5日
水曜日
キーパンチャーやえもん
おれだってしゃあ、わかいころにはしゃあ、これくらいの文章はしゃあ、楽に打てたものだがしゃあ。朝8時起床。陽がまぶしいが、雲の流れはあやしげ。朝食、金時イモとアスパラガス。こんなに大量にアスパラガスを食ったのは初めてなので胸焼けがして弱った。アスパラガスが食用として日本に入ったのは明治初期、広まったのは大正時代だということだが、当時の日本人にアスパラガスという名前が非常に言いにくい、奇異に聞こえるものだったということは落語などにこの後が罵倒語として使われていることでもわかる(六代目柳橋の『小言幸兵衛』に“なにを、このアスペラカスめ”と使われている)。そう言えば夢声戦争日記にも“アスバラカス”なんて表記されていたっけ。
K子に弁当を作る。鶏のささみの明太子あえ炒め。もちろん、アスパラガスも入れる。腐らぬ前に全部食べ尽くさねばならぬ。それから東急ハンズに蛍光灯を買いに行く。寝室の蛍光灯が切れたのである。われわれ夫婦は寝る際も蛍光灯はつけっぱなしである。ときどき夜中に起きてもすぐ本が読めるし、トイレにも行ける。偶然、結婚前から夫婦とも同じ習慣だった。そのため、すぐ蛍光灯が消耗する。
ささきはてる(ササキバラゴウ)氏から恵贈受けた富野由悠季『戦争と平和』を昨日あたりから読み始めていた。インタビュアーがササキバラ氏の他大塚英志、上野俊哉というメンツで、世代的にアニメを若いファンの最も卑近な人格形成ツールとしてとらえる、という視点は同一であるが、アニメを娯楽、と割り切る私と違い、思想・教養までをもその底に探り出そうという姿勢が違和感もあり、面白くもあり。インタビュアー三人というハンディキャップ・マッチではあるが、そこはアニメ界のアンドレ・ザ・ジャイアント富野氏で、軽く三人をあしらっているという感。まだ最初のあたりだが、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』に対し、自分の時代感を踏まえて興行的にも成功したものを作りおおせたことに脱帽しながらも
「ここまでやっていいのかな、損だぞ」
と感想をもらしているところで、これだ、と膝を打った。コトバというものは探せば見つかるものだ。私が『GMK』や『アッパレ! 戦国大合戦』などにどうして素直に入り込めなかったか、というその理由を表現するのに、この“損だ”という語はまさにこれ、という感じで当てはまる。こちらにどんどん景気良くおごってくれる人の懐具合を心配してしまうような、そういう感じなのである。
……などと思っていたら、週刊読書人からメール。なんと西手新九郎なことに、いきなり“『戦争と平和』を書評してくれ、本はすぐ送る”という内容であった。驚いて折り返し“本は手元にあり、送るに及ばず”と返答する。
気圧乱れ甚だし。体調最悪となる。1時ごろ鶴岡から電話。仕事からの逃避で長話してしまう。エロばなしに終始。こういうときは罪のないエロばなしに限る。『後方見聞録』に掲載されている矢川澄子の写真のかわいらしさを鶴岡に力説し、澁澤龍彦の寝ているわきで彼女(当時澁澤の妻)とセックスした加藤郁乎の言い訳のご大層なことを説明して笑う(曰く「造物主は一切衆生の性愛を含む大愛をつくられたもうたのであり性愛の伴わぬ愛なぞあり得ない」、曰く「愛をして愛に終わらしめよ、欲望に堕さしめないでください。守り給へ、神」)。鶴岡、最近のカラサワさんはサカリがついているのではないか、などと失礼なことを言う。たまたまベギラマとかDちゃんとか、周囲に若い女の子が二人か三人いるだけでサカリがついたと言われるというのは、よほどこれまでが修道僧みたいな寂しい毎日であったということか。もっとも最近鶴岡は若い女の子よりも志加吾とベッタリで、ほとんどホモ状態だそうである。鶴岡・文、志加吾・画でやおい本を出したらいいのではないか。やおいの対象者自身がやおい同人誌を出すというのは新しくないか?
電話しながらメシを食う。もっとも、弁当のあまりのご飯に明太子だけ。電話終えてすぐ家を出て、青山ブックセンター本店に行く。本を買うのでなく、納めにいくのである。ここの通販部から『UA! ライブラリー』の注文が来ているのである。紙袋二つに詰めて両手に下げ、歩いているうちに雷がなり、いきなり大粒の雨がボタンボタンと落ちてきたのに狼狽。商品を濡らしてはいけない。口を折って、抱えるようにして、体は濡らしても本は濡らさぬという感じで急ぐ。幸い、本降り前に着いた。担当者代理の人とちょっと話し、受取証を書いてもらう。帰りにはもう小やみになっており、紀ノ国屋で買い物して出たときにはあがっていた。
帰宅、今度は『創』編集長Sさんから電話。やるやると言って延ばしていた連載、もう待ちきれんという感じ。“早くやらんか”状態である。平身低頭、来週までに第一回書いて渡すことにする。ちょうど、河出でDちゃんに話したような内容で、そのまま行けそうである。母からもメール。小野伯父のこと。よほど腹に据えかねたのかもはや“あいつは”呼ばわりである。これだけ周囲が憤慨しているのに本人がそれに気がつかないところ、むしろ凄い。
夜7時、幡ヶ谷でコンテンツ・ファンドのコメンテーター仲間であった西山さん、鈴木さんと会食。談之助、K子も同席。西山さんが友人の連帯保証人になってひどい目にあった話などを聞く。鈴木さんは日経で新雑誌立ち上げに関わっており、まだ番組やっていた頃に幸永でK子といいかげんに“『日経焼肉』『日経ホルモン』”などといいかげんなアイデアを出していたのだが、まだ決まっていない。もっとも、こないだあるサイトを読んでいたら、“根岸の里の詫び住まい”とか“今、時代は○○”みたいに、どんな句や語につけても形になる文句として、“日経”というのが挙げられていた。『日経SM』『日経古本』『日経アニオタ』など、何につけても、日経ならこういう雑誌もあるかもしれない、と思わせるものになってしまう。
石橋さん、今日は調理場に手伝いが入っているせいもあるが、余裕があるのか時折こちらのテーブルにきては雑談。西山さんにアリ酒を飲ませる。“このアリねえ、私の家で砂糖やって飼っているのよ!”ほんまか。料理はいつものチャーチーからはじまって、百合のつぼみとホタテの炒め物、生ザーサイ(さすがの私や談之助も初めて見た)と中華ハムの炒め物、カニとジュンサイ、姫カボチャと東坡肉の蒸しもの、コマツナを練り込んだ皮の草餅風蒸しギョウザなど。リーメンは私、今までずっと緑色の麺だから緑麺と書くのだと思っていたら、里麺と書く、と教えられた。ネギ、ザーサイ、チャーシューと里のもので和えた麺だから、というのだが、本当かしらん。談之助さんとは7日の算段。ガチンコでやりましょう、と。いろいろ情報入り、今回の件の裏も見えてきた。結局、最初の“やれやれ、またかよ”に感想としては戻ってしまう。それだけに、説教くさいこといろいろ言っていた人たち、お気の毒様という感じである。9時半ころ、解散。帰宅して、Web現代から来ていた、先日の原稿のナオシ部分を書き上げて送信。