裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

木曜日

フェラチオ呼ぶ男

 他に“ぼくのフェラチオ聞いてくれ”とか“フェラチオ日記”とか“フェラチオプテリクス”とか“フェラチォータワリシチ!”とか、いかん、とまんなくなった。朝7時半起床。朝食は黄ニラとトーモロコシのお粥。バナナ。パソコンに向かってもまだ“フェラチオ人味平”だとか“フェラチオ野球に連れてって”などとやっている。

 海拓舎原稿一本書き、メール。なにか訃報日記みたいなおもむきだが、村田英雄氏死去。73歳。ライバル三波春夫に一年ちょっと遅れての死。70年代末に、NHKの番組『この人』(だったか『二人のビッグショー』だったか)で、犬猿の仲と言われたこの二人を共演させて歌謡ショーを実現させたことがあった(ディレクターは二人の登場カット数を合わせたりするのに死にそうな苦労をしたことだろう)この番組は他にも片岡千恵蔵・市川右太衛門のショーをやったりして、NHK全盛時の底力を見せていたと思うが、なかなか内容も感動的であった。
三波「戦後すぐに行われた、全国浪曲コンクールで、すでに少年浪曲師として一世を風靡していた村田英雄さんが優勝されました。もちろん、わたくしも出場しておりましたが、優勝は村田さんでした。その、底深い力にあふれた声に、わたくしは負けてさえ、なおほれぼれとする気持ちで聞き入っていたのでございます」
村田「浪曲が下火になり、田舎回りをしていたわたくしの耳に、三波さんの、東京での大活躍の報が届いてまいりました。矢も楯もたまらず上京し、そのステージを見に行ったわたくしは、その、浪曲の常識を破って縦横無尽、融通無碍に歌う華やかな舞台姿に魅せられ、ああ、この人は本当の天才なのだと感を深くいたしたものでした」
 といった、わざとくさいライバル賞賛も、これくらいの大物同士だとピタッとイタにつくのである。もっとも、やはり村田英雄は不器用すぎ、三波春夫は器用すぎというのが持ちキャラで、その後で見せた二人浪曲でも、三波が大石内蔵助役を村田に譲り、自分は吉良上野介をいやらしく楽しげに演ずるという腹芸を見せていた。オタク世代にとって、三波春夫に『ルパン音頭』あれば、村田英雄には『真田十勇士の歌』あり。この二曲を両方とも入れているX2000は本当にエライ。文化勲章でもやりたいくらいである。

 12時、家を出る。原稿書いて小腹が空いていたのでチャーリーハウスに飛び込んでチャーリートンミンで昼。ところが代金を支払ったあと、サイフの中を見たらあと千円しか入ってない。あわてて家に帰り、改めて金を持って出て東銀座ヘラルド試写室にて映画『月のひつじ』試写。三分前に滑り込む。ちょっとハラハラした。変なタイトルの映画(ひょっとして“月野うさぎ”のシャレか?)だが、この試写、毎回満員御礼の人気なので、今日は特別に席を取っておいてくれた。恐縮するが、お仕事だから好意を素直に受けて着席。オーストラリア映画である。要するにオーストラリア版『プロジェクトX』であって、1969年、アポロ月着陸の映像を地球に中継する大役を担うことになったスタッフと、羊しかいないオーストラリアの田舎町パークスの住人たちの奮闘とドタバタを描いた、史実に基づくハートウォーミングコメディでありました。

 役者がサム・“ジュラシック・パーク3”・ニール以外、ほとんど知った顔がないのも、ドキュメンタリー調のムードでよろしい。そしてオーストラリア演劇人の層の厚さを示すものだろうが、みんな芸達者である。ニールも、あのどうしようもなかった『オーメン3・最後の闘争』の主役とは思えないくらい、亡くした妻への想いと月への夢を重ね合わせている科学者の複雑な心情を、抑えた演技でじっくりと見せており、顔のシワやシミすらも魅力になる、いい役者になったなあと思う。もっとも、笑顔にパイプをくわえた顔は亜天才協会のボブ・ドブスそっくりだけど。

 映画の中でも、NASAのエリート(声は絶対大平透、というイメージのパトリック・ウォーバートン演)のアルがオーストラリア人スタッフの大雑把さにイラつくというシーンがあるが、『プロジェクトX』などに比べると、確かにオーストラリア人という人たちの、いい意味での力の抜け方が出ていて、国威をかけた大プロジェクトの悲壮感(まあ、それもちゃんと描かれてはいるけれど)というよりは、一生一度のお祭り騒ぎ、という描き方の方が主であるところがおもしろい。なにしろ自分たちのポカでアポロの位地を見失ってしまったとき、NASAの“どうした?”という質問に、サム・ニールはじめスタッフ全員、必死で“ごまかす”のである。史実だというが、ホンマかいな、というような喜劇的手段で視察に来たアメリカ大使をだまくらかして、結果、バレずに済んだからよかったよかった、で次行ってしまうんである。

 キャラクター全員がいい演技のしどころを与えられているのがこの映画の好感度につながっているのだが、中でも儲け役なのは自分の誘致した巨大レーダーが世界中にアポロの映像を発信する、ということに浮かれまくっている町長役のロイ・ビリングだろう。第二次大戦の軍人あがりで、思想的にはちょっと保守寄りの愛国者、ドメスティック・エゴの固まりみたいな人物(で、娘が反動で社会主義にかぶれている)なのだが、その愛国心も、アメリカのように押しつけがましくない、こじんまりしたものだから微笑ましく受け止められる。そういうベクトルの徹底した内向きの人物を、この映画は温かく好意的に描いているのがいい。日本映画というのは、すぐにご大層な使命感などを登場人物に付与したがるから、リアル感がない、作りものの人物像になってしまうんである。

 演出(この映画はモンティ・パイソン映画のように、ワーキング・ドッグというクリエイティブ・チームの五人が制作・脚本・演出を担当し、そのうちの一人であるロブ・シッチが監督名義)では、もう少し真の主役であるディッシュ(原題にもなっているレーダーの愛称。お皿みたいだから。この単純な命名もオーストラリア風味である)をなめるように撮ってもらいたかったのと、最新式巨大レーダーの偉容と、周囲の羊以外何もない光景の対比をもっと強調してほしかったというところくらいが不満だが、とにかく一人の悪人も出ず、チームの成功はすでに歴史が証明しており、キャンベラの議会内のシーン以外、徹頭徹尾田舎町の中を出ないこの映画が、なんでこんなに楽しく、飽きさせずに最後まで見せるのか、そこらをもう一度、全ての映像関係者は考えた方がいいと思う。あと、登場人物たちがとにかくよくお茶を飲み、DAYをダイと発音し、ディッシュの傾きを、その上でクリケットをやってボールのころがりで計る。オーストラリアは動物層ばかりでなくイギリス文化まで、持ち込まれたときのまま変化させずに保存しているんだなあとしみじみ感じた。

 ヘラルドの担当さんに挨拶、週ポスのKさんも来ていたので、少しこの映画の件とこれからの紹介作品予定について話す。小雨が降ってきたのですぐ地下鉄に飛び乗って六本木。明治屋で買い物して帰宅する。車中ずっと“何をフェラチオに!”とか、 駄洒落とまらず(老婆心ながら申し添えると“何を偉そうに!”である)。

 留守録に『創』Sさんから新連載の件、それからイベントがらみの電話が二本。ひとつはロフト斎藤さんからで、朗読の会の話。“こないだベギラマさんと話して、彼女が、「カラサワさんとDちゃんがエロ小説朗読して、その前でわたしがその実演やるというのはどうでしょう?」と言いだして、オモシロそうなので、それ、やっていただけるでしょうか”と言う。“ソリャかまいませんし、確かにオモシロそうですけど、Dちゃんはエロ小説なんぞ朗読してくれるんですか?”“さあ、それはこれからお願いしてみるんですけど”“私、うら若い女性に「今度ボクとさあ、客の前でエロ小説読んでみない、うへへへへ」なんて依頼、できませんぜ”“あ、じゃあそれは私の方で依頼やります”“それと、ベギちゃんの実演てな、誰とからむんです?”“まだ決めてないんですが、私が黒子でやるという案も出ています”……うーむ、凄い、のかも知れない。何故かしらないがシャーロックホームズものの“三人ガリデブ”というエピソードを突如思い出した。ガリ/デブ。いや、何故思い出したのかホントにわからないのだが。
「これやると、その日はベギラマさんのおっぱいとか見られるんですから、値段も少し高く設定できますね、えへへへへ」
 と、斎藤さん期待している様子。9月の予定だそうである。

 もう一本はささきはてるさんで、いきなり“いやあ、本気にした人が出ちゃいましたあ!”ときた。ナニゴトかと思ったら、例の『戦争と平和』のオビ文、“アニメーションだけが、戦争を描き続けた”に、BOX東中野の人が感動して“そうですよねえ、考えてみれば本当にアニメは戦争を描き続けてきたんですねえ!”と言いだし、急遽、戦争アニメを連続上映することが決まったという。“で、上映の後でトークをやりたいんっスが、カラサワさんお願いできますか”“それは了解ですが、何の映画でやります? やっぱり『海の神兵』ですか?”“イエ、それを最初考えていたんですが、たまたまこのことを富野さんに話したら、「ア、ボク、まだフィルムで『海の神兵』見たことないから、見たい!」とおっしゃるんで、その日は富野さんです”とのこと。こりゃすごい。“富野由悠季、『桃太郎 海の神兵』を語る”なら、私も聞きに行こうてなもんである。私はその次の週の『宇宙戦艦ヤマト』を語ることに。こちらは7月28日(日)である。

 そのあと、話は例の品田さんのくもとちゅうりっぷばなしになる。“ワタシ、それ聞いたときに、絶対買う、すぐ買う! と叫んだんスが、あれ、クモじゃなくっててんとう虫の方だって言うじゃないスか! なんでクモ出さんのスか!”とイキドオっている。“いや、クモはねえ、やっぱり、黒人がモデルだと言われるんで、あの家族とかがうるさく言ってきやしないかと”“あ、なるほどー。どうにかならんスかね”“海洋堂じゃないけど、赤く塗って展示したらどうかなあ。あとは買った人が家でどう着色しようと勝手だし”“それっスよー! クモ、欲しいっスー!”と、やたらクモにこだわる。とにかく宣伝媒体、いいとこあったらとお願いしておく。

 K子と8時、クリクリを予約していたが、夏コミ同人誌の制作関係で平塚くんのところへ行っている彼女から、スキャンに時間がかかりそうなので9時、と電話。9時に参宮橋へ行く。今日は羊のロースト、切れているんですけどォ、と絵里さんが可愛らしく困っていた。いいのいいの、こないだ丸焼き食ったからあとしばらくは、と言う。そう言えば今日の『月のひつじ』でも、ラムチョップをオーストラリア式にもっとどうぞ、もっとどうぞと強いられてNASAの人間が閉口するシーンがあった(後で“何をご馳走されたんだ?”と訊かれて、“羊を一頭”と答える)。代わりに牛肉の白ワイン煮、マグロのサラダ、焼き野菜、タラのムニエル(カレー味)。料理は申し分なくおいしかったが、話題が少しシビアな財政の話で、やや胃がもたれる。今日はケンの誕生日だというので、他のお客さんたちが帰ったあと、シャンパンを抜いて乾杯。11時帰宅、寝る。その前にまだ、“フェラチオのバラード”(みなしごのバラードである、念のため)とか、“ドン・フェラチオ”(ドン・ガバチョである、念 のため)とか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa