裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

日曜日

42へぇ犯科帳

『トリビアの泉』のナレーターだった中江真司はテレ朝版『鬼平犯科帳』の
ナレーターも勤めている。

※桃井はるこさんのインタビュー

濃厚な夢を見る。
私は現代風の若者であるが、時代は戦国時代。
全学連がたてこもるような砦の中で、反・織田信長のシュプレヒコール
が盛り上がる集団(一向一揆か?)に入り込んでいる。
たぶん、昨日観たスーパーグラップラーの芝居の影響。
私の正体は信長側の間者として入り込んでいる忍びで、それなりに
一揆仲間とも楽しくやっていたが、ある日
「ごめん、じゃ裏切るから! 俺、現実主義者なんで」
と言って砦を乗り越えて脱出、全速力でかけて織田の陣地に行く。
夕暮れの陣地にはかがり火が焚かれていて、私を見た武将たちが
「これは藤吉郎どの、ご無事で」
と口々に言うので、ああ、自分は木下藤吉郎だったのか、と納得する。
信長の本陣は巨大な木製の戦車で動く陣地。仏壇のような階段造りの
面会場があり、夜だが夜行性の液体を詰めたランプで照らされている。
私が報告に行くと、ちょうど援軍にかけつけた明智光秀もおり、
信長は上機嫌で私の報告を聞く。
「先日、少年僧の一段が面会を求めにきたが、あれもきゃつらの
手のものどもであろう?」
「左様でございます。友好を求める姿勢を見せて、わが軍の内情を
さぐれという命令が出ておりました」
「さもあろう。酒を勧めたが飲もうとせぬのでわかった。仕方ない
から、余った酒はこのあたりの乞食どもにくれてやったわ」
と信長がいうと光秀が
「これはしたり、先ほど御酒をいただきましたが、それがしも乞食
同様でござるか」
といい、みな大爆笑。私も
「光秀どのがさようなおたわむれとは、お珍しい」
とお世辞を言う。
出てくる人間の顔がみな、普段の夢の数倍、“濃い”顔だった。

朝9時起床。偏頭痛、鼻水、咳など残り少しづつあり。
しかし、風邪の治りかけで、少し症状が残っている時期の、
健康なとき以上のさわやかさというのは何なのか?
やはり、病苦を抑えるための脳内麻薬が残っているからか。

朝食、バナナジュースとパンプキンジュース。
薬の種類が減ったので、やたら朝飯が早く終るような気がする。
今日は少し体力の温存に努めようとベッドで本を読んだりする。

開田さんからメールで、今度出る作品集の序文を依頼される。
樋口真嗣監督と一緒に、ということなので、さてどう書くか
カブらぬよう考えなくては。
ついでに、こないだのスパンアートギャラリーのご主人が、
私が訪ねたときに不在で、会えなかったことを残念がっていると
聞いて、ひとつ企画を提案しておく。

昼はチンジャオロースー弁当。
少し原稿を書くか、と思ったが、新しい原稿依頼の字数や〆切、
具体的な内容依頼などはオノが熱海の親孝行旅行から帰るまで
ほとんどわからない状況だと気づく。
マネージャーがいないと私はもう、明日自分がどうすればいい
のやらすら、わからない。

大阪在住のマイミクさんからも報せがあったが、
児童文学館、当面存続、現状維持の方向で府議会が動き出した
模様。とはいえ、橋下知事もこの件に関しては意固地になって
いるような部分があり、油断ならず。
年内に何にせよ、もう一度足を運んでみたい。
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000810030002

6時、新宿に出る。
らんぶるで桃井はるこさんのインタビュー受ける。
ラジオライフの仕事。
2008年を振り返る、というインタビュー。
もうそんな季節なのだね。
『社会派くん』との差別化のために、問題点は指摘しつつも
前向きに、という方向性で。

7時半ころ終了。
外へ出ると雨。
撮影についてきたT田くんが飯でも、というので、
以前行ったジンギスカン屋『霧島』に二人で入る。
羊肉食いながら、よもやまばなし。
同じ話の繰り返しもあるが、同じ体験をしている身同士で
話が非常に合い、かつ、今後のことも含めて、方向性の確認しあいも
あり、何か心の安らぐ数時間であった。

タクシーで帰宅、まだ時間が早いし昼寝もして眠くないし、
というので、例の動画サイトめぐり。
桃井さんとの対談でさんざ“これからはネット人種はどんどん
情報から置いていかれる時代になる。その時間にその場所に足を運ぶ、
というライブ体験こそが情報、とされる時代なんです”などと
言ったその尻からネットはまりというのもどうか、と苦笑。

もっとも、1時半まで、それに熱中して酒も飲まず。
私から夜の酒を奪うとは、ネットの熱中度、おそるべし。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa