裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

土曜日

なめたら罹患ぜよ

 オーラルセックスは危険じゃきに。ここのところ、夢頻々。今朝のはやたら広いレストランに談之助・キウイらと行くというもの。ホールが二つもある巨大な店で、注文やサービスはインカムをつけた、スーツ姿の女性がそれぞれに担当としてつくシステムで、彼女がやたら馬鹿丁寧な自己紹介をする。このレストランは立川志加吾の家の近くだから、電話で呼び出してよと頼むと、携帯でなにやら会話していたが、“志加吾さんはいま梅雨で雨が降っていて寒いので出たくないということです”との伝言を伝えるので、談之助が笑って、“そりゃ言い訳で、本当はキウイと一緒に飲みたくないんだ”と言う。夢の中に知り合いが登場するときは、本当のその人物が絶対にしないようなことをする場合と、実際にそうしてもおかしくないことをする場合とがあ る。今回は後者。

 朝食、豆もやしと枝豆。ネットサイトを回り、日記つけ。批評社『犯罪と猟奇の民俗学』(歴史民俗学資料叢書・礫川全次編)を読む。“資料叢書”とあるように、明治・大正から現代までに刊行された、犯罪・猟奇関係の著書を紹介し、その内容をダイジェストしたもの。1909年の『日本農業雑誌』に掲載された『如何にして泥棒を防除すべきか』という文章から1958年刊の細谷啓次郎(阿部定事件の裁判長)のエッセイ集『どてら裁判』所載の『局部とその所有権の帰属』まで、取り上げた本は27冊。汗牛充棟の猟奇関連書籍の数から見れば少なすぎるが、さすが礫川全次だけあって、いずれも珍本がセレクトされている。数えたら、約四分の一の七冊は私も所有していたが、これは別に犯罪民俗学研究者でない、単なる古本好きとしては多い 方に属するのではないか。

 出版各社、井上デザイン事務所などとメール。それから思い立って、上野まで取材に出る。上野駅不忍口を出たところにある、上野のれん街(西郷さんの銅像の下にあるので通称西郷ビルの中にある)が、建物の老朽化に伴い、今月いっぱいで閉鎖なので、そこを写真に収めておくため。半世紀の歴史を持つビルだそうだが、学生時代、ここの雷おこしの看板の、キッチュな雷坊やの看板を面白がって、いつかどこかでこの看板を紹介したいと思っていた。四半世紀後、取り壊しの一週間前にやっと実現。 歴史の半分にはつきあっていたわけ。

 いろいろ書きたいこともあるが、ここの思い出などはWeb現代で来月あたり掲載される予定なので、そちらで読んでいただきたい。ただ、のれん街と言ってもここはスペースの中にしきりもほとんどなく、フリーマーケット状態にオモチャ屋、みやげもの屋、菓子屋などが並ぶ、いかにも戦後闇市のなごりといった感覚のある雑居ビルであった。ここが無くなることで、上野という街の引きずっていた“戦後”は、さらにその影を薄くするだろう。そう言えば、ここの古書セールには大学生のころから立ち寄っていたが、とうとう二十五年の間、一回も買わずじまいだった。建物自体は隣の松竹デパートの方が味があるが、ここも一緒に取り壊すのか。でないにせよ、いず れ余命は長くないだろうが。

 その後、不忍池をぶらぶらし、遅くなってしまったが昼食をとろうと、ひさしぶりに井泉上野本店へ。三時も過ぎかけているので大丈夫かと思ったが、ここは昼に店を休むということもなく、開いていた。いつもそうだが、今日は完全にノスタル仕様になってしまっている私で、初めて入ったときに見て感動した、川島雄三『とんかつ一代』(ここの店がモデル)の主役の森繁久彌に、主人がカツの揚げ方を教えている写真に、また感動してしまう。初めてきたのは結婚直後だったが、どういう用事か、上野に来て、何気なしに立ち寄ったこの店のトンカツのうまさに感動してしまったのであった。昼酒は飲まない主義だが、ここに来たらビールを、つきだしのシオカラで飲まないわけにはいかない(ビールのつきだしがシオカラ、というのもユニークだと思うのだが)。カウンターで優雅に昼ビールをやりながら、じっくりと7〜8分かけて揚げたカツを、専用の小さなまな板の上でサク、サク、と切って出してくれるまでの手順を眺める。箸でちぎれる、というのが売り物だが、まさにこうなるとトンカツは洋食でなく和食なんだな、という感じがする。カツの半分はビールのつまみとして、残り半分はご飯のオカズとして味わう。するとご飯が半分残るが、これをさっきのシオカラを半分残しておいたものと漬け物で、お茶漬けにして味わうのである。

 さっきデジカメで撮った写真をチェック。もう二、三枚撮りたいので駅の方へ戻るが、ビールを飲んだので汗になるなる。撮り足しの後、地下鉄に乗って青山まで。紀ノ国屋でちょっと買い物して帰宅。地下鉄車中で多木浩二『天皇の肖像』(岩波現代文庫〜岩波文庫赤帯版の増補改訂)を読了。明治の日本がそれまで持ったことのない“国家”という意識を持つにあたり、絶大な力を発揮した御真影の謎を解く著者の理論は、“当時の、文化、社会、経済的状況も含め、それは頂点にある天皇から最下層の民衆にいたるまでの一切の要素を、政治的に全体として統合する象徴的意図として現れることを見逃すべきではない”というような学者風悪文にかなりさっ引かれてはいるものの、刺激的で非常に面白い。

 帰宅してメールいくつか。『裏モノ日記』の“デンパと一緒”本、旧知のファンに当たったようである。編集者のK田くんにそのことメール。K田くん、“女性もたくさん応募してきたというのに”と残念がる。寝転がって今度はデヴィッド・モーガン『モンティ・パイソン・スピークス』(須田泰成・訳)を読む。まるで読書日記だ。関係者の証言を、食い違っている場合であっても、どれが正しいという判断を敢えてせずに並列にならべているインタビュー構成が、よりモンティ・パイソンという番組の迷宮性を高めて、モンティ・パイソンらしさをあふれさせているように思う。

「映画に関しては関係者の、ことに生き残った関係者の証言を信じてはいけない」
 というのは森卓也氏に若いころ教わった映画研究者の心構えである。“生き残った者に聞いたら全部アレは俺がやったというに決まっている”からである。別に映画に限ったことではないと思うが、集団芸術の世界では特に、無意識のうちの栄誉のひとりじめが行われやすい。今でも特撮映画関係で、“あの人の言うことを信じると痛い目にあう”と言われている人が何人もいる。ことにインタビューに関しては、リップサービスというものが加わるために、話がどんどん面白いものになっていきがちなのである。『星を喰った男』のエピソードの中にも、アレは事実と違う、という指摘がいくつかあったが、証言集というのは“その人の目から見た、あるいはその人の認識の中での”真実に過ぎない。これは押さえておかないといけないことであろう。そして、それであってなお、当時の現場の様子を知る人の言は、最大洩らさず記録してお かなければいけないのである。

 8時、家を出て半に伊勢丹へ。レストラン街の天ぷら屋『天一』(K子お気に入りの店)で食事。その後、こないだ『虎の子』夫婦と行った二丁目のバー『一生酒』に行こうとするが、場所を全く覚えていない。K子がキミ子さんに電話して場所を訊いて、何とか行き着く。明日は二丁目はレインボー祭だとかで、今日もすでに街路にゲイたちが肩を組んで座ったり、抱き合っていたり、かなりのにぎわいだった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa