16日
土曜日
酒の上のバイオリン弾き
いや、昨日は酔っぱらって、下手なバイオリン演奏など無理にお聴かせいたしまして、面目次第もはや……。朝、7時15分起床。今日は雨は午前中まででやむ、という予報だったが、やみそうもない降りである。ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』の中に、“天気がこれからよくなります”と言う天気予報官は、外れてもあまりうらまれないが、“駄目ですねえ、一日中降りますよ”などと不吉な予報をする奴は、たとえその言った通りに降っても、なんとなく“あいつが降らしたんだ”とうらまれる、とあった。うらまれないようにしているのだろうか。私などはどうも 感じ方が逆なのだが。
メール送っておいた母から無事のメール、また電話。23時間目にやっと電気が通じたとか。停電になってすぐしたことはキャンドルを買いに行ったことと、冷蔵庫の中のアイスクリームを全部食べたことだったそうな。“これで私のニューヨーク暮らしも、平凡なものじゃなくなったわ”と言っている。こういう思考をする人間は、幸せかもしれない。周囲のアメリカ人は“前にも下町で似たようなことがあったけど、復旧に半日かかった。今度は範囲が広いから二、三日かかるさ”と、至極呑気に対応していたという。それにしても、あれだけ犯罪の巣窟と言われたニューヨークの、この治安のよさは(数件の略奪や窃盗行為はあったようだが、当初報じられたような大規模犯罪の発生などはなかったようだ)何か。テロもなく、集団ヒステリー的な暴動もなく、おまけに株価の大幅下落などの騒ぎもなく、経済も安定していた。いかなアメリカ嫌いの文化人たちも、アメリカの治安が本当によくなっていること、これは認めないわけにいくまい。マイケル・ムーアなどがさんざ銃社会の危険性を喧伝してい る中で、これはいったい、どういうことなのか。
大きな声では言えないが、“戦争をしていた”せいなのではないか、という理由が考えられないか。イラク駐留が長引き、フセインは未だにつかまらず、この先戦争情勢は下手をすると第二のベトナム化を招くかもしれない、という危機感が、国民一人ひとりの胸にあった。その緊張が、大停電というアクシデントでも、統制を保ち、個々人が自分の行動に責任を持った、ということなのではないか。ここでニューヨークが大混乱を来せばテロリストたちの跳梁を許すことになる、という踏ん張りを市民に持たせたのは、戦争によって(それに対する立場こそそれぞれ違え)惹起された“愛国心”なのではないか。これは日本も同じだが、戦争中の犯罪発生率というのは平和時に比べ、極端に低くなるのである(もちろん、犯罪を犯す可能性の一番ある、体力のある世代がみんな軍隊に取られてしまうから、という要因は大きいけれど)。日常社会の安全性を高めるには戦争を仕掛けた方がいい、という理論がなりたつ、などと言うと真っ赤になって怒り出すシャレのわからない奴もいるだろうが。呵々。
12時にロフトの斎藤さんが、明日のコミケでの委託販売のDVD(私のエロ朗読の会の)を持って来る。昨日、K子がかなり電話でキツいことを言ったらしく、やたら恐縮していた。“せっかく来たんだから”と『裏モノ日記』新刊を一冊あげたら、“あーん、カラサワさんはやさしいです!”と。昼は外へ出ず、パックのご飯を昨日の鍋の残った汁にぶち込んで掻き込む。羅臼昆布に鴨、それから蜆でしっかりとった出し汁なのでうまいが、やはり副食物がないのは物足りない。Web現代原稿書き。雨続きで、このところ、数回続けて取材が流れている。雨だから出来ない、というのでなく、雨だから行く気にならない、というのが情けない。手近なものでネタになる場所を探すのもそろそろ手詰まりだし、せっかく使える取材費を使わないのももった いないので、どこかへ取材に行かないといかんのだが。
アスペクトの『裏モノ日記』先行発売本のサイン入れの日取りについて検討。この予約の件については当サイトトップページの“お知らせ”欄を参照のこと。
原稿なんとか2時にアゲ、メール。コミケに開田さんたちやその他今日参加の知人友人たちの陣中見舞いにも行きたかったが、今から出かけてももう3時過ぎ、撤収にかかっているところがほとんどだろうと思い、断念。今夜は神戸からの金成さん歓迎会&前夜祭なのだが、それまでの時間が半チクになってしまったので、ふと予定表を見ると、上の広小路亭で3時から立川流落語会。談生、談之助、文都という面子なの で、ちと寄ってみるか、とふらり、小雨の中上野に出る。
広小路亭、クツを持って階段を上がったところで、カワハラさんに会う。“あらセンセイ、こういう会にいらっしゃるの、珍しいんじゃありません?”と驚かれる。こんな会でもちゃんと彼女、談生について来ているのに私も驚いた。感心だなあ。それより私の驚いたのは、せいぜい客も14,5人くらいかと思っていたら、場内ほぼ9分の入り、という盛況だったこと。高座に上がった談生改め談笑(メクリは談生のままだったし、改名のことを振りもしなかったが)が、うわっ、と驚いて、ナンデスカ今日のこの入りは、と言っていた。それにまた、よく笑う。年寄りの客が大半だったが、危ないギャグにもかなりついて来ていたのには驚いた。ネタは『金明竹』東北弁バージョン。柳家小袁治が十八番にしているやつか。大阪弁以上に何を言っているかわからないが、隣の席のお爺さんがむせこむまで笑っていた。
次が志遊、まくらも何もなく『ちりとてちん』、それから龍志、こっちはまくらもたっぷりやって『崇徳院』、小さなギャグもウケるので気持ちよさそう。仲入りで楽屋の談之助に、明日よろしくとの挨拶。快楽亭とカミさんのケンカばなしで、“師匠(談志)のところがまた別居騒ぎなのに、師弟で別居していてどうする”と大笑い。後半はその談之助から。ネタは十八番『立川流残酷物語』。これで爆笑がとれるということは、この老人客たちみなマニアか? と首をひねる。と、いうより、こんな年代にもパブリック・エネミーとしての談志という存在は浸透しているのか。“まったく、今のわれわれは北朝鮮の国民と同じで、一日も早く独裁者がいなくなることだけを楽しみに生きているありさまなんですから”と言うと、斜め前の座布団に座っていたお婆ちゃんが高座の談之助に“大丈夫、もうちょっとだよ!”と声をかけていた。談志より年長であろう年寄りが、もうちょっとだ、などと笑っていうのも、えらいブラックユーモアである。で、さんざ談之助が話の中でからかった文都がその後のトリで上がり、開口一番“全部ウソだっせ、正味な話!”とやって笑わせていた。演目は『壺算』。文都とか志雲とかは、こういう上方噺を、どこで稽古するのかな。談志には習えないだろうし。
噺の中で、“水壷、水壷”というのが耳に妙にさわる。壷というのは中のものを注ぐための容器であり、口の部分が小さく“つぼまっている”から“つぼ”という、という語源説もあるくらいで、口が広い容器を指す“瓶”とは違う。台所などの水の容器は“水瓶”というのが正しいのだ。第一、“水壷”なんて言葉は広辞苑にも載っていない。だが、題名が『壺算』なのだから、ここは“水壷”と言わないかん、と、実際にはない言葉を噺の中では使っているのである。なんで『瓶算』でなく『壺算』なのかというと、これも広辞苑に載ってない言葉だが、昔、上方には“坪算”という言葉があり、家を普請するときに、坪数を見積もり違いして計算が合わなくなることを言ったらしい。大正頃までこの言葉は残っていたとかで、これにひっかけて、壷の値段が合わない噺を“壷算”と言ったという。まあ、これも出所のいまいちハッキリと しない、本当かどうかわからない説なのだが。
聞き終わって外へ出て、新宿まで山手線で。紀伊國屋書店で新刊数冊。それから、明日のコミケでの昼飯用に『墨絵』のサンドイッチを西口メトロ食堂街で買い、また山手線で新大久保まで。台湾料理『富翁』で金成由美さん歓迎会。開田さんのところの怪獣の一巻きが20人以上いた。こっちは鈴之助、GHOST、IPPANさん、Gさんといった小規模メンバー。K子も揃って、では、と乾杯。バイキング用の皿が並んでいるので、バイキングだと思ったら、そのコースではなく、個別注文のコースだということになり、ちと意志の疎通が食い違う。K子は“なに、鍋じゃないの?”と文句を言っている。今回、彼女がこの富翁を指定して、幹事をIPPANさんにまかせていた。彼女はこの富翁では鍋バイキングしか食べたことがないので、まかされ たIPPANさんが、鍋以外のコースをとるとは思っていなかったらしい。
まあ、正直言うと、この店は鍋以外にはあまり大したメニューはないのである。とはいえ、そんなことは幹事をまかされた方も知らないし、また、鍋にしなかったのも予約した時点では、“暑い最中に鍋ではどうか”と思ったとしても無理はない。小雨というよりは氷雨、と言った方がいいような気候で、向こうの席で鍋を食っている客が何かうらやましかったのだが。ともあれ、料理はじゃんじゃん出てきて、金成さんが持ってきて詰めにくいさんの結婚祝いの色紙にお祝いを書き込んだり、昔なじみの いろんな人々の噂ばなしで盛り上がったり、会そのものは大変盛り上がった。
10時お開き、金沢のS井さんたちはこれから夜行バスでまた金沢まで帰るということ。“なのになぜ歯を食いしばり 君は行くのか そんなにしてまで”と歌って、送ってあげたいような気になる。タクシーで帰宅、明日のちょこちょことした準備し て寝る。