裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

木曜日

圓窓を知らない子供たち

 昔な、『笑点』に三遊亭圓窓という噺家がレギュラーで出ていてな……。朝7時半起床。昨日の帰りにパラパラと小雨が降っていたが、今日は本降り。冷夏だ冷夏だと騒ぐが、冷夏がそんなに珍しいのか。盆に雪が降ったの氷が張ったのというような大冷害ならともかく、涼しい夏なんて、この十年の間でも何回かあったではないか。コミケのとき、撮影の関係上外でお願いしますと言われ、肌寒い風の中で、岡田さんと一緒にインタビュー受けたこともあった。騒ぐにもあたらんだろう。喉元過ぎて寒さ を忘るる、というやつか。

 朝食はピーナッツスプラウトと枝豆。K子は夏バテか、昨日からパンだけでいい、というので、パンを焼くが、これだけではさすがに寂しかろうと、半熟卵を作る。戸部新十郎氏死去、77歳。いわゆるクラブ雑誌作家の一人。クラブ雑誌というのは戦前から戦後にかけてゾロゾロと刊行された、娯楽読み物雑誌群で、『面白倶楽部』だとか『講談倶楽部』、『探偵倶楽部』、『傑作倶楽部』など、“クラブ”と誌名につくものが多かったのでそう総称された。罵倒癖のあった百目鬼恭三郎などには、クラブ雑誌小説というのは“読者に頭を使わせずに、低俗な欲求を満たすことだけが要求され、従って文章は下品でなければならず、登場人物は紋切り型で、月並みな行動パターンと、必然性のないご都合主義の筋書きに乗って動くのが特徴”であると、これ以上ないというくらいひどい表現で説明されている。大衆娯楽小説の復権とかが叫ばれているコンニチでは、まさかここまでひどいことを言う人もいないだろうし、その多作性、通俗への徹底性こそが“時代の欲求に応える”プロのテクニックを持っていた証拠、と言えるだろう。が、しかし、それでもクラブ雑誌から出て一頭地を抜いた作家たちの持っていた強烈な個性、例えば山田風太郎の奇想とか、柴田錬三郎のダンディズムとかいう“ウリ”が、戸部氏の作品には欠けていた。直木賞候補にまでなる筆力を持ちながら、氏がいまいち知名度という点で劣ったものがあったのも、あまりに大衆の欲求に合わせることばかりに徹しすぎた作家の悲哀であったかも知れない。……ところで、クラブ雑誌の最後の生き残りと言われていたのが桃園書房から出ていた『小説CLUB』であった。私はここに、7年もの間エッセイを連載していたし、短編小説も一本発表している。私もまた、クラブ雑誌作家の末席に名を置くことが出 来ると思うと、ちょっとうれしくなる。

 ササキバラゴウ氏から電話、『裏モノ日記』のダメ出しいくつかと、コミケの話。お願いごと一件、氏と親交のある人の仕切りのことなのですぐOKをもらう。このところ、自分の人脈の広さにいろいろと助けられている。大学時代オールナイトで観た『仁義なき戦い・代理戦争』で菅原文太の広能昌三が、打本組長(加藤武)に“こんな(あんた)はつきあいが広うてうらやましいのう”と言われ、“若いとき、旅ばかり打ってたからですよ”と答えるシーンがある。そうか、人間、若い時期の居所の定まらなさが、後年財産になるのか、と心に留めたもんである。今になってみると、その台詞がつくづく身に染みる。心がけていろんな分野に顔をつっこんでいたことにいかに助けられているか、と思うこと切である。映画は観ておくものだ。

 昼は大根の味噌汁と、パックのご飯を温めてジャコと卵をぶっかけた卵じゃこ飯ですます。時間を惜しんで、〆切をだいぶ遅らせている(もっとも、お盆進行でいつもより早まっていた)SFマガジン原稿。気圧の乱れで筆のスピードがいつもの三分の一程度。自分で書いた文章ながら文脈が途中で追えなくなったりする。今日は快楽亭のホラーナイト最終日、満席が予想されるので早めに行かなくてはならず、5時には家を出たいと思うが、どうにもスローモー。立ったり座ったりを繰り返しながら、それでも5時キッカリには原稿10枚をメールできた。脈絡はメチャクチャだが、読んでいる最中飽きさせない、という自信はあるものになる。視点の面白さをかってもら いたい、という感じ。

 同人誌と、届いたばかりの『裏モノ日記』をカバンに数部詰め込んで、銀座線で三越前駅へ。雨の中、すでに人が並んでいる。意外や、平口広美先生がいた。どうもどうも、とご挨拶。受付のウツギさんが席をとっていてくれた。場内、今日は前日より椅子も座布団もどんと多めに用意されていたが、雨のせいか、客足が遅い。開口一番はブラ談次、時間がないというので雑談で終わるが案外よし。ネタでなかったせい、という見方もあるが。次にすぐブラックがあがるのは、客入りが薄い間を自分でつなごうという、主催者の気働きか(と、思ったが後でプログラムを見ていたら、その順 番通りだった)。
「武士に手を引かれて、芳一は歩いて行く。……なにやら大きな屋敷の門の前に出た様子に、はて、阿弥陀寺の付近にこのような屋敷はなかったはずだが、と芳一が思うまもなく……」
 と、彦六の正蔵ばりにしんみりと『耳なし芳一』を語っていく。芳一がやんごとなき御方の前で平家物語の安徳帝入水の段まで語り終えたところで、
「……私もかように心を入れて熱心に聞いていただいたのは初めてのこと、どうかこの続きを語りとうございます」
「なに、その続きがあると申すか」
 となり、建礼門院が入水したところをすくい上げられて、好色な源義経に肉体をもてあそばれ、
「ああっ、なぜそのようにわらわのオソソを舐めるのじゃ」
「下々では愛し合うとき、このように女人のオソソを舐めまする」
 と、神代辰巳の『壇の浦夜枕合戦記』になり、
「ああっ、そのように太いものを……アアッ、アアッ、これが、これが本当の、おまんこなのねエーッ!」
 と、会場の外にまで聞こえるんじゃないかという大声で絶叫し、その後、経文を全身に書いて霊を逃れようとするのだが、書き忘れた部分が耳でなくイチモツである、という『まらなし芳一』になる。私は昨日の高座で、快楽亭が“明日は『まらなし芳一』をやりますから”と予告していたのを聞いていたからいいが、真面目に途中まで 聞いていた客(つまり今日のほとんどの客)は、驚いたろうねえ。

 続いて楠美津香、いつの間にかいやに逞しい体つきになり、タンクトップに迷彩ズボン、頭も次の芝居(ジュリアス・シーザーだそうな)のためということで坊主にしているド迫力。でも一人コントはいつもの通り。バイリンギャルネタで私の一番好きなギャグ“There is no Ginger(しょうがあんめえ)!”も聞けたので満足。演じている最中、客席を女の子がちょこちょこと走り回っていたが、やがて高座に上がっていってしまった。すると楠美津香、その子に“ホラ、自己紹介し なさい”“いやあ”と会話。娘さんだったんですね。

 次が春風亭昇太。昨日のしん平や花緑は来て初めて怪談の会だとわかった、と言っていたが、彼は快楽亭からのお名指しのネタだそうで、『マサコ』。いいかげんにスラスラやっているようでいながら、登場人物の描きわけとかが見事。決して好きな芸風の人ではないのだが、聞くたびに感心するし、また、落語界に必要な人である、と思ってしまうのは師匠の柳昇と同じ。私よりひとつしか年下じゃないのだ。この年齢 まで、あの軽みと若さを保っている、というのは驚嘆に値する。

 そこで仲入り。世界文化社のDさんも来る。同人誌と『裏モノ日記』を進呈。その頃にはすでに客席もほぼ満杯。幕が開いて、梅田佳声先生、今日も『怪猫伝』の一分を予告編でサラリとやって、『猫三味線』。クライマックス部分で、あまりギャグが入れられないせいか、通しということだったが最後までやらず、
「この続きはまたあした……あ、あしたはないのか」
 と笑わせて幕、にしていた。時間も二十分そこそこで、私としてはちょっと欲求不満な感じ。

 次がモロ師岡、落語家の格好で出てきて、一人語りコント『やぶ椿の木の下に消えた落語家の夢』。新作かと思ったら、以前にもやったことがあるネタらしい。あくまでも落語でなく一人コント、ということであると、冒頭で“私の話は落語のようにカミシモで人を演じわけたりしませんから。一人の人物しかしゃべってませんから”と説明していたが、むしろ、今の新作落語というものは、どんどん、こういう一人コントに近づいてきている。初日の喬太郎の『いし』など、まさにそうだった。悪いとは言わないが、ここに収斂しちゃっていいのかな、という気がしないではないのだ。落語というのは、どんなに写実で演者が役を演じても、演者が決して客の意識から消えてはいけない(その、演者と役との廂相を楽しむ)ものだ、と信じている、というか主張している身としては。昇太の新作への点数が甘いのは、そこらに原因がある。

 トリが円丈。バーチャル落語とかで、パソコンでネットサーフィンをしていた男がパソコン画面の中に閉じこめられてしまう、という『トロン』みたいな話。パソコン用語がいくつも出てくるが、ウインドウズ用語なので、マックユーザーのこちらには理解しづらいネタもいくつもあった。観客層は大学生くらいから老人層まで、本当に 幅広かったのだが、さて、何割の人間がわかったか?

 終わって、さすがに出口が混雑。平口さんと話す。こういうもの、お好きなんですかと訊くと、“いや、前にね、横浜のにぎわい座で、ブラック師匠の『名字なき子』を聞いてしびれちゃってねえ。それから追っかけしてるんです”と。今度、トンデモ落語会の案内をお送りしますよ、と言っておく。Dさんは傍見さんと親しく話しているので、“なんだ、知り合いだったの?”と訊くと、“前に、私がストリップを見てみたいと言ったときに、連れていってくれた間柄です”とのこと。なんなんだ。

 K子も時間にあわせて来ていたので、昨日と同じ居酒屋で打ち上げ。快楽亭は目下夫婦喧嘩の真っ最中だそうで、その話を逐一聞く。現在、家を閉め出されている状態なのだそうだ。そりゃあ大変でしょう、と、昨日支払いを免除してもらった礼もあるので、用意していた楽日のご祝儀を“じゃあこりゃ、当座の生活費にでも”と渡す。昨日はなんであんなに入りが薄かったの、と訊くと、“花緑のファンがアタシを毛嫌いしているから”と。正統派のファンというのはとかく異端を嫌う。いろんな色の芸人集まっていて初めて“寄せ”なのだが。とはいえ、昨日の人たちはみな熱演だったねえ、という話になる。少ない客の前だと熱演してしまうというのが芸人根性。それにしても、今回の三夜の出演者の面子や、今度の談志・ブラック・勘九郎の三人会などは、それこそ広能昌三じゃないが、あらゆる方面とつきあってきた快楽亭の顔の広さの結実。いつもの寄席鑑賞よりこの三日の日記の感想が長いのも、出演者たちの高座が普段よりもかなり密度が高いからだった。佳声目当てではあったが、続けて通っ て正解だったと思う。

 席が佳声先生の脇で、いろいろとお話伺う。最近発掘した、凄い紙芝居の話も聞けて、実にうれしかった。佳声先生、“カラサワさん、あの日記は毎日書いているんですか?”と訊いてきたのに仰天。“先生、パソコンなんかのぞくんですか!”“イヤ まあ、ときどきね”とのことだったが、息子さんが見せているらしい。

 その息子さんといろいろ話す。“戦前の紙芝居というのは戦災でみんな焼けちゃったんですか?”“いや、GHQの押収が主になくなっちゃった原因ですねえ”“それなら、まだ保存されている可能性はありますね”“「kamishibai」で海外のサイトを検索すると、いろいろ出てきますよ。みんな向こうにわたっちゃっているんですね”と。海外のサイトで紙芝居を検索するとは、さすがに私も気がつかなかった。佳声先生にも同人誌と『裏モノ日記』進呈。お盆で閉店が実に早い。11時にはお開き、雨足の強くなる中をタクシーで帰宅。居酒屋の料理じゃ、というK子に、ソウメンを茹でてやり、ニュウメンにして二人で食べる。メールチェック、SFマガジンに図版キャプションと近況を送って就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa