裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

火曜日

マッスグ・ファクター

 コスメの道を一直線に。朝、7時45分起床。朝食、ピーナッツスプラウトと枝豆の蒸したの。新聞にグレゴリー・ハインズ死去の報。彼のタップが好きだったか、と言われるとうーむ、と首を傾げるが、80年代の彼の出演作は日本公開されたものに関しては『ウルフェン』(凡作)から始まって『珍説世界史パート2』(まあまあだがハインズのエピソードは面白くなし)、『コットンクラブ』(まずまず)、『ホワイトナイツ』(なかなか)など、ほぼ観ていて、スターの階段を駆け上がっていく状態(まさに『コットンクラブ』状態)を、リアルタイムで追いかけていたので、印象に深い俳優である。なぜ彼のタップが好きとストレートに言えなかったかというと、私にとってタップとはアステアの洗練されたシアター・タップだったわけであり、ハインズのワイルドなタップにはちと、なじめぬものを感じてしまったのだった。ハインズ自身、自分の先達はアステアよりもダイナミックなジーン・ケリーの方だと思っていたのではないだろうか。ジーン・ケリーのAFI功労賞受賞記念番組に出演したハインズは、ステージに上がり、“偉大なるジーン氏に、私のハートと、両脚から、最高の感謝と尊敬を捧げます”と挨拶し、タタタン、と一瞬だけタップを踏んでみせた(記憶だけで書いているので違っているかも知れないが)。その“粋”な姿が最も 印象に残っている。

 そう言えばジャック・ドレーも死んでいた。『ボルサリーノ』のラスト、ベルモンドの死に方を見て、ああ、やっぱり粋に死ぬ芝居はベルモンドが一番だなあ、と感心しました。なぜか日本ではアラン・ドロン主演というだけで、『太陽が知っている』とか、『友よ静かに死ね』とか、過去のヒット作の二番煎じ的なタイトルをつけられて公開されて、気の毒であった。配給会社に才能を認められてなかったということだ ろうか。

 昼に外出、とある店で買い物したら、夏休みのアルバイトらしいレジの女の子、少年ぽい顔と体型で、なかなか可愛いな、と思っていたのだが、品物を受け取るときにひょいと見たら、左腕の手首と肘の内側の部分に、自傷のカミソリ跡がいっぱいだった。最近はこういうの、珍しくないのか。神山町の焼肉屋で冷麺。ランチセットだとキムチにチヂミ、なんだかキノコの煮物みたいなの、それとヤクルトのパチもんが一 本、ついてくる。

 ゼニスプランニングというところから刊行されている栗山満男『プロレスを創った男たち〜あるTVプロデューサーの告白〜』を読む。著者は猪木の新日本プロレスを中継してきたテレビ朝日のプロデューサー。オビにはあのミスター高橋の“この本には私でさえ知らなかった事実が書かれてある”と言う推薦文があるが、内容は、確かに新事実はいろいろ書かれているが、『流血の魔術 最強の演技』ほどショッキングではなし。まあ、こういう裏はあったろうな、と思えることがほとんど。プロレスを徹底的にエンタテインメントビジネスとしてとらえる、ミスター高橋の『マッチメイカー』(同ゼニスプランニング刊)のような“思想”がないからだろう。あと、何か変だなと思ったのは、著者紹介欄のところで“このほどゼニスプランニングから『プロレスを創った男たち〜あるTVプロデューサーの告白〜』を出版、プロレス界の歴史の一幕を書き下ろした”とあること。当の本の著者紹介に、その本を書いたことを入れるというのは、何かパンツを二枚履いたような感じで落ち着かないのだが。猪木の悪口は当然いっぱいあるが、山本小鉄を、実際に強いのではなく、“強く見せるのが好きなレスラーだった”、と批判しているのが面白い。

 5時15分、家を出て銀座線三越前、お江戸日本橋亭にて『大江戸ホラーナイト』第一夜。快楽亭のプロデュースの寄席としては顔ぶれが今までで一番豪華で、喬太郎や花録、昇太と人気者を毎日日替わりで揃えていることもあり、さすがに満席のにぎわい。楽屋に挨拶に出向く。文都さんと快楽亭が志加吾のことを話しているので、少 し間に加わる。雷門の名前をもらうらしい、ということなど。
「志加吾サイドの人は、今回のことは全部キウイが悪いんだ、と言ってる人が多いん じゃないですかね」
「そら開田さんたちくらいでショ。そんなこともない、あいつ本人にもいろいろ原因 があるンだけどねェ」
「こないだの同人誌で、センセの司会された座談会、あれはまさに絵が目の前に浮かぶようでしたナ。見事にそれぞれがニンに合ってしゃべったり動いたりして……。キウイが無駄に飲み物運んだりして叱られてるとこ、いかにもでしたワ」
 その座談会、談之助から30部ほど、先行発売分が届いていた。パラパラと読むが今回もなかなか充実。元気いいぞう、松元ヒロ両氏にも挨拶。松元さんと、例の白山先生の会のハプニングについて。私がそのことを日記に書いたら、なんとそれを読んだどこやらのお堅い雑誌から、ヒロさんのところにインタビューが来たらしい。感謝されたが、へえ、そんなところが読んでいるのか、と意外であった。そこから、みんなの客からケンツク喰った話。やはり快楽亭のが一番面白い。そう言えば、楽屋に日 本橋亭から注意の貼り紙があって曰く、
「最近、芸人さんで高座の上で“出演料が安い”“招待券で入る客がいる”などと話す人がおり、お客さんから“大変に不快である”との苦情が寄せられております。当劇場はお客様に快く演芸を楽しんでいただくための場であることを認識の上、発言にはくれぐれも注意してください」
 と。失笑してしまった。あと、筑摩書房への打ち合わせ、談之助さんも行けることになったらしい。これはよかった。

 席に戻って、顔見知りに挨拶。お久しぶりのM田くん、M川くん、それから傍見頼路氏。傍見氏は気がつかなかったが、南湖の会にも来ていたらしい。これで少し私のサイトの集客率も上がった。『誕生日』には泣いたそうである。話していたら、何かのっぺりとした顔の人が近づいてきたので、誰かと思ったらFKJ氏だった。何でヒゲ剃ったの、と訊いたら、いや、免許の更新なもので、と。免許写真はヒゲがいけな いのか?

 開口一番はブラ汁で『鶴』。普通の会ならもっとウケたろう。続いてが元気いいぞう。もうトバすトバす。会場、たぶん彼を初めて見たらしい若い客は大爆笑していたが、最前列の一番端の、ガタイのいい、ヒゲ面の客だけニコリともしておらず、何かそっちが気になって困った。次が喬太郎、“皆さんに言いたい、あの後に上がって落語やってみなさい、自殺行為だから”と。それでもフリートークでちゃんと観客を自分のペースに持っていくところは、さすがライブの帝王。私は彼の顔を見るたびに、大森望に似ていると思っていたのだが、それに3割くらい山本弘も入っているな、と今日発見した。ネタは初期作品の『いし』。いかにも円丈以降世代の新作落語、という感じ。本人が“つまらない話”と言っているらしいが、それでしっかり客をつかんでいることにつくづく感心。ただし、彼の新作はいわゆる“芝居芸”(いわゆるなどと言って、私しか言っていないコトバだろうが)である。完全に演者がキャラクターになりきっていて、そこに“分析”の要素がない(これは喬太郎のもっとマトモな話もしかり、である)。それだから、この不条理劇のような、徹底して意味のない話でも、最後まで客をシラけさせず引っ張っていけるのだろう。似たような芸風、というか作風の談生は、演じていて、そこに三分の演者自身が残っており、必然的に自己分析が混じる。これは師匠の談志譲りである。だから、聞いている途中で、演者も観客も、“しかし何の意味もねえ話だよなあ”と、半ばシラケてしまう。談生の場合は、このシラケ加減をも楽しめる、ヒネた観客でないとついていけない。同じタイプで一方が主流、一方が傍流になっている、ここが理由の一つのような気がする。私は……当然、傍流好みなのだが。

 続いてブラック、『亡霊怪猫屋敷』のネタなど彼らしくフッて、『野ざらし』谷ナオミバージョン。もう、いつものブラック。そこでお仲入り、幕が開いて佳声先生。猫三味線、今回は三日連続で全編通しかと思ったら、後半部分のみ。まあ、この作品は全編通すと三時間かかるわけで、一回の出番が三十分で三夜とすると、ちょうど半分しか出来ないわけである。河岸らしい、魚づくしの火の用心の夜回りの文句(“あわーびぃー、肝はおまけぇ……”)など、例によっての入れ込みが面白い。

 その後が松元ヒロ、脇の席に座っていた、演芸好きのインテリっぽいお父さんと一緒に聞いていてお嬢さんに、無茶苦茶に受けていた。トリが川柳で、『映画やぶにらみ』。さっぱりホラーでないところがいかにもこの人らしいが、今日は少し投げやりに演っていた。終わって、快楽亭が“アラ、帰るンですか?”と言っていたが、三日連続で打ち上げにつきあってもたまらない。K子に電話して、地下鉄で赤坂見附まで行き、そこからタクシー。途中でスコールのような雨。『花菜』と思ったが早めの盆休みらしい。仕方なく、参宮橋までまたタクシーで行き、『クリクリ』。イカとオクラのサラダ、タルタルステーキ、ニンニクスープにローストチキン。タルタルステーキは佳品、ローストは絶品。K子が“ケンが死ぬより先に死にたい”と言った。ワインはオーストラリアの“クヌンガ・ヒル”というやつ。かなり回った。

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