3日
月曜日
VOYAGE万歳
ファンタスティック・親父とか。朝7時50分起床。猫がまた廊下にゲロ。吐くなら食うな。朝食、トウモロコシとブロッコリ。佐藤錦と黄ニラのスープ。裏モノ会議室でも話題になっていたが、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020602-00000324-jij-soci
のニュースが笑える。上野駅からカシオペアに車掌の制服を着て乗り込んだ男女が逮捕された、という記事なのだが、末尾の“同署は、鉄道マニアの可能性もあるとみて、詳しい動機などを調べている”というのが、まるで鉄道マニアが非合法団体ででもあるかのような書き方が何とも。とはいえ、男と一緒にここまでやる女鉄っちゃんがいるとはちょっと信じられず、別の動機を調べた方がいいような気も。
母から電話。今朝、伯父から電話あったそうな。しかも朝の6時50分に。この時間にかけてくるというだけで“ああ、躁状態なんだな”とわかるわよ、と。昨日の日記に、自分を恥じているかも、と書いたがなかなかどうして、そんなタマではないことがわかった。苦笑、と書きたいが、最早そんな気にもならない。一のことを十くらいに言う人は多いが、今の彼はゼロのことを一○○以上に吹聴している。
左肩が腫れたように痛い。これは昨日、両手に紙袋を持っていたので、肩掛けカバンを珍しく袈裟懸けにしてかけたため。情けない肉体なるかな、である。12時、家を出て、地下鉄で東銀座。昼食は立ち食いソバですました。松竹試写室で豊田利晃監督・脚本『青い春』。松本大洋原作のオムニバス短編集を一本にまとめて映画化したもの。宣伝部の人(UA!ライブラリーなどのファンらしい)からの直のお誘いで最終試写に出向いた。原作は閉塞・挫折・虚無・自暴自棄といったエッジに立つ高校生たちのさまざまな転換点を描いたスケッチ集、というおもむきだったが、それを映画化するにあたり、豊田監督はそのエピソードの断片を断片のままに描いて無理に整合性を持ってつなげようとしておらず、そこが成功した理由になっているように思う。もっとも、そのおかげで、こうまで事件が連続して、まともに授業が行われているわけがない(あんな殺人事件が起こればマスコミ殺到で少なくとも数ヶ月は閉校同然になるだろう)、というツッコミがどうしても入ってしまうが。それはともかく、44歳オタク中年にとり、本来、今どきの高校生が何をどう悩んだり怒ったりしていようが知ったことではないのだが、時代こそ違えおよそ18歳だったことのある者で、この作品の登場人物たちの抱く息苦しさに同調できない者は、世の中の何物にも同調できないだろうと思われる。現代は閉塞状況で、昔の若者にはみな夢があった、などというのは大ウソだ。
主演が松田龍平と聞いてイヤな予感がしたが、監督、さすがわかってらっしゃるという感じで、“彼の目が凄いと思った”というキャスティング理由の通り、目以外の芝居に一切期待していない撮り方をしていて、演技の下手糞さ、存在感のなさもさして気にならない。と、いうか、どの高校生もみんなモデルと見まごう(実際モデルあがりばかり)きれいな顔の俳優が演じている中、ド新人で、一番ホンモノぽい顔つきの青木(松田演じる九條の幼なじみ)役である新井浩文が、真の主役である。監督もパンフで、はっきりと彼だけにはきちんと演技指導をした、と言い切っている。後半はもう完全に新井主演映画であり、置いてきぼりにされてとまどう松田龍平の姿がそのままラストシーンに重なるところを見ると、わざとそういう撮り方にしたのか、とカングリたくなるくらいだ。
不良少年たちに唯一心を通わす花田先生役に、中野貴雄のミニスカポリスに出ていたマメ山田。当たり前の話だが存在感は図抜けており、おそらく生涯最高の儲け役を飄々と演じている。進路指導の先生役で大宮イチが、これも(顔をかわれたのだろうが)ドスの効いた好演。そして、軽薄な成り上がり主義者で、登場人物中唯一充実感あふれる、ただし志のあまりに低い青春を送っているが故にウザがられ殺される太田の役で『大江戸ロケット』の山崎裕太。きちんと演技の基礎を押さえた芝居をやっているのは彼くらいなもので、現代ではなまじ役者としてうまいと、こういう使われ方をされてしまう見本。新感線の舞台ではそれほど気にならなかったが、トレンディなモデル出身連中と一緒に並ぶと、いや小柄なこと小柄なこと。彼だけマメ山田とからむシーンがなかったのは、身長差が目立たなくて絵にならないからではないか、とさえ思う。あと、笠松則通のカメラワークのうまさにうなった。20年前、この人が撮影を担当した石井聰互『狂い咲きサンダーロード』『爆裂都市』などを観て、その無軌道とも言える画面作りに頭が痛くなり、こんなのがもてはやされるようじゃ日本映画はもうダメだ、と憤慨したものだが、いやあ三年経てば三つになるの諺はウソではない、ましてや二十年の歳月で、老練なるテクニックを見せる名匠になった。感服。
終わって2時半、青山まで行って買い物。帰宅してメールチェックなど。平成オタク談義の次の録りの内容の件、それから取材依頼で、現在少年愛についての本を柘植書店から出版することになり執筆中の人から、サブカル面におけるやおいムーブメントの考察について意見をうかがいたい、というもの。ふむふむ、という感じなり。
また家を出て、タクシーで仙寿院まで。河出書房新社で、『文藝』のDちゃん特集における対談。時間通りについたのだが、Dがまだ来ていなくて、30分近く待つ。編集のYくん、“いやあ、彼女、必ず遅れるんですよねえ。もうこの編集部には三回くらい来ているはずなんですが、毎度道に迷って遅れます。地図渡しても遅れます。「マクドナルドのところを左に曲がる」と書いて渡すと、「マクドナルドってたくさんあるじゃないですか」とか言って遅れます”と最早アキラメた様子。カメラマンは以前、中野の『大予言』での私のポートレートを撮ってくれた(『カラサワ堂変書目録』でも使わせてもらった)Mさん。対談の最中を撮るのかと思ったら、私も一緒に表で撮るのだそうな。
やっとD来る。Yくんが“今度は何で迷ったの?”と訊いたら、“いやあ、迷わなかったんですけどお、途中で変な顔した犬がいてえ、面白いんで見てたら遅れたんですう”と屈託無く言う。苦笑せざるを得ず。日の高いうちに、と編集部裏の八百屋の店先(また、よくこんなクラシックな店が残っていたな、と思うような八百屋さん)で二人、撮影。アドリブでどんどん、バナナを持ったりリンゴを持ったりしてたら、Dも面白がって“あ、あたしも持とう”とスイカを持つ。私曰く“文芸誌の写真と思えないネ”。Mさん撮りながら大喜び。
で、対談だが、心配した通りになる。つまり、5時から7時半まで2時間半話したうち、私がしゃべったのが2時間15分、Dが15分。対談ではない、授業みたいになる。何回も“いいんですか、これで?”と訊いたが、編集部のYくんとTさんの方が大笑いしていて、“もっと言ってください、もっと言ってください”。ギョーカイで生き残るための説教集みたいになる。それでも、“私、初めて原稿描いてギャラを貰ったの、カラサワさんのSFマガジンのイラストなんです。描きあげて、あれでいいんだろうかって思っていたら、写真図版でカラサワさんの持ってきていたものが、その絵と奇妙にシンクロしていて、あ、私、ズレてなかったんだって。あれで、プロでやっていくつもりになりました”と言ってくれる。ふむ。ベギラマのことも話題になって、Dちゃん、“彼女って、ライター界のドンキホーテですよねえ”と言う。Yくんが“へえ、冒険的なんですか”“いえ、自分をとにかく安く売るんです”“あ、そっちのドンキホーテですか”に大笑い。
D、今年は歌手としても活動するそうで、すでにCDデビューも決まってるとか。SFマガジンのS編集長が“最近Dちゃん、野心家ですよ”とこないだ打ち合わせのとき言っていたが、新しい世界にどんどん手を広げていく、いまその変わり目にいるようだ。兎丸くんのところからも独立して、弟といま暮らしているとのこと。ちょっと驚いた。“最近、回りでそういう人、凄く多いんですよねえ。なんでかなあ”と首をひねる。『フロン』の影響かねえ、と言いかけてやめた。
何にしても、まだアヤウさ満開といった感じ。顔だけは根性座っているけれど。この数年でプロとしての評価がくだされる正念場だろう。病気して入院して以来、体質も変わってタバコもやめ、食べられなかった肉も好きになったという。これは頼もしい。人間、サナギが蝶になるときのように、環境が変わると体質や食べ物の嗜好も変わるらしい。なかなか面白い。
終わって、“食事とかどうですか”と言われたので、担当さん二人と近くのフードバーで。K子も呼んで挨拶させる。K子、株式会社社長としての弁舌をトウトウと述べて、編集さん二人に大ウケ。Tさん、身をよじって笑った後で曰く“ソルボンヌさんって、偉大な方ですね”。Dちゃん“カラサワさんたちって、人生のあらゆること楽しもうって貪欲さが凄いじゃないですか”と言う。うーむ、それで金が貯まらぬのだがな、と複雑な気持ち。10時半まで雑談。帰宅したら同じ河出のAさんから電話が入っていた。畸人研究の今さんと中川彩子関係で会って、大盛り上がりだったとのこと。河出デーであったが結構々々。