裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

月曜日

チャペック歌合戦

 ロボットのお名前なんてえの。朝、なんか分からぬ甲虫の羽をむしって食べる夢を見る。味はゆうべ虎の子で食べたホタルイカの燻製のもの。雨もよいの寒々しい天候である。朝食、K子にはオーブンでトマトやカボチャを焼いて。私は例の如く豆とトウモロコシ、カボチャを賽の目に切ったものを茹でてサラダ。果物はブラッドオレンジ。スーパーモーニングで、米英西三カ国首脳の会談を報じているが、ブッシュ、ブレアの二人ばかり映して、アスナールスペイン首相の顔をほとんど映さない。日本にとって参考になるのは、米英よりもむしろスペインのような国の動向(立ち回り方)の方ではないのかと思うのだが。……しかし今回の騒ぎでの各国の対応、司馬遼太郎の『関ヶ原』を見るようで実に面白い。

 司馬遼太郎というのはしかし、とんでもない作家であったと思う。『関ヶ原』なんて、テーマが結局のところ、“正義とか大義などというのは、お飾りにして奉っておくにはいいものだが、それを現実に適用しようとする者は滅ぶ。生き残るのはシビアに現実の力関係を見極めたものだけである”ということだし、『新史太閤記』は“人間に善悪はない。あるのは「欲」だけであり、その欲を理解し、許容し(これを作中では何と「愛」と呼ぶ)、利用する者が天下を取る”というのがテーゼだ。『義経』に至っては“政治の世界に肉親愛や情けなどという感情を持ち込むのは一種の精神的不具者でしかない”という、冷酷というかブラックというか、徹底してミもフタもない事を語っている作品である。『国盗り物語』では“天才が生き残る。凡人は滅びるしかない”とこれまたミもフタも的なことを言い、しかしその天才も『項羽と劉邦』の項羽のように、あまりに情にもろいと足下をすくわれ、滅ぼされる。キャラクターを魅力的に描くのが無類にうまいので誤魔化されて国民的作家、なんて奉られているが、実は彼の描く人間像というのはいずれもかなり奇形的な、能力主義・覇権主義で凝り固まった異常人なのである。そして、司馬作品は人間は少し異常なくらいが最も魅力的なのだ、とわれわれに教えてくれる教科書でもある。

 産経新聞の『産経抄』欄がまるまる圓生の声色、というか語り調子で昨日のこの日記にも書いた、昭和30年代からの録音テープ発見、というニュースを取り上げている。“しているン”なんて文字が新聞の、下端とはいえ一面に載っているのはなかなか珍景である……が、すでにして没後四半世紀近く、耳で聞くならともかく、文章で読んでアア、これは圓生の口跡だとわかる読者が、果たして産経読者の何パーセントいるのか。おまけに意識まで圓生になりかわって、“家人がどじでテープのことを忘れていた”とか遺族をドジ扱いしたり、自分の死去のニュースがパンダのランランの死去の陰でかすんだことをすねてみせたりしているのは、あまりいい趣味ではないように思う。少なくも、粋じゃアない。

 朝食後すぐ、ベランダの片付けをする。乾燥機をガス式のにする関係で、ベランダに置くことになったのである。ベランダと言っても猫の額ほどのスペースだが、そこにかつてのカラサワ企画(オノプロ)関係のものが、箱に入っていくつも積み重なっている。圓生のテープのように価値あるものが出てくればいいのだが、多くは物故した関係者の、私物で引き取り手がないものばかり。キューピッド長島先生の宣材写真など、懐かしいがもう使い道がない。潮健児さんにファンから贈られた品などもいくつか出てきたが、潮さん自身整理がついていなかったもののため、もはや誰がいつ、贈ったものかも不明だし、元の持ち主に返すことも不能。ナムアミダブツと一度拝んで、全て始末させてもらうことにする。真っ黒になりながら、地下の廃品置き場との間を数往復。

 風呂入ってホコリを落とし、日記つけた後、扶桑社オタク大賞のゲラに赤入れ。バイク便が取りにくる時間帯に、ちょうど間に合わせて完了。袋に入れて手渡す。このところ赤入れ作業頻々。K子が仕事場に行く、それと入れ替わりにガス配管の人が来て、作業開始。しばらく見ているが、やはり寒いので仕事場に戻る。いろいろ編集部相手にメールしたり、雑用。

 喉がしきりに乾く。糖尿でも出たか、と心配になり検査紙使って確かめてみるが、反応ゼロ。麻黄附子細辛湯をのんだせいか。『Memo男の部屋』からはこないだの堤満莉子さんのインタビュー記事。一カ所説明不足なところに付け足しをお願いしただけ。あとは堤さんの見た私であるから、訂正とかの必要はあるまい。石原伸司さんから電話。幻冬舎から二冊の刊行予定が決まったそうである。もっとも、どちらもまだ本決まりじゃないし、お知らせするのもどうかと思いましたが、やはりお伝えしておかなくてはと思って、とのこと。ヤクザ関係のネタをあれだけ持っている人だ、利用価値は底なしにあると思う。ただし、先走りだけはしないように、と、くれぐれも言っておく。人生の再挑戦に賭ける人は往々にしてあせりすぎて前へツンのめりがちなのである。

 ガスの工事のおじさん、悠揚迫らぬという感じの、いい意味での田舎者、といったイメージの人。最近めずらしいタイプ。いちいち“このようなことお願いして恐縮ですが……”と前置きをして、こちらにものを言ってくる。ガスの元栓のところで、危険ではないが、微量のガス漏れがあることを発見した、と、会社に電話して修理係を派遣させる。そのダンドリが済むと、“サ、オレはオレの仕事だ”と独り言をつぶやきながら、また取り付けにかかる。取り付けはすぐ終わったが、ガス漏れ検査の人が10分で来ると言って1時間近く来ず、4時の打ち合わせに間に合うか、と少しジレる。4時少し前にやっと来たが、K子が入れ違いで打ち合わせ終え、帰ってくれたの でバトンタッチ。

 10分遅れで東武ホテル、そこで落ち合って『時間割』。編プロ『マイクロフィッシュ』の美女二人(日記を読んでくれているようなのでこう表記する)。ページ数増えたのに従って、原稿料もアップしてくれていた。催促したようで(したのだが)申し訳なし。打ち合わせと言っても、こちらでコンナ風にやろうと思ってます、と概略述べたら、まさにその線で行っていただきたいと思ってました、ということで、早々に終わる。その足で東急本店まで出かけ、夕食の買い物。ここのところ美食が続いた せいか、本能的にあっさりしたものを選んでいた。

 9時、K子と夕食。アジの焼きびたし、筍ご飯、豆腐とあぶらげの鍋。CMフェスのでDVD見て、それから『百萬両の壷』後半。K子はそこで寝て、私は焼酎飲みながら、ビデオに撮りだめしておいたものを数本、見て1時ころ寝る。ビデオヘッドクリーニングは頻繁にやるべきである、といまさら確認。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa