16日
日曜日
さかな さかな さかな女の恨み節
ユニバーサル映画新作『女半魚人の怨念』主題歌。朝7時半起床。朝食、ソーセージとドイツの胚芽パン。ブラッドオレンジ。アバレンジャーは何か、キャラクター設定がことごとく性に合わない。『遠くへ行きたい』に途中でチャンネル変えた。
落語によく“誰か受付変わってくれ”というセリフが出てくる。日曜が来て読売新聞書評欄で大原まり子氏の書評を読むたびに、それが口をついて出てくる。この商売をやっている限り、書評欄にはきちんと目を通さねばならず、なまじB級本などを専門領域にしている関係上、駄文悪文にはアンテナが働くようになってしまっている。ただし、私のメシのタネは笑える駄文悪文であり、この人のような、単なるヘタクソは、実例をひとつコレクションしていれば、それでいい類のものだ。毎度々々、恒例のように彼女の文章をつついていては、かえって変な粘着男と思われかねない。しかし、毎回ここまでヘタだと、言及しないわけにいかないのである。まったく、誰か引き受けてくれれば譲ってやりたいくらいのものなのだが。
今回は大原氏、新潮社の日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作である小山歩の『戒(かい)』を書評している。いや、書評という言葉が果たしてあたっているかどうか。21文字×20行というスペースの中で、大原氏が、この小説のあらすじを紹介することに費やしているのがなんと16行。評というよりはダイジェストだ。そのダイジェストにしたって、主人公の前半の悲惨さばかりを紹介し、彼が本当に活躍しはじめ“自らの道を拓いてゆく”肝心の部分の紹介はないわけで、中途半端極まりない。興味をつないだのだ、というつもりなのかも知れないが、主人公がなにゆえに鬱屈に耐え、すべてを失うまでになりながらも死んだ母の命令に縛られていたのか、その母の影を何をきっかけに断ち切れたのか、そのあたりの説明が何もないから、未読のこちらとしては雲をつかむような気分にしかなれない。おまけに、その紹介文中に“軍事将軍”などとわけのわからぬ言葉がはさみこまれる。将軍なら軍人なのだろうから、軍事を司るのはアタリマエだろう。あるいは、この作品の中だけの造語なのかも知れないが、そういう場合はきちんと断りを入れないと読者の混乱を招く。さらに主人公が、仕える公子を補佐し、“その賢帝ぶりを世に示す”とあるが、賢帝とは聡明な皇帝に対する呼称なのだから、いまだ公子である人物にこの語を用いるのは適当ではあるまい。この人の学生時代の国語の成績表をのぞいてみたくなってしまった。こんなひどい文を書いている者が“あまりに達者な筆に舌を巻いた”と作者(小山)の筆力を褒めても、映りの悪いテレビでハイビジョン番組の美しさを宣伝するCMを見ているようなもので、全然ピンとこないのだが。
午前中からずっと太田出版の原稿後半部分。1時半までにほぼ、完成。なんだかんだで、前後編合わせて原稿用紙30枚分くらいの分量がある。手間がかかったのも当然と言えば当然であった。体が火照り、喉がやたら乾く。昼飯を食いに外出し、雑誌数冊を買い込んで、新楽飯店にて五目焼きそば。店のテレビで木村拓哉の缶コーヒー (キリンファイア)のCMが流れていた。
このCMの曲、グレイシー・フィールズの『Sings as we go』なんだが、男性コーラスへのアレンジはどうしても『モンティ・パイソン・アト・ザ・ハリウッド・ボール』のオープニングで歌われた『Sit on my face』を思い浮かべさせる。最初聞いたときはてっきりアレをそのまま使っているのかと思い驚愕したくらいだ。毎回あのCMを見るとつい、
「♪Life can be fine if we both 69……」
と口ずさんでしまう。レコード新聞社のサイトで調べたら、この曲について
「1960〜70年代にはイギリスのコメディなどでも使われた曲です」
と書いてあったが、これはやっぱりモンティ・パイソンのことなのか。
帰宅して、太田に送るアイテムの整理。ちくま書房から『美少女の逆襲』のテキスト打ち出しが送られてきたので、ざっと目を通す。これ、メールでテキストが送られて、さらに打ち出しとフロッピーが送られてきた。実に丁寧というか周到というか。しかし、今改めて読み返してみると、若書きだなあ、と思う。かなり手を入れたい誘惑にかられるが、しかし期限は4月中旬まで。どれだけ改稿できるか。あと、扶桑社Oくんから、明日の赤入れゲラ戻し時間の確認電話、太田のHさんからは原稿チェック確認メール。みな休日もなく感心に仕事していることであるな。
資料本読みながら横になっていたら、いつの間にかグーと寝てしまう。6時ころ、起きてみると眠くなるはずで、外は雨。原稿ネタのメモなどを整理。新聞によると、三遊亭圓生の生前に残した独演会などの録音テープが大量に発見されたとのこと。圓生ファンとしてはまことにうれしいことだが、これでまた、今の寄席とかに足が遠のくんじゃないか、と思う。今の形式の落語というのは圓朝がその原型を形作り、幾たびかの洗練と変更を経て、昭和期に八代文楽、五代志ん生、六代圓生の三人によって芸術として完成の域に達し、その途端に古びはじめたもので、江戸情緒、明治情緒へのノスタルジーの共有が演者と客の間にあって初めて成立していたものだったというのが私の説である。すでに両情緒は滅び果て、記憶にある者もいなくなり、演者観客共にイメージを抱けないところで古典落語をそのままのカタチで演ずることに、さてどれだけの意味があるのか。私は話芸は観客との息のやりとりがあって成立するものと思っているから、スタジオ録音の『圓生百席』とかはあまり好まないのだが、今回のものは会場録音、しかもその数だけで百数十本はあるとのこと。もう、一生これだけ聞いていれば古典に関しては十分なんじゃないのか、と、口には出したくないけれど、つい、喉元までそれが出かかるのである。
9時、雨の中、下北沢『虎の子』。K子と藤井くん。ここ、今日で開店3周年だとかで、酒をふるまわれる。思えば初めてこの店に来たのは2001年3月29日。そのときには、店の桜(店内から屋根に突き抜けている)が8分咲きで、やはり今日のような雨に濡れて、幻想的な光景を見せていた。そのときに比べると、2週間早いとはいえ、今年はやはり寒い。常連で、ここのHPも見ている女性も加わり、キミさんテッペイくん(バイトの子で、武蔵美の学生)も一緒に飲んで、なんだかんだ雑談。気がついたら12時半を過ぎていた。一升近く飲んだのではないか。