裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

日曜日

ダヌンツィオの思い

 あそこでムッソリーニに屈服したことは、かえすがえすも無念な……。明日は早いから、と早寝したのがたたって、3時前に目が覚めてしまった。そのままフトンの中で輾転反側、うちは夫婦揃って寝室の灯りはつけて寝る習慣なのでルサージュの本など読むうち、またトロトロと。夢の中で、ログハウス風の深夜レストランで、K子やそのアシスタントたちと飲んでいる。明け方まで待って、そこからコミケへ出かけようというのである。このレストランの場所は渋谷の筈なのだが、陽の光が射してきたので外へ出てみると、白砂の浜辺で、ヤシの木などが生えている南国の海岸。しまった、場所を間違えていた、と、夫婦で店を移動。しばらく歩いて(ここが夢だ)今度は正しく渋谷の、しかしまた同じようなログハウス風の居酒屋で夜明かしをする。アジア風のつまみが出る店で、食べながら知人たちと雑談。神田森莉が、“もはや漫才 も日本は東南アジアに追い抜かれたですよ!”と力説していた。

 5時半起床。目覚ましがなったが起きられず、しばらくフトンの中で、二回目が鳴るのを待って、しぶしぶ起きる。K子にはライ麦パンを焼き、私はそのままのパンにスモークベーコンとレタス、トマトをはさんでサンドイッチにして齧る。果物は梨。渋谷の紀ノ国屋で買った二十世紀は一ヶ450円、青山で買ったのは一ヶ500円だ が、50円の差で甘さが雲泥。外はどんよりとした曇。

 シャワーを浴びていたら、もう芝崎くん来る。ロビーで待たせておいて、急いで出動準備。金成由美さんに仕立ててもらったTシャツを着て、階下に降りる。気温から言ってタオルとかはいらないかな、と思ったが、思い直して一旦部屋に戻り、タオルを首にかけて戻る。これが後から考えて大正解であった。もうひとり、手伝いに、元ナンビョーさんサイトの常連のIさんを頼んでいたのだが、彼が遅い。遅いと言っても待ち合わせの7時に5分ほど遅れただけなのだが、イラチなK子がすぐ、タクシーを呼んでしまったので、彼待ちなのである。携帯で叱られ、来ても冷たく扱われと、 さんざんである。

 高速を通り、いつものようにビッグサイトのタクシー寄せ場に入るのにUターンできるかどうかというやりとりが運転手さんとあったり。堂々と“Uターン禁止”の立て看はあるのだが、去年の冬コミのときの交通整理係は“かまわんです、入っちゃって入っちゃって”と言い、今年の人は運転手さんが“出来ないの?”と訊くと、“まあねえ、出来ないと言えば出来ないんですがねえ……”と、含み持たせた返事なので かまわねえ、行っちゃえとUターン。

 東館への長い道を歩き、ブース場所の東パ04−Aへ。さっそく設営にかかる。右隣は『ダンウィッチの会』というところ、左隣は立川流本家、それから開田さん家の猫津波、さらに氷川竜介さんのブース、お誕生席がと学会、と続く。われわれの方はどこも売り物がいっぱいであふれだしそうだが、ダンウィッチの会の方は、テーブルクロスを広げ、そこにオフセットものとコピー本の二種の本を、それぞれ十部くらいづつ置いただけのシンプルさ。こういうのもいいな、と思った。主催者の人から、い つもご著書拝見しています、と挨拶されて恐縮。

 眠田さん、山本会長、S井さん、H川さんなど、と学会関係者に挨拶。眠田さん、“いやあ、今日は涼しいかと思ったけど、湿気がひどいわ!”と。私もまだ開場前だというのに、汗がひどい。山本会長が『あなたの血が欲しイーイーイー!』を喜んで読んでくれていた。『吸血鬼の宴』で、召使の名がイゴールなのに笑って、“吸血鬼ものに出てくる召使って言えば名前がイゴールなんだよねえ”と言うので、“日本語にすると「権助」なんですかねえ”などと。権助と言えば、藤倉さんは10年ぶりくらいで小説『スターシップと落語』の続編を書いた、と一冊くれた。と学会発足当時にそう言えば貰って読んだ気がする。今じゃ元ネタの『スターシップと俳句』も、誰 も覚えておるまい。

 立川流は元・キウイを看板にして座らせ、談之助さんは後ろにまわって援護、という方針らしい。畸人研究の今さん、日曜研究家の串間さん、氷川竜介さんご夫妻などと挨拶、岡田斗司夫さんのブースにも行く。藪中博章、一本木蛮夫妻、加藤礼次朗にも会って雑談、新刊交換会。児玉みゆきさんにもCDつきの新刊をいただいた。 やがていつも通り開場のアナウンスと共に拍手、と、思ったら、もはやぶっ倒れてタンカで運ばれていく人がいた。また早いね、と談之助さんと話す。たぶん徹夜で同人誌を作り、地方からお台場に運び込み、体力気力ギリギリのままにブース設営し、開場と共にその緊張がほぐれてダウンしたのであろう。顔をのぞき込んだらほほえみを浮かべているような表情だった。K子、“やっぱりこれがなくちゃコミケという感 じがしないわ”と。

 お客さんがドッとなだれ込んでくるが、評論ブースは売り切れがあまりないので、どうしても後回しになる。しばらくはツクネンとして待っていたが、やがて一人来て二人来て、とどんどん忙しくなってくる。意外にも、脇の売り物として作った『トンデモ創世記』の補遺本が売れ行きがいい。『あなたの血が……』は目的客が多いようで、アメリカン・馬鹿コミック本既刊三冊をまとめて買っていく人もかなりいるのがうれしい。“オバケ”というやつか、
「ここに出ているもの、全部ください!」
 という客も三組ばかり、いた。しかしまあ、評論の特徴かそれともうちだけなのか手にとって読む、その読み方の丁寧なこと。後ろに人が列になると委員会の人に注意 受けるので、かなり気をつかった。

 知り合いも多々。藤井ひまわりくん、啓乕宏之くん、元担当の中ニョン、AIWの茶臼山さん、それからくすぐリングスのりえ坊、佐藤丸美、神田森莉のお三方、ネクタイをきちんと締めた人が来て、名刺を差し出したので見ると、高須クリニックの高須力弥氏。“来月の例会にはサイバラさんとお邪魔いたします、よろしくお願い申し上げます!”と。奥平くんは例によってのウアアアアア、といった笑い声を立てながら、北朝鮮の小学校の筆箱などを見せてくれた。その他と学会でブースを個別に出している本郷さん、気楽院さんはじめ、いろいろな人が顔を出してくれたが、なにしろ暑くて頭がノボセ状態になっており、いちいち記憶できず。申し訳ありません。

 企業ブースで本を買わねばならんのだが、それはIくんと、あやさんの妹さんにお願いする。ササキバラゴウさんも来てくれる。コミケ参加にもいろいろと人とのしがらみがある。3時ころ、植木不等式さんが缶コーヒーを買ってきてくれたので、それで墨絵のサンドイッチをパクつく。しかし、アドレナリンが出ているせいか、あまり腹が減らないのは毎年のこと。立川流の方は後ろで談之助さんが次々に繰り出す、落 語の文句のパロディが凄かった。
「立川流、立川流、立川流の本来は」
「ここに持ち出したるは立川流同人誌、お立ち会いの中にはそんな同人誌は家の縁の下流しのすみにたんとあるという御仁もおありだろうが」
「もとは立川流か、へえ今朝ほど人間になりました」
「瀬を早み、岩に急かるる立川流、割れても末に買わんとぞ思う」
 ……これをほとんど一日中やっているんである。Iくんが隣で聞いてクック、と笑いをかみ殺していた。キウイのところには女性ファンが何人も訪れていた。こういう趣味の人も多いのだなあ。ロフトプラスワンから委託された私のレトロエロ小説朗読DVDは3000円という高額商品だったが即完売。しかし、昼過ぎから手伝いにいきます、と行っていた斎藤さんは結局来ず。SF大会の関係者や参加者で、“カラサワさん、SF大会に帰ってきてください!”という人が三組ほどいた。

 3時撤収、というのをK子と合い言葉にしていたが、間際にもボロボロと余り物に福で買いに来る人が耐えないのと、宅配に荷物を預けるのに時間がかかったので、結局、全て終わってタクシー乗り場に向かったのが45分、途中の通路で終了のアナウンスと拍手が響いた。で、乗り場に並んだのだが、この列が例年の倍くらい長い。しかも、タクシーの数が少なくて、いっかな前に進まない。後で聞いたら、フジテレビも同日に何かフェスティバルをやっていたそうで、そちらの方にタクシーが集められてしまったらしい。三十分待って、これではラチがあかぬと、浜松町行きのバスに乗り込んで、そこからタクシー。これは賢明な選択だったと思う。しかし、バス車内の臭気には辟易した。ただでさえ一般人より体表面積の大きい人が多いオタクたちが、コミケ準備でロクに風呂にも入らず、しかも今日の湿気でしめった服で、ギュウギュ ウにバスの中に詰め込まれているのである。

 雨が本降りになった中、帰宅が5時。斎藤さんから留守録で、3時に到着したが会場内で迷い、到着したときにはこっちはすでに撤収した後だったとか。いかにも斎藤さんらしい。シャワー浴びているうち、K子がざっと今日の売上げの精算。『あなたの血が欲しイーイーイー!』は500冊持ち込んでハケたのが300、『トンデモ創世記補遺』はと学会ブースに委託したせいもあるが、かなり行って400持ち込んで384冊のハケ(進呈分を引くと、この二冊の売上げ額がちょうど同額なのが一奇である)、その他、『ぶらりオタク旅』が200で170、『ジャック・チックの妖しい世界』『恐怖の巨顔女』等の在庫分が200持っていって100冊のハケ。間々で波があったので、今年はあまり売れていないかと思っていたのだが、案外ハケていたのだな。次回は新刊の値段を少し下げて、フリのお客でも手に取りやすい商品にしよう、とかK子と画策。そうこうするうちにもう時間迫ってきたので、タクシーで東新 宿『幸永』の二次会。

 同テーブルには植木さん、S井さん、H川さん、藤倉さん、談之助夫妻にキウイ。談之助さんたちはわれわれの後にタクシーの列に並んだのだが、意地で乗って帰ったそうである。K子に乾杯の音頭をとらせ、一応、と学会メンバーと今日の反省会。昨年に比べて会誌は売れ行きが落ちたが、これは東京大会とSF大会で先行販売をしたからであって、この販売冊数とコミケでの販売数をあわせると、ちゃんと例年なみの売れ方であった。一番の反省点というか失敗は、東京大会のチラシを挟み込まなかった、というか、作ってくるのを忘れていた、ということだろう。前もって、植木不等式氏にチラシ文案を作ってもらい、談之助さんの関係で印刷をやってもらう、ということも決めておきながら、制作責任者を決めてなかったもので、制作にGOサインを 出す人がいなかったのである。
「製造機に材料揃えて入れておきながら、始動スイッチを押すのを忘れていた、ということですな」
 とみんな苦笑。“と学会の名前もポピュラーにはなったが、逆に新鮮味がなくなってきている。常にマスコミの耳目を集めるような動きを何か起こしてなきゃ”と言うと、モー娘。オタクのH川さんが、“じゃあ、しょっちゅうメンバーを入れ替えたらどうかねえ?”と提案、談之助さんが“会長が一般会員を破門にするとか”と言いだ す。どうもウチは何をやっても冗談になっちまうな。

 談之助さんと、“明日、どうします?”と相談。実は明日、筑摩書房で落語本の打ち合わせなのだが、時間とか場所とかを決めたのが快楽亭で、その快楽亭、昨日から家を追ン出ているんで(快楽亭は携帯を持ってない)連絡がつかない。“家に電話をかけるというのも、ちょっとはばかるものがあるしネエ”と、弟子の方に聞こうと、ブラ談次、ブラ汁などに電話。やっと通じる。家に無事、戻ったようで“モウ大丈夫 でゴザイマス”と照れたような声で言っていた。

 生ビールとホッピーをおかわりおかわり。焼き物はゲタカルビ、ハラミ、豚とろなどいろいろ頼んだが、疲れた体に今日は極ホルモンの脂が特に染み込み、しみじみとうまかった。10時、私が音頭とって“オタクの三々七拍子”で〆。帰宅して、メールのみチェックして、就寝。ひょっとして、この夏一番汗をかいた日だったかも知れない。会場で使っていたタオルを洗濯機のカゴの中に放り込むが、あのバスの中と同じ、悪臭を放っていた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa