28日
金曜日
あなたに女の子のいちばん排泄なものをあげるわ
く、くださいっ!(スカトロマニア)。朝、7時15分起床。少し二日酔い。ワインの二日酔いはきつい。朝食、ナンとキーマカレー。うーん、タイトルのシャレと合わせたくない食い物だな。果物はこないだ花菜でもらったデコポン。戦争は、すでにモーニングショーでは古尾谷雅人の通夜のニュースの後に。冷めるのも早いな、日本人。もっともTBSの番組で、露木茂がアメリカ軍がゲリラ戦に悩まされていることを取り上げ、“これはアメリカの誤算でしょうか?”と、コメンテーターに話をふると、派手な赤のチェック柄のブレザー姿のコメンテーター(名前不詳)が、吐き捨てるような口調で、“アメリカの誤算はブッシュを大統領に選んだことでしょう”と言い、温厚中庸な露木アナが少し、引いていた。
まあその先生、ぺんぎん社の『ブッシュ妄言録』に書いてあるようなことを引用して、いかにブッシュがバカかと強調していた。典型的なインテリのブッシュ批判である。さて、そのバカ・ブッシュの支持率は現在、アメリカで7割以上。この先生はアメリカ人の大部分を敵に回しているわけだ。N.Y.や西海岸あたりの知識人がブッシュの無知をあざ笑えばあざ笑うほど、彼の支持基盤であるテキサス等、中央部でのブッシュへの肩入れは強固なものになっていく。忘れてはいけないが、アメリカという国は基本的に田舎者が大多数の国なのだ。知識をひけらかし自分たちをバカにする都会ものに対する、純朴な良き農民、牛飼い、季節労働者たち非エリート層の反発がブッシュの力だ。彼らは、アメリカ人のアイデンティティを奪おうとするインテリたちに、根本的なところで抜きがたい不信感を持っている。ブッシュはそこをうまい具合にすくい上げ、強いアメリカ、不正の前に屈するよりは名誉ある孤立を選ぶアメリカのイメージを自らの上に重ね合わせている。
ものを知らない、よく言い間違いをする、文法を誤って使う、しょっちゅうジョークをハズす、嗜好が幼稚である、というようなことでマスコミはブッシュを笑い者にする。これは平清盛がノシ上がってきたときの宮中公家たちの態度、ヒトラーが台頭してきたときの旧プロイセン貴族たちの態度と同じだ。彼らの立場がその後どう逆転したかは、歴史の教えるところである。ブッシュを甘くみてはいけない。彼のようなタイプのリーダーは、本当に恐ろしいのだよと、私はこれまでもこの日記で再三、言及している。世間の人々は一様に、この戦争が一日も早く終わって欲しい、と口にする。私は全く逆で、出来るだけこの戦争が長引き、アメリカ・イラク双方に被害が甚大であってほしい、と、ひそかに(さすがにあまり声を大にしては言えない)願う。なぜならば、戦争が長引けば長引くほど、ブッシュの評価は落ちていくからだ。この戦争が短期にして一方的なアメリカの勝利に終わったが最後、ブッシュは反対勢力すべてを黙らせるだけの絶対権力をその掌中にする。そのとき、この敬虔なキリスト教原理主義者は、いったい何を次の目標とするか。まさか21世紀に生きるものが、いかにファンダメンタリストとはいえ、異教徒の殲滅(ジェノサイド)を企むとは思えない、と信じたい。しかし、そのとき彼にはそれが出来るだけの力が、すでに与えられているのである。
アメリカは公平に見て、素晴らしい国である。独裁者を生まないだけの知恵を、システムの中に組み入れている。今のブッシュの父であるブッシュは、湾岸戦争に勝利をおさめ、アメリカに栄光を取り戻し、95パーセントの支持率を得ていながら、再選されることなくクリントンに破れている。経済問題の失敗をつかれたから、というのが表向きの理由だが、意識下で、英雄に力を与えすぎてはいけない、という国民の良識が働いたためと見ていいだろう。しかし、現在のアメリカは、この開戦の際の国連、仏独、ロシア等の態度に、大きな失望を抱いている。誰も頼りにならぬ。なら、いっそそんな連中との連携なんかやめちまえ、オレたちは助けなんか借りず、勝手にやっていけるんだから、と、今アメリカ国民はそのセリフが喉元まで出かかっているだろう。それに伴うかの国の暴走をかろうじて押しとどめているのは、皮肉な話であるが、今度の戦争に賛同しているイギリス、スペイン、そして日本のコイズミさんなのだ。
昨日、渋谷で風に帽子を飛ばされそうになったが、新聞に、渋谷のビルから風で窓ガラスが落ちて5人、怪我をしたと出ていた。春一番の凶行。昼はパックご飯を温めて納豆飯。すぐきの漬け物がおいしい。安藤礼二さんから電話、原稿のこと。も少し書き込んでもらうことにし、その指示を明日くらいにと伝える。すぐ後で河出Sくんから、その原稿のこと。今、このように打ち合わせました、と報告。3時、外出してカットハウス『トルーサウス』。さすが金曜日で、予約時刻キッカリに行ったがしばらく待たされる。雑誌に目を通すともなく目を通していると、店の女の子が脇に立って、いろいろ話しかけてくる。客を退屈させまいとしているらしい。まあ、本心を言えばかえってウルサイのだが、好意でしてくれているのだから、と思い、話につきあう。何か一生懸命さが、うわの空藤志郎一座の川久保にゃんこを連想させた。そのあとすぐ、カットについてくれた先生が、“あの子、おとついウチに入ったばかりなんです。もう、一生懸命で一生懸命で”と話してくれる。“なつかしいねえ、ああいう一生懸命だった年頃”“そうですよねえ、考えてみれば、私たちにもそういう頃、ありましたよねえ”“いつごろから、一生懸命しなくなっちゃったんだろうねえ”と、二人でしみじみ。終わって、帽子を差し出すその子からアリガトウと受け取ってかぶ ると、もう、それこそ一生懸命に“カッコいいです!”と。
昨日買った週刊新潮にまた目を通す。副田和也の『闘う時評拡大版・国家(アメリカ)という怪物、正義という空疎』が興味深いが、そんなことより『私の週間食卓日記』の澤村田之助、その美食というより“豪食”ぶりに呆れる。“今は年も70ですから”などと言っておきながら、記録を見ると二月十五日の朝が茹で卵にトースト、じゃがいもとセロリとタマネギのクリームスープ、紅茶にポンカン。昼は銀座の『楼蘭』でブロッコリーの牡蠣油炒め、カニチャーハン、スープと杏仁豆腐。翌十六日の夜が中野の『イル・フォルネロ』にて鱸のカルパッチョ、スパゲティ・ペペロンチーノ、子羊と葉タマネギのソテー、パンナコッタにビールとワイン。十八日夜がシャモ照焼、長ネギ南蛮漬け、ポテトグラタン、きのことカリフラワーのホットサラダ、わかめとタマネギのポン酢和え、いんげん辛子和え、筍ご飯に大根の味噌汁。十九日の昼が新宿ヒルトンの『王朝』にて前菜盛り合わせ、フカヒレスープ、イカと黄ニラの炒め物、カニ爪辛味炒め、羊肉の柚風味炒め、白身魚の甘酢、高菜チャーハン、杏仁豆腐、ビールとワイン、二十日夜が鯛チリ、大根サラダ、刺身(中トロ、鯛、イカ、青柳)、なすの煮物、なめこおろし、ホウレンソウのキッシュ、ご飯にビールと日本酒……と続く。もちろん、引用では省略したところもびっちり、似たようなメニューが埋まっている。とても70の爺さんの食事ではない。われわれ夫婦も美食家のように思われているが、量は半分もいかないだろう。酒も毎晩で、“休肝日なんてとんでもありません”などとぬけぬけ言い、そして“朝は2歳10カ月になる末の娘と一緒に”納豆を二パック食べるなどとも書いている。孫娘かと最初思ったら娘、である。68歳のときの子である。毎度、メニューにいろいろ辛口の批評を加えている栄養士さんも半ば呆れ気味で、肉も結構、酒も結構、ただし量は控えめに、とか言う程度。やはり、うまいものを食っている奴にはかなわんのだな、としみじみ。
帰宅、書庫で資料整理で夜までつぶす。本にはさまって古い新聞、『アメリカ軍、大規模空爆』とか見出しにあるので一瞬エ、と思ったが、カンダハル爆撃時の新聞であった。地名さえ入れ替えればそのまま、今の記事に流用できそうである。“二度あることはカンダハル”などとつぶやきつつ整理続行。電話、永瀬唯氏から。体調不良の由。もっと不幸な人の話などして聞かせ、元気づける。案の定、勢いよく永瀬節が炸裂。不人情なようだが、他人の不幸は落ち込んだ人への特効薬でもある。
8時半、タクシーで下北沢。ちょうどK子と入り口で落ち合う。ひさしぶりに奥の席で。真鯛のカルパッチョ、春キャベツと鶏つくねの煮物、山菜てんぷら、牛スジの土手焼き。酒は開運、それから酔鯨。土手焼きの味噌の上品さが絶品で、K子が大変にごきげんで、つまり人に対し攻撃的になる。やや辟易。さすが金曜日で、八人連れなど含め、客が陸続と。10時半ころ辞去。キミさんによれば、こないだ、私の日記を見たと言って、文藝春秋『Number』の編集部の人たちが来たらしい。仕事してないところでもこの日記が読まれているとは光栄。お味はいかがでしたかな。