7日
木曜日
メディアメディアの若松さまよ
若松市正のような地味なレスラーでも、メディアに取り上げられれば売れっ子になり、枝も栄える葉も茂るということ。朝、快眠で7時半起床。空はどんより、降るような降らないような中途半端な天気。朝食、コーンと枝豆のスチーム、スイカ。『裏モノ日記』本のカバー、オビ類が届く。ツカが思ったよりコンパクトで、よくまあ、これまでに縮めたものよ、と改めて感心。17時間のAVの映像素材を1時間半に編集するのに中野監督が昨日、バテ果てていたが、似たような作業はどの業界にもあるもの。
午前中は雑用多々。光文社から電話、乱歩全集の見本が着きましたか、という問い合わせ及び原稿〆切確認。ご丁寧に。ちょうど資料に桃源社版全集を読み返していたところであった。乱歩体験を語るのにノスタルジーは必須の要素だろうが、わが懐かしの、といういつもながらの個人史エッセイとは、ちょっと異なったものにするつも りである。
進物に使うのに、味を確認しておこうと思って少量注文していたスモークベーコンが、北海道名産品の販売ネットから届く。“生で食べられるベーコン”というのがウリであるが、なるほど、風味豊か。パンとこのベーコン、それにキュウリとトマトで昼食にする。昨日、華暦でK子と、“最近おいしいうどんを食べていない”という話になり、NHKのYくんが前勤務先の四国から送ってくれた讃岐うどんはおいしかったねえ、という話をしていたのだが、西手新九郎で、当のYくんからそのうどんが届 いた。釜揚げで食べるのが楽しみである。
午後は『Memo・男の部屋』原稿書き。ニューヨーク暮らしがテーマなのだが、そうするとどうしても母のエピソードになってしまい、“男の部屋”の原稿にはふさわしくなくなってしまう。私の縄張りに持っていき、最後に母の話を持ってきてオチにする。筆が進んで、書き上げてから規定枚数に縮めるのに苦労する。文藝春秋社から『文藝春秋』9月号届く。“証言「日本の黄金時代1964−74」”という企画で、332名の人々がこの期間(東京オリンピックから田中角栄退陣まで)における最も印象的な事件について語っている。この雑誌の読者にはあまり私のファンとかはいないと思うのだが、知り合いの編集者Mくんからの依頼だったので、この日記にも以前記した、三島由紀夫の割腹事件の日のことを書いて送った。この事件が最も得票が多く、46人の人がこの時の記憶を書いてきたとか。そのうち文章が掲載されているのは23人で、中曽根康弘から赤瀬川源平、篠田正浩、藤田宣永、阿部謹也、竹内久美子、蛭子能収、中村うさぎ、それに私といった面々で、彼ら彼女らが、なぜこの事件を選んだのか、の理由が興味深い。
4時半に原稿アップ、メール。それから、SFマガジンの図版ブツ選定にかかり、これをイラストの井の頭さんのところに送ろうと荷造りするが、井の頭さんの住所のメモがどこかへ行ってしまって見つからず、見つかったときにはマッサージの予約の時間になってしまっていた。明日のことにして、外出。新宿でサウナとマッサージ。今日は例の女性の先生、SMかと思うくらい、いつもより三割方増しの力でグイグイと揉み込んでくれて、気持ちは凄まじくいいが、痛いことも相当で、何度かうめき声 をあげる、も少し強いと悲鳴になったかもしれない。
終わって東口まで歩き、紀伊國屋書店裏手の『鳥源』。幸い空いていたカウンターに陣取って、K子を待ちながら生ビール。すぐ汗になって後頭部を伝う。K子来て、鳥わさ、つくね、若鶏、キモ焼き、手羽など。メローコヅルの水割りで。夏コミで出るさんなみツアー同人誌が刷りあがったとかで見せてもらう。こんな、うまいモンを食ったことをひたすら自慢しているような同人誌を、買う人がいるのかと思う。水たきを頼んだら、テーブルが空いたのでそっちに移らせてくれる。本当にこの店は、ひたすら私を先生扱いなのである。ありがたいので従っているが、何度来ても、その理由がわからない。誰かとカン違いしているのではないか、とさえ思う。相変わらず凄い混みようだねえ、とお婆ちゃンに言うと、“イエそれが、昨日は全然ダメ。あきないとはよく言ったもんで、先がまったくわからないから、長いことやっていても、気 が抜けなくてあきないもんですよ”と。
ここの水炊きのスープを、食べるたびに“薄手のザーメン”とか悪趣味に称しているが、テーブルの上にこぼすと、すぐ乾いてバリバリになるあたり、まさに。小鉢が乾いたスープでテーブルに貼りついて、とれなくなるほど。向いのテーブルで、中年のおじさんにおごられていた若い二人、片一方はモテ男風、片一方は島木譲二の息子か、というような顔で、話を漏れきくと若手のお笑いコンビか、その卵らしい。松本人志を英雄のようにあがめており、自分たちの目標は千原兄弟といったところのようである。……話を聞いていて思ったのだが、たけしがメディアを制覇して以降のお笑い志望者には、かつてのお笑い業界人(私の知る当時の)に比べて、お笑いという位地に対するコンプレックスがまるでない。歌手や俳優たちと全くの対等の意識を持っている。お笑い芸人の地位向上はたけしが売り出した頃から常に口にし、テーマにしていたことであり、それが完全に達成された、ということが、実は映画や文化人として成功したということ以上に、たけしがこの世界を変えた大きな功績だろう。……しかし、それは十分に認めた上でなお、かつては人の中にも入れられない扱いであったお笑い芸人の道をあえて選ぶ、という行為の代償として得られていた、外道の存在としての芸人の自由さ、異形のパワーが失われてしまった部分は大きいと思う。いや、これはお笑いに限らず、芸能人全てに言えることなのではあるが。芸能とはもともとが裏の神事であり、それを引き継ぐ者は異界に属するものであった筈なのだ。