29日
水曜日
オーディオふって歩く
タイトルに意味はない。朝、7時半起き。朝食、如例。K子に菜の花炒め。果 物は富士リンゴ。昨日書きかけの週アスをやっつけて、K子のシグマリオンにメール。ブツのビデオを、少し見せてイラストのアタリをつけさせる。シャワー浴びていたら、快楽亭から電話。今日の東洋館打ち上げの件。元気いいぞうが芸人としてバケたから是非、楽しみにしていなさい、と言われる。快楽亭の上がりが1時半くらいだそうでそれくらいまでに浅草へ行かねばならないので、仕事を急ぐ。
雑用をいくつか片付けてホッとしていたら、デジモノからメールで、原稿を今日の夕方までに出せ、というので大あわてで、映画評二本、書き上げる。しかしここも、映画評担当させるなら試写会の招待状くらい送ってきてもらいたいよな。文体、と構 成、も少し磨きたいが、この状態では無理。書き上げたままをメールする。
12時、どどいつ文庫伊藤氏来。急いでいることを話して、超特急で持ってきた洋書を買い上げ。こないだ、うちへ来た足で神田の古書市へ行ったら、気違いに話しかけられて、競馬で五○○万当たったからこれから一緒に競馬場へ行こう、と誘われて往生した、という話を聞く。“いやー、昔の同級生と知り合いだと言って、えんえんと話されて参りました”と言うが、気違いとえんえん会話が成り立つという伊藤氏もスゴい。
結局、なんだかんだで家を出たのが12時45分。タクシーで新宿まで出て、そこから中央線、神田乗り換えで地下鉄銀座線、田原町から浅草演芸ホール四階東洋館、というコース。なんとかギリギリで、ブラック師匠の高座途中からにまにあう。演題は『お血脈』。浅草の昼席のお客さんで三分の二はお年寄り。歌舞伎の所作などを取り入れてマトモに演っているのか、と思ったら、やっぱりやりました。娑婆に出た五右衛門がホテルのエロチャンネルに興奮して、電話かけてホテトル嬢呼ぼうとしたら長野は(善光寺のお血脈を盗むわけだから長野に行くのである)教育県だから風俗店がないと言われる。“知事が変わったんだろ? なんのためにあんなスケベを知事にしたんだよ!”と文句つけ、仕方ないからと呼んだ女性マッサージに襲いかかる。パンツを脱がしたらちょうどメンスで、それをのぞいて五右衛門が“あ、月経かな、月 経かな!”。お客はどれだけわかったか?
前から師匠にぜひ、見ておけと言われていたのがコミック・パントマイムの松元ヒロ。最初のしゃべりとかがまるきり素人のおじさん、という感じで大丈夫かいな、と思っていたら、途中からいきなり金正日に扮してのアブないギャグ連発となり、大ウケ。後ろの席でも大笑いしている客がいるな、と思ったら、談之助・快楽亭が客席に来て見ていたのであった。芸人に受ける芸人、というのが業界にはいるものである。かつてのツービートや、象さんのポットがそうだった。こういう人たちというのはセンスがぶっとびすぎているから、一般客へのウケはイマイチなのだが、プロの芸人がみんな、ソデにかぶりついて大笑いするのである。ただし、こういう人はバケるか否か、でその後の運命が別れる。ツービートはその段階から一般受けもする芸人への道を駆け上がり、象さんのポットはついに身内受けだけで終わってしまったが、バケればこれほど強い芸人もいない。さて、中入りを挟んで、いよいよそういう芸人の最高峰、元気いいぞう。快楽亭曰く、“あとに上がる芸人たちがみんな、食われてしまって何も出来なくなるんです。昨日は志の輔が弱ってまして、今日の被害者は談之助です、イヒヒヒ”。
元気さんとも、昔中野武蔵野ホールの伝説の『超放送禁止落語会』で初めて見て以来だから、長いつきあいである。あまりの面白さに、大阪のSF大会に手銭で連れていったこともある。確かにこれほどインパクトのある芸人はいないが、使いづらいこともまた、無類の人だった。受けないときは徹底して受けないが、一旦受けると他の芸人さんをアットウする。左談次さんが“いつからこの人はこんなにうまくなったんでしょうか?”と、感心するくらいの舞台を見せた次の日に、ただ角材を振り回してアーアーアーアーとわめくだけの芸(?)を披露したりする。一度ぶんか社の新年会に連れていったとき、余興で出演した浅草キッドが、客席を見て“元気さんが見ているんじゃ僕ら何も出来ません”と、当たり障りのないところをやって、そそくさと降りてしまったこともある。日本には数少ない気違い芸人として、確実に演芸史に残る怪人だろう。
で、出てきた彼は。もう、一緒に仕事していたときからでも十年近く立っていると思うが、インパクトは以前と変わらない。ただ、その気違いパワーが十倍くらいに増大していた。とてもその面白さをここで再現することはできない。開田あやさんが呆然としていたので、“これは芸を見るつもりで見てはいけない。珍しい動物を見るつもりで見なくてはいけない”と教える。なんとあやさんはこの寄席に母親(それも、自分のと亭主のとの二人)を連れてきていたのだが、さすがにお母様は怒っていたとか。芸としてはホイト芸であろう。絶滅したと思っていたが、こういうところにまだ残っていたんだねえ。毎月30日に中野などで独演会をやっているそうだし、来年は快楽亭が『ブラック・松元ヒロ・元気いいぞう・山本竜二四人会』なる恐ろしい会をやるというから、ぜひぜひ、まだ知らない方(で、命のいらない方)は探して行ってやってくれ。とにかく、来場していた客のうち笑っていたのは私含めて五、六人。前の席に坐っていた女の子も私も、笑いすぎて涙が出て、目をぬぐっていた。秀次郎が私を見て、“あんなに笑ってるよ、変なおじさん”と言っていたそうである。
そのあとがノスケ師匠。志の輔は弱っていたそうだが、さすがにノスケさんは自在に客を引き回し、最後に“懐かしのスーパーヒーロー”でしめる。短バージョンだったのが少し残念。あとはいきなり方向転換でマットウな落語会になり、談幸の『寄合酒』悠玄亭玉八の幇間芸、トリがぜん馬の『肝潰し』。肝潰しは少しこの席には渋すぎねえか? と思った。
終わって、仕事場から直行の開田さんをしばらく喫茶店で待ち、そこから快楽亭おすすめの谷中のもんじゃ屋『おおき屋』へ開田夫妻(プラスお母さんズ)と、志加吾たちと出発。谷中墓地のすぐそばにある小さな店で、入ると『裏メニューは常連さんにしかだしません』『もんじゃ焼きは初めてという方は一度よその店で食べてからお越しください』などと書いてある。こういう店というのはホントは嫌いなのだが、とにかく、快楽亭が一度食べてごらんなさい、と言うので、ホホウと思って今日はやってきた。まずイカキムチが出て、これがいきなりうまい。ふむ、と思ったら次にはなんと、レンガかと思うほどのすさまじくぶ厚い肉の塊(厚さ十センチ、幅二○センチはある)がドン、と鉄板の上におかれ、これがジュージューと焼かれる。親父さんがいちいち指示を出し、引っくり返したりニンニクを上にのっけたりした挙げ句、やがナイフでザクザクと切って、さあ食べていいよ、となる。そりゃ、こんな肉なんだからうまいのは当たり前だが、まさかこんなものをもんじゃ屋で食べられるとは。一口カミついてそのジューシーさに、“ううー”とうなる。快楽亭が“ソルボンヌはバカだねえ!”と大声で言う(K子はフィンランド語教室があるので、今日は二次会から参加なのである)。
その次がカキのバター炒め、そして〆がもんじゃ焼きである(普通の店と順番が逆だ)。快楽亭はバタや牛乳類が一切ダメなので、みんなからかって、バタの煙を快楽亭の方にあおったりする。ずっと食べていると気がつかないが、トイレに入ったり、携帯が鳴って外へ出たりして中に戻ると、店内じゅうが煙で、視界が十数パーセント狭くなっているのがわかる。最後のもんじゃがこれまた凄い。一抱えほどもある金属製のボールにドカッと入ってくる。普通のもんじゃと違って、水気がほとんどない。ほとんど鉄板全体に広がるほどのもんじゃを、みんなアフアフ言いながら焼いて食べる。大満足。これでお値段がアッと驚く安さ。なんで、あんな肉、あんなカキが出てこれ? ・・・・・・谷中というところは謎の場所である。
そこであやさん、快楽亭一家、談之助さん、私のみ残って、上野まで出る(谷中商店街で明日の朝食の材料を買い込む)。駅でK子をひろい、薩摩しゃもへ。あれだけ食った後だが、みんなでワイワイ食べるというのは恐ろしいもので、しゃも鍋(ただし六人で二人前)から雑炊まで片付ける。焼酎もたっぷり飲み、しばし年末進行のウサを忘れた一日だった。