裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

木曜日

苦しゅうない、スペオペ、スペオペ。

 なに、このSFには科学的間違いがあると申すか。よいよい、痛快娯楽宇宙活劇ものじゃ。朝、7時20分起床。朝食、枝豆とトウモロコシと二十世紀梨。シャワー浴びて日記つけだすが、これがいつになく時間がかかる作業になってしまい、1時までを費やした。途中で電話がかかってきたり、長文の連絡メールを書いたりして中断し たせいでもあるのだが。

 トイレ読書、間にちくま学芸文庫『書物の出現・下』なんて大部のものをはさんでしまったのでかなり上の読了から間があいたが、トーマス・マン『魔の山・下』を再読中である。再読と言っても最初に読み通した大学時代は体力で一日一冊をノルマにただがむしゃらに読んでいたので(こないだ当時の読書ノートを見返してみたらヴァン・ダインの『僧正殺人事件』〈平井呈一訳版〉と、玉川一郎『私の冗談辞典』〈青蛙房〉の間に読んでいた)、特に下巻の方はまったく記憶に残っていない。上の方はじゃあ覚えているのかというと、主人公のハンス・カストルプが“海ざりがに”(オマール海老のこと)のハサミの部分から肉を取り出すのが得意だ、なんてことくらいしか覚えていない。改めて一日数ページづつゆっくりと再読してみると、なるほど、この作品の舞台が高山の上に立つ療養所であるという設定は、ダンテの『神曲』における地獄の構造(擂り鉢状の穴になっている)を裏返してみせたものなのだな、ということがわかったり、ショーシャ夫人とカストルプの恋愛模様から読みとれる肉体と精神の関係への皮肉や、大仰な当時のレントゲン撮影機の描写や、当時の人間がこういう最新医学器機を前にして述べる哲学的感想(神秘的な神のみわざと信じていた人体が科学の下に看表されていくことによる宗教心のゆらぎへの抵抗)など、以前よりは面白いと感じるようになったが、下巻になってからの新たな登場人物、無政府主義者のナフタ氏の話などは、観念的な精神論や、この作品の背景となっている時代(第一次大戦直前)のヨーロッパ情勢を元にした政治論議などが延々と続いて、読んでいていささか辟易する。それでも、フリーメーソンなんて言葉が出て来たり錬金術に関する考察が延々と出てきたりするのは楽しいし、ナフタが長々しい観念論のあと、急にテロリズムへの賛美を語るシーンの、読者にショックを与えるテクニックはさすがマン、うまいなあと感心したりする。あ、あと、このナフタやクロコフスキー医師の部屋の描写がすさまじく魅力的だ。室内装飾小説としても読めるのではないか。
「青年が自由を喜ぶと考えるのは思いやりのない誤解にすぎない。青年のもっとも深い喜びは服従なのです」(ナフタの科白)

 昼はちと用があって外出、途中で昼飯を食おうと思い、センター街の札幌ラーメンの店の夏限定メニューでこないだから気になっていた“味噌つけ麺”というのを食べる。まずいだろうな、と予感しつつ食ってみたら、本当にまずかったので、ある種の満足を覚える。ただ、味噌ラーメンの汁と麺を別々にして、麺を冷たいものにしただけ。汁は熱々だから、つけて食べるとただの味噌ラーメンになってしまうのである。

 用事をすまして帰宅、扶桑社『愛のトンデモ本』2刷用の、ミスチェックのために自分の担当した部分を読み返す。最初届いたときから二度くらいは目を通して、まったくミスなど気がつかないでいたのだが、赤ペン片手にやってみると、出るわ出るわで、7カ所も見つけた。ちとあきれる。扶桑社Oくんにメール。あと、太田出版の方のと学会本(仮題『トンデモ本の世界S』)について、編集Hさんから丁重なメール(というよりこれも一種のマニフェスト?)いただいたので、こちらも思うところを書いてメール。こういうやりとりが出来る編集さんは貴重かもしれない。

 6時半、家を出て渋谷駅マークシティへ。OTC打ち合わせ。4階のル・カフェ・ブルー。行く途中で岡田さんに会った。OTCNくん、Oくんと、次回の平成オタク談義のネタ出し、ゲスト選考。濃いネタ、濃いゲストというのはいくらもいるが、さてそのうちできちんとしゃべることが出来、視聴者(あるいは観客)を楽しませることが出来、自分一人語りでなく対話という形で進行させることが出来、かつ番組内である程度のまとめまで持っていける自己構成力を持っている人、となると極端に少なくなる。この番組を見て“オレの方が濃い”と言っているオタクは多いだろうが、喫茶店でオタ話をするだけならともかく、テレビ番組に出るにはそれだけでは駄目なのだ。思い出したが、昔、別冊宝島の編集が言っていたが、あそこが『オタクの本』というのを出したとき、編集会議で、編集者それぞれが知っている濃いオタクたちの名簿を作ったところ数十名の名が一気にあがり、こりゃ本を作るのは楽勝だ、とみんな 喜んだそうである。
「……ところがですね、後で、その中から“日本語をきちんと話せる人”というのを 探し出すのがもう、ホントウに大変だったんです」

 雑談の中で聞いて驚いたが、ライターのM氏が、岡田さんに日記の中で悪口を書かれて激高し、“訴える”と言ってきたという。
「えーっ、M氏って自分の書いたものの中では人のこと、クソミソに言ってるじゃないですか!」
「いやね、そういう人ほど、自分の悪口を言われるとカッとなるんですよ」
「わからんなあ。私なんか、自分が人の悪口を言うのが好きだから、逆に人が自分の悪口言うのも、こりゃしょうがねえだろうと思ってるんだけど」
「そう思うでしょ! オレもそう思ってたんスよ。……だけど、そういう考え方のヤツって、どうも業界でもオレとカラサワさんくらいしかいないらしいんですよ!」
「ひえーっ、そうだったのか」
 まあ、この日記にも以前書いた某事件で、M氏のオトナゲなさというものが薄々見えていた気はしたんだが、どうして最近のアタマのいい人というのはみんな、こういう精神構造になってしまっているんだろうなあ。よほど鬱屈がたまっていて、あの毒舌というのも、その鬱屈の噴出だったということなのだろうか。悪口というのは本来 は余裕の技であるべきものなのだが。

 岡田さんはマンガ夜話の収録で8時で中座。NくんOくんと、しばらく打ち合わせ続け、なんとかまあ、使えそうなネタは揃ったから、ということで散会8時半。K子に電話して、食事の算段。『花菜』にK子が電話してみたが、どうもまだ店を閉めたままだそうである。盆休みにしては長すぎる。何かあったのだろうか。シャッターのところにも、何の貼り紙もないのだが。仕方なく、『船山』にしよう、と待ち合わせ る。

 船山、この時間でカウンター満席、空いたところにまたフリのお客が来るという盛況。しかし、これでは食事が終わって後かたづけが済む頃にはもう、船山さんは終電を逃してしまって、店どまりになるだろう。繁盛するというのもなかなか大変なことである。葉月の献立で、先付けがヒイラギの唐揚げ(二センチくらいのもの)、ハモの南蛮漬け、衣かつぎ。お造りがイナダ、アオダイ、鰺など5品。あと穴子の酒蒸しがあって、タチウオの葱味噌焼きがあって、伊勢エビの天ぷらがあって、長芋そうめんの酢の物があって、天茶がご飯で、あとデザートがトウモロコシの和風ムースと、葛切。K子は葛切の黒蜜が嫌いなので、今日は船山さんが特別に小鍋にして、ポン酢で食べさせていた。デザートに鍋というのも変だが。K子喜んだが、しかしやはり、手作り葛切りはやわらかすぎて、熱を加えるとすぐトロけてしまい、失敗。お酒は二人で一合の燗酒四本ほど。それに生ビールグラス一杯。

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