裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

水曜日

新婚さんフレッシュア〜イ!

 ちなみにフレッシュアイで“新婚”を検索かけたら337628件がヒットしました。朝、今日は本当にもう起きろとK子にこずかれて、7時40分起床。小雨模様。朝食、相も変わらずトウモロコシと枝豆。テレ朝では久米宏のニュースステーション降板をスーパーモーニングのトップ扱いで報じている。自局びいきもはなはだしい、一キャスターの降板がそれほどのニュースか、と毒づきたくなるところではあるが、しかし筑紫哲也も森本毅郎もかなわなかった、ニッポン一のニュースキャスターの降板となれば確かにこれはニュース価値はあるかもしれない。スーパーモーニングの渡辺宣嗣が、“私も久米さんがお休みの間、『ニュースステーション』を受け持ったことがありまして……と言っていたが、そうそう、そのときは視聴率がガクッと下がっ て渡辺はかなり株を下げた。

 こう言ってはなんだが、渡辺はテレ朝のエリートアナウンサーとして、その視線にどうしても一般庶民を見下した部分を持っている。筑紫哲也や鳥越俊太郎にも、“自分はジャーナリストだ”という気取りがある。『ぴったしカンカン』で“ほにゃぺけの……”などとやっていた当時から、飽きっぽい視聴者の嗜好に徹底して向き合い、『ザ・ベストテン』で口の回転が全盛期の頃の黒柳徹子とわたりあい、早いうちから独立して自分を“商品”として売っていくつらさを味わい、ついでに不倫相手の自殺未遂事件でしばらく仕事をホサれ、地獄も味わったことのある、海千山千の苦労人で あるところの久米宏に、かなうわけがないのである。

 筑紫や鳥越のような“ジャーナリスト”は、口癖のように“マスコミは真実を報道する義務がある”などと甘っちょろいことをいう。実際には視聴率を担う大衆が求めているのは、真実などではなく、自分たちの好む内容のニュースに過ぎない、ということを、冷静に見抜いていたのは久米宏一人ではなかったか。引退会見のコメントで“今、思うと世論をミスリードしたことも多々、ある”と殊勝に反省の弁を述べていたが、実は世論の方こそが彼をミスリードしていたのであり、それに確信犯的に乗っかったのが、彼が他の何人(なんぴと)もの追随を許さぬ、トップのニュースキャスターとして君臨できた理由なのではないか。

 扶桑社Oくんからと学会MLに、『愛のトンデモ本』重版のおしらせ。発売以来、扶桑社の出版物の売上げの常に上位にいた、というのは意外。こういう、トンデモ系でも脇筋の本は古いマニアから排除されるかな、と思っていたのだが。たしかに、書 店などでも扱いがかなりよかったように思う。

 朝の雨、昼過ぎにはあがる。12時半に家を出て、キッチンハチローでエビフライライスで昼食。駅前の大盛堂文庫タワーに立ち寄り、『新潮45』を探すが置いてない。『愛のトンデモ本』は小林よしのり氏の『戦争論3』の脇にいまだ平積み。『トリビアの泉』の脇には松尾貴史の便乗本がある。私の本は置いてないのかな、と思って店内を見渡したら、タレント本のコーナーに『壁際の名言』と『裏モノ日記』の二冊が、表紙を見せて並べられていた。タレント本コーナーというのが妙にうれしくて ニヤニヤしてしまう。勘違いして買ってくれるヒトがいるといいが。

 東急プラザ二階の渋谷フランセに寄ってプリン、マチェドニアなどを詰め合わせてもらう。今日は4時から日活で試写会だが、その前に銀座の宇多まろんことカナビスの人形展をのぞいていこうと思うので、手みやげがわり。場所は銀座一丁目にある奥野ビル内の『ギャラリー銀座一丁目』というところなのだが、最寄りの駅は有楽町線である。銀座線で行くと有楽町線とは永田町で乗り換えなのだが、これが非常に大変なので、銀座で降りて後は外を歩こうと思った。……ところが、銀座で一番一丁目に近い口を探すのにとまどい、また出てから道を探すのにとまどい、と、蒸し暑い中、汗をうんとかいてしまった。こんなことなら永田町で乗り換えるんだった。丁度着ていたのがインド麻のシャツで、涼しげでいいのだが、このシャツ、汗をかくと布地の 色がハッキリ変わって、どうにも汚らしくなる。気になって困った。

 途中でプリントアウトした地図がどこかへ行ってしまうというアクシデント(こういうことがよくある。以前静岡で講演会場に行く道すがらでも、ちょっと気を別のところにとられているうちに、ついさっきまでテニ持って確認しながら歩いていた地図が忽然と消えてなくなった)があって一時呆然となったが、そこらをフラフラ歩くうち、無事、『ギャラリー銀座一丁目』という看板を見つけてことなきを得た。ギャラリーは4階だが、ここのビルはエレベーターはあるにはあるが、6、7階に直行で、他の階には階段をつかわねばならない。ヨッコラショとあがると、ちょうどカナビスがいたところで、ふう、と一息ついておみやげを手渡して、ひと安心。

 このギャラリーが入っている奥野ビルというのは、旧名を『銀座アパートメント』というビルで、1932年(昭和7年!)竣工という古いビル。さすがに一目見ただけでガタが来ている、という感じの古ぼけ方だが、完成当時はさぞやモダンな建物であったろうと思わせるデザインで、踊り場のところなど、“これぞビルディング”という雰囲気である。エレベーターのインジケーターが芸術品みたいなデザインの指針式というのも、またその扉が二重扉で開け閉めが手動式というのも、今日びちょっと他では見られないものだろう。もちろん、古いもの好きの身として、ちゃんと乗ってみたのだが、この扉が重いこと。ウチのマンションのエレベーターですら古くなっていて、一ヶ月に一回は検査しないといけないのに、ここのはどうやっているのか。

 で、カナビスの参加しているグループ展『少女幻燈館』(人形とロリータドレスの展示販売)だが、こういう廃墟寸前といったビルで行うのに非常に似合っている展示会である。もっと宣伝すればいいのにと思ったが、訊いてみたら知り合いの編集つながりで、『SMスナイパー』で告知を載せてもらったとか。
「そしたら告知に“縛りあり!”って書いてあるんですよー。やっぱり雑誌が雑誌だけにそう書かないと注目されないのかなーって笑っちゃって」
 いや、実際に縛りの人形もあるんだが。

 写真撮らせてもらい、少し雑談。今日は他の出展者がいないということで、落ち着いて話が出来たのがよかった。このビル、こういうたたずまいが人気で、場所の借り賃はかなり高いらしい。ところが、一階のギャラリーをなんと小学生が借りているという。四人くらいの共同で絵とかを展示している(私もビルに立ち寄ったときに“見てってくださーい”と誘われた)のだが、その絵が『テニスの王子さま』だったりするとのこと。“ガキがこのビル借りてテニプリかよ!”と笑う。で、このビルもさすがに老朽化で限界が来ていて、来年は取り壊しが決まっているとのこと。こないだの上野西郷ビルは五十年、このビルは七十年。イギリスやアメリカには百年超えて現役 のビルがいくらもあるというのに。

 三十分くらいいて、辞去。そっと下のそのテニプリ展示をのぞくが、昼でも食べに出たのか、誰もいなかった。そこから大江戸線に乗り、本郷三丁目駅まで。日活試写室に行くのは初めてで、少し迷う。受付で細谷氏に挨拶、試写室には小野耕世氏がいたので、これも挨拶。映画は9月からユーロスペースで開催される中平康レトロスペクティブの上映作品の中の一本、『おんなの渦と淵と流れ』(1964)。原作は湊葉英治『渦』という、知らない作家の作品。それを三部に分けて、『渦』『淵』『流れ』とタイトルをつけているが、実質的には一本の映画である。大連、金沢、東京と場面が変わり、戦前の大連、戦後の新宿(思い出横町)、丸の内などの風景が出てくる。大連と新宿はセットだが、丸の内はまるきりそのままで、どのビルもみな、さっ き見た奥野ビルみたいである。

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD21507/comment.html
 ストーリィは↑あたりで見ていただきたい。全編を通じて、プライドと独占欲が強く、生活能力がないくせに、終戦時の満州や戦後の金沢で料亭を経営して自分を養ってくれている妻を“教養がない”ことで軽蔑し、しかしその肉体のみには執着し、それ故に他の男に抱かれた妻を許せず、精神的に彼女を追いつめていくインテリ(仲谷昇がなりきりという感じの好演)の情けなさが、徹底して描かれていく。暗い過去を持ち、夫を心から愛してはいるが、肉体の欲求には勝てずに客に抱かれ、精神的な面で夫を満足させられない自分の存在を寂しく消し去ろうとする妻・須賀子を演じるのが稲野和子。この稲野の色気にアットウされる。肉体もそうだが、目が凄い。精神的に飢えていた“教養ある会話”を夫が若い女と交わしている(これをまた意地悪く青 臭さ芬々に描く)のを、背中越しに寂しげに見つめるその眼技。

 他の演技陣も、ちょっとした役に至るまで新劇中心の芸達者たちが極めてアクを強く演じている。なにしろ小池朝雄、加藤武、三津田建、北村和夫、神山繁、澤村貞子といった濃さで、ほとんどワンシーンの出演でも庄司永建、下條正巳などを使っているくらいである。最後に年上の須賀子に惚れる学生役の川路民夫も、いかにも川路っぽい屈折した青年を演じており、さすが中平康、役者使いのうまさは天下一品と感心した。……とはいえ、二時間の長丁場の中でこの作品、実験映画かと呆れるくらい、象徴的映像が多い。タイトルにもなっている水の渦にはじまって、壁の穴、途中で壊れている橋、玄関の靴、雨、うごめく水草、庭の石像、部屋にあった支那靴などなどが意味ありげに映され、おまけに心理描写のナレーション、テロップの多用など、作品を複雑に仕上げるためにテクニックを弄しているという感があり、こういう映画に慣れていないのだろう、隣の席にいた茶髪、ガングロ、タンクトップの女の子二人は 途中から悲惨なまでに退屈そうにしていた。

 ここを出て、本郷の書店で『新潮45』を探すがこっちでは売り切れ。仕方なく、バスでお茶の水まで行き、三省堂でやっと購入。半蔵門線で青山に出て、紀ノ国屋で買い物。帰宅して、さすがにヘバり、シャワー浴びて少しネット。今朝は『愛のトンデモ本』のことで連絡があったが、今度は本家・太田出版から次回のと学会本(正規本)への執筆依頼。と学会もますます隆盛といった感じで結構。ここのところ、連日で出版の企画の話が来ている。今朝もそう言えば廣済堂のIくんから催促があった。商売繁盛は結構だが、このままでは火を吹くのはあきらかで、スケジュール調整を思うと、ちと頭が痛い。そういえばカナビスから、彼女の恋人の某人気マンガ家さんも
「毎年、“来年は一切仕事をとらずに休養する!”と宣言するんだけど、毎度言うだけなんですよねえ」
 と聞いた。現代で何かなすことが出来る奴、というのはワーカホリックな奴だと信じている。

 8時、夕食の準備。今日は昨日もらったあのつくんからの野菜を使った料理を、というK子のリクエストで、ジャガイモと厚揚げの青椒牛肉絲ふう炒め物、茄子と羊肉の蒸しもの、それと青トマト、キュウリを自家製ニンニク醤油にさっと漬けた即席漬け。テレビで『トリビアの泉』、今回もネタ自体は大したことなかったが、“テンガロンハットに実際に10ガロンの水が入るかどうか試してみる”映像のナンセンスさがよかった。だいたい、試すまでもなく10ガロン(38リットル)の水が入るわけがないのだが、そこをきちんと実験し、しかもテンガロンハットならこのヒト、という片山晋呉からわざわざ借りた帽子でやるぜいたくさがいかにも高視聴率番組ならでは。黒服の男が二人、まじめくさって台の上から帽子に水を注ぐ絵はモンティ・パイソンのコントみたいであった。実験が終わったあと、水浸しでぺちゃんこになった愛用の帽子を見つめる片山の、呆然というか憮然というかの表情を一瞬映すのがまたいい。この番組はそっちの方のセンスで人気を得ているんだろう。

 それにしても番組本、すでに90万部にせまるイキオイだとか。腹立たしいので、こないだ扶桑社に“どうです、講談社に番組本取られたんだから、扶桑社で「元祖・便乗本」出しませんか?”と打診してみたが、さすがに一蹴されたことであった。見終わったあと、大陸書房のビデオで『日露戦争と乃木将軍』。桑田宗太郎制作の歴史ドキュメンタリー映画であるが、やたら古いものらしく(制作年度データがない)、ナレーションの名古屋章の声が若いわかい。こっちの方に日露戦争の映像より時代を感じてしまった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa