけて、全部買い占めたそうなので、“当分はお出しできると思います”と、実に頼もしいお言葉。

 まだ続く。それから鯨のお造りなのだが、今日は尾の身と一緒に鹿の子の部分も刺身にしてくれる。鹿の子とは、赤身と脂の部分が鹿の子模様になっているからそう呼ぶのだそうで、鯨の首の部分(首ってどこだ、とK子と笑う)。ルイベのように凍ったまま薄く、切るというより削るという感じで出してくれる。凍った脂が舌の上で溶けるとともに、その甘味が舌全体にからみつく。日本酒は美智子さまご愛飲という、梅乃川なるお酒だが、これで洗いながすのが惜しいような、しかし酒と一緒にノドをスルリと落ちていく感じもまたいい、というもの。あと、もちろんサエズリと大豆の煮物も食べる。

 私はここらでそろそろ腹がくちくなってきたが、K子の元気なこと元気なこと。やはり歩き回ってお腹を空かせているのか、さっきの鶏がおいしかったから、あれをタタキで食べたい、と言い出す。もちろんメニューにはないが主人がまた、すぐに“できます”と返事、大きめのモモ肉をさっと両面あぶって、まだ中が赤身なのをざっとブツ切りにして、山椒醤油で食べさせてくれる。和歌山地鶏の朝びきだそうで、鶏の味が凝縮されているという感じ。それにハリハリのお吸い物、さすがに一椀を半分づつにしてもらい、これに松茸ご飯がつく。昼の和風フレンチのしめじご飯もなかなかおいしかったが、不幸、こことその日に比べられるとは。それに女将さん特性の梅のデザート、さらにK子がリクエストで、ハモ寿司を明日の昼飯用におみやげに作ってもらう。女将さん、今日はいつもの和装でなく、襟フリルのやたら大きい、若々しい洋装である。『田門』のママもそうだったが、大阪はやっぱりお母さんたちが元気で ある。

 これだけ食って、さて幾ら取られるか、読んでいて心配になったと思う。もちろん食っているわれわれはなおさら心配で、このために多少の用意はしてきたものの、さて、足りなかったらどうするか、などとふところ算段していた。ところが、勘定書を見たら、予想していた額の半分、とまでは流石にいかないが三分の二の値段なので驚いた。やはり、最初から最後まで鯨、というメニューとは、ハモだの鶏だのでは太刀打ち出来ぬらしい。韓国の女性二人連れで入ってきていたお客は、7月24日の天神祭の部屋を予約している。大川を見下ろす位地にあるこの店からは、天神祭の船渡御(ふなとぎょ、という無理な読み方をする)が見えるのである。それくらいだからお得意さんなんだろうが、鯨食文化のない韓国人をこういう店に連れてくんなよ、と、いささか下唇を突き出したくなる。連れてこられた彼女らも可哀想で、クジラもハモも食べられず、海老の天ぷらばかり食べているのである。まあ、考えようによってはなるたけ次に来るまでに貴重なサエズリなどを減らさないでおいてくれる貴重な客なのかもしれない。

 雨もあがり、至福感に包まれてホテルまで帰る。帰り際、“ここで、もうタケノコやっていただいたし、ハモやっていただいたし、あと何かなあ。鯉なんてどうですかね?”と訊いたら、もう親父さん“鯉? できます。じゃあ、次、いいのが出る時分にご連絡しましょ”と。犬とか頼んでも“できます”とくるんじゃないのか、とK子と笑う。実際、スッポンくらいなら楽勝かも。宗右衛門町界隈、W杯がらみでポン引きが禁止され、ここにくるたび感心していた“お姉ちゃんの花びら舐め放題!”とか“ええ、乳首さわり放題、いかがですか”という大阪らしいダイレクトさのエゲツナイ声が聞かれず、ちと残念。その代わり、ポンと肩を叩いて、携帯をかけるふりをし ながら耳元で、というのが流行っているそうである。電柱の張り紙に
「三十万まで即決融資
 ブラックOK
 破産屋OK
 ホステス、風俗業紹介」
 とあった。真ん中の二行がどうにもコワい。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa