裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

土曜日

菱川モロゾフ

 チョコレート美人。朝7時半起床。朝食、マカロニサラダとトースト。天気はどんより曇っているが、窓を開け放すといい風が吹き込む。新聞に矢川澄子自殺の報があり仰天す。ちゃんと澁澤龍彦との離婚のことが略歴として記されてあり。こないだの河出夢ムックの略歴にはその件がなく、どうしたことかと思っていたのであった。なにしろ澁澤版『O嬢の物語』はほとんど彼女が訳したものなのである。

 もっとも私にとっての矢川澄子はなんと言っても『ぞうのババール』の翻訳者である。たぶん、私の人生でもっとも初期に強い印象を与えた作家なのではあるまいか。後にアニメ『ジャングル大帝』を見たとき、“なんだ、ババールじゃないか”と呆れた記憶がある。ストーリィを紹介すると、密猟者に親を殺された子象のババールが都会に出て、そこの文明を学び、ジャングルに帰ってそこを文明化するお話。象を白いライオンに変えれば、まんまアニメ版ジャングル大帝である。ははん、こういうのを換骨奪胎というのか、と、子供心に創作の秘密を盗み見たような気持ちになった。露骨な植民地主義、と言う批判もあるようだが、当時のオトコノコにとって文明による未開地開拓はロマンであり、非常に魅力的で、それを訳した矢川澄子の気品ある文章がまた、大変よろしかった。絵も作者のジャン・ブリュノフ自身が描いているが、ババールがジャングルに帰ったその日に毒キノコを食べて都合よく死んでしまう年取った王様の、瀕死の姿がちゃんと描かれていて、私は戦慄したものである。

 まあ、それはともかく、矢川澄子と澁澤龍彦の結婚生活とその破局にまつわるあるエピソードについては、加藤郁乎の『後方見聞録』(学研M文庫)という本でつい最近読んで衝撃を受けたばかりだっただけに、その死が自殺、という形で終わったことに、すさまじい好奇心(下卑た言い方だが、こうとしか言いようがない)をかき立てられ、ネットのニュースなどの記事の単簡さに隔靴掻痒の思いを感じる。

 昼はセンター街で江戸一の寿司。エンガワとサーモンばかり食べる。Wカップのせいか外人の一団が店内にいて、写真を撮ったりしていた。銀行に寄り、半蔵門線で神保町に行く。カスミ書房に行き、コミケ当選の報告など。『不思議な雑誌』が超美本であったので、すでに持っているのも含め数冊買う。先日の高橋敏弘の話で笑い、矢川澄子自殺のことについてもちょっと話す。

 それから大雲堂、タトル商会などで買い物し、また半蔵門線で表参道。紀ノ国屋で買い物。明日のと学会例会が12時から、と一時間早まるため、そこで食おうと弁当も買い込む。帰宅して、横になっていたら鶴岡から電話。澁澤龍彦論をえんえん。浅田彰がそう言えば澁澤を徹底否定して“たかだか高度経済成長期までの文学者”だとか“あの頃は近代社会の建前がそれなりにしっかりしていたから、それにちょっと背を向ければ異端を気取ることができた”などとクソミソに言っていた。この否定の論法は東浩紀が岡田斗司夫批判にそっくり使っているロジックである。経済成長とか近代社会とか言う概念を軽蔑したフリをしながら、結局それに自分の判断基準を寄りかからせて紋切り型に相手を切るツールとしてしか使用できない。まあ現代思想なんて分野の連中のアタマは所詮、この程度のものであろう。もちろん、私も澁澤を神格化するゾンビ連中は大嫌いだが、それはこれまでの澁澤研究が中川彩子などアブ系との関連を無視していたことに関してであり、そこら関連のことどもは今後、資料を渉猟して実証的に文章化していかなくてはなるまい。

 7時、参宮橋。談之助師匠夫妻を駅前で拾って、代々木の『仙園』で会食。SFマガジンのSさんに送る本家立川流同人誌をもらう。姫筍揚げ、春雨サラダ(こないだは大したことないと思っていたが今日のは非常に旨い)、白身魚のXO醤蒸しなどを食べつつ、立川流情報を仕入れる。“小野栄一と談志、仲直りしたようだ”と伝えると“どっちも友達が少ないですからねえ”と。呵々。志らく一門の話も。談志、“その二ツ目にした弟子ってのの噺を俺が聞いて、面白くなかったらお前も破門だ”と息巻いているとか。自分の弟子の×××とか×××はいったいどうなのかね。そう言えば『現代落語論』には、自分は二ツ目になっても音曲とか踊りとかは一切やらなかったと書いてあるのである。自分に出来ないことを弟子にやらせるなよ、と大笑い。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa