2日
日曜日
お父様、桶狭間
名古屋弁調で読むことをお勧めします。朝、7時半起床。もっと早く起きるつもりだったが、やはりこの時間になる。朝食作りながら『アバレンジャー』見る。が、少しこれは見るのがつらいかな。主人公側の役者たちの演技(ことにセリフ回し)があまりと言えばあまりに下手、である。敵、味方ともにロリ系キャラを置く(敵の怪人は巫女の少女にキスしてもらって出撃するのである)、というのはボーイズラブ系のお母さんばかりでなく、オタク系お兄さんがたまで引き入れようという魂胆か。何につけ、了見があまり露骨に見えすぎる作りは飽きられやすいような気も。
朝食、豆サラダ、イチゴ数粒。読売新聞、いつもネタにして申し訳ない大原まり子氏の書評、今回はトップ扱いでリン・ティルマン『ブックストア』(晶文社)を取り上げている(このタイトルだけでは内容がよく伝わらない。どこの書評でもサブタイトルまで含めた『ブックストア──ニューヨークで最も愛された書店』で紹介しているのに、なんで読売新聞はサブタイトルを略すのか。先週もカルステン・ラクヴァの『ミッキー・マウス──ディズニーとドイツ』のタイトル後半を略していたので、評者の松山巌氏の、“ドイツよりもむしろ今のアメリカの顔が浮かび上がる”という、評の〆メの文が生きずに終わってしまっていた)。
大原氏はこれまで多く、この書評欄で小説を取り上げてきた。小説の面白さを文章で伝え、内容を評する、というのは、本の紹介の中でも最も難易度の高い部類に属する技で、なまじっかの腕で出来ることではない。そのため、あちこちに無理が生じ、私のような意地悪な読者のツッコミが入ることになってしまったわけだが、今回のこの本は評伝(ある書店の)であり、いわば本と書店いうものへの愛情をストレートに表明すれば、それが一番の書評となるという内容である。そのため、大原氏の書評も大変に好感の持てる、読みやすくわかりやすいものになっている。言葉のセレクトなど、細かく読んで行けばいろいろ赤を入れたくなる誘惑にかられるが、今回はまず、同じ本好きのよしみで、そういう小姑なことはしないでおきたい。ただ、後半に本と書店をめぐる現状の問題点を提起しておいて、唐突にそのことと直接のつながりもない、“ほんとうの本には、人生を変える力がある”という言わでもの一文を入れて終わるのは、大仰癖による余計な結論づけであって、はっきり言って野暮である。少な くともニューヨーカーっぽくはない。
母と電話。私の日記を読んでいるらしく、“昼にカツカレーはやめなさい!”と注意される。いろいろと長話になる。このヒトの凄いところは、札幌にいようとニューヨークにいようと、行動や思考の基本がまったく変化しない、ということだろう。自分というものの立ち位地がきわめてハッキリしているのだ。愛情のヒエラルキーもまことにしっかり確立されていて、身内びいき、中でも家族びいき、とりわけ親子びいきという順番を崩さない。そう言えば、最初に結婚を告げて、K子と電話で話させたときに言った言葉が、“可愛い息子の選んだ嫁だから、私、きっとあなたを好きになるわ。だけど、私はやっぱり自分の息子だから選ぶことになったら俊一の方を選ぶだろうし、息子よりは夫の方が好きだから、あなたがたとパパをくらべたらパパの方が上なの。そこはわかっておいてね”というものだった。頑迷と言えばまことに頑迷なのだが、この頑迷なまでの優先順位というのがあるからこそ、人生における選択において悩むことが少ないのだと思う。68でニューヨークに行くと決めたとき、周囲の知人はやはり止めたそうだ。“あんなテロの危険がある国へ行って、もしあなたが被害にあったら、息子さんたちがどれだけ嘆くか”と言った人への返答が凄い。
「何言ってるの。長々患われてやれ介護だ入院だと悩まなければいけないのに比べたら、テロでこっぱみじんになってしまった方がよっぽど息子たちのためになるのよ。まして保険金が降りれば、みんなバンザーイって叫ぶわよ。そういう死に方が一番家族にとって幸せなんだから!」
……こんな母でも、一時は伯父のことで悩み、新興宗教に走った。心配するものもいたが、私は絶対、このヒトがソッチへ行きっぱなしになるわけがない、と思っていた。案の定、二年もたたないうちに放り出して曰く“ああいうものをありがたがれる 人ってのは、センスが悪いと思うのよ”。
10時20分、急いで荷物をまとめ、K子と家を出る。と学会年鑑用のネタ(一升瓶の酒、二本)を編集のHさんに渡す約束だったのだが、これが重い! あきらめて後で送ることにする。地下鉄半蔵門線、都営線乗り継ぎ、と学会例会於千石生涯学習館。東京大会開催実行委員は11時集合で打ち合わせ、の筈だったが、主な事項はHさんへの申し継ぎで、Hさんが遅れたため、単なる雑談ばかり。青井邦夫氏と“あれはねえ、なんだねえ、小学生のやることだねえ”とか、IPPAN氏と“これ、こないだのあれです”“あ、あれ、あいかわらずあれなようで”とか、あれこれな会話。
器機の調子がちょっと悪く、会員の電気系の人がいろいろと分解してのぞきこんだりなんだり。Hさんはなんとかかけつけ、いくつか申し継ぎ。会長が遅かったので心配していたが、ギリギリでかけつける。風邪にやられているらしい。例により発表開始、水の結晶からアジア系パチもん、趣味の手話による男女交際術、感動の絵本だけど実は……というもの、怪汁系からアジビラ風クリパ粉砕宣言チラシまで、世の中というものの“正統でない部分、ゆがみの部分、はみ出しの部分”の集大成。私は今回はアルバトロスの年賀状、アトム紙芝居、北朝鮮力道山本、ポプラ社のやおい風八犬伝。アルバトロスの年賀状は大ウケ。休み時間に山本会長が“いや、あれはイイ!”と言ってきたので、一枚進呈(ネタにするからください、とアルバトロスに頼んだら 十枚くらい送ってきたのである)。
今回のスマッシュヒットは、いつもハーレクインネタで発表している本郷さんの、“エルメスのトンデモスカーフ”と、こないだから参加のMくんの“京大吉田構内の折田彦一先生銅像”。この折田先生は京大設立に大変功績のあった人なのだそうだがその像は、なぜか京大生のイタズラの標的にされ続け、歌舞伎の隈取りをされる、女装をさせられる、モアイ像にされるといった単純なものから、次第に手のこんだものになり、像の上から石膏をかぶせて、ゴルゴ13にされてしまったり、北斗の拳に変身させられたり、はてはナウシカにされて、その前に置かれた王蟲像と交流させられてしまったりと、愛情の暴走による被害を受け続け、ついに(シャレのわからぬ?)大学側により撤去されてしまったというシロモノ。単にこれはイタズラであるばかりでなく、権威と見れば茶化さないではいられない青春時代ならではの衝動の発露であり、かつ無意味無用の行為に熱中し凝りまくるというインテリ特有の諧謔精神の骨頂であり、厳重な大学側の監視をかいくぐってのスリルあふれるゲームの記録であり、日本にもこういう優れたプラクティカル・ジョークが存在し得るという希望の証明でもある。出来れば実行犯であった学生達、今はひとかどの弁護士だの医者だの作家だのになっているだろうが、彼らに本を書いてもらいたい。京大グラフィティとして映画化すれば、青春映画の傑作が生まれるような気がする。
終わって1.5次会はいつも通り駕籠町会館。Hさん、藤倉さんと、トンデモ本大賞、それからと学会のツッコミのあり方、などについて雑談。昔、谷沢永一が、辛口書評本のあとがきで、いかに私がひどいことを言っても、大丈夫これらの本は世間でこれだけ評価されております重畳のいたり、と、書評した本の受賞記録などを添えていた。嫌味は嫌味なのだが、これはきちんとした態度だ、という話を。Hさん、今回のネタはこれまでのと学会とは方向性を一新したようなものが多く、実に楽しかったと言う。事務のK子から会誌原稿〆切についてインフォメーション。新入会希望のライター、山瀬よいこさんの承認連絡について、本人と名刺交換など。
7時、理研近くのイタリアン・レストランにて2次会。おしゃれな店で、入るときお客さんたちがこっちを胡散くさげな目で見てました、とHさん。同じテーブルには植木さん、本郷さん、気楽院さん、藤倉さん、Hさんというメンツ。ビールとワイン飲みながら談論風発。ワープロについて、日記の文体というものについて、ロリとやおいについて、戦隊ものごっこについて、それから台湾・上海・香港等、中国諸都市月旦まで。植木さんと本郷さん、中国語交えての会話になる。思いついてHさんに、この話題がらみでひとつ、本の企画提案。談之助さんは仕事終えてから2次会参加ということだったが、仕事延びたか、来たらず。開田裕治さんも仕事忙しくて不参加、不気味社、大沢南さん、皆神龍太郎さんも来られず、と、お馴染みの顔が欠け、やや寂しかったが、盛り上がり方はいつもの例会の2倍近いものであった。10時に藤倉さんの乾杯でお開き、三々五々散る。地下鉄組はまた雑談多々。イットリウムことK添さんと最後まで。表参道で降りてタクシーで帰宅。