裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

6日

木曜日

早苗あれば憂いなし

 高市早苗先生のお姿が国会にある限り……うーん、かなり憂いありそうだが。朝、8時15分起床。ゆうべの酒のせい、というよりは夜更かし(就寝2時頃)のせいであろう。朝食、ポークビーンズとパン。パンはゆうべ東急で焼きたての見本を食べておいしかったので買ったものだが、一晩たつとそれほどでもなし。果物はオレンジ。食べながらまた『週刊ポスト』読む。山根一眞が臼井義人と対談している。へえ、臼井義人ってこんな顔だったんだ、と思って対談を読んだが、生ゴミ処理システムの話などしていて、どうもおかしい。よく見たら白井義人(九州工大教授)だった。メガ ネを変えるか。

 読売新聞に声優・井上瑤さん死去の報。2月28日死去とのことで、ネットでは既にあちこちで広まっていた。ああ、若い声優さんが、と思って年齢を見たら56歳。私にとっては若手、というイメージだったんだがな。彼女の声で“軟弱者!”と叱られてみたい、と切望したオタクは多かろう。本人はそのセイラ役でイメージが固まってしまい、色っぽい役が来なくなったと晩年のインタビューで語っていた。小説版だと色っぽくないどころかアムロの初体験の相手で、終えたあと“乳首って、意外と小さいんだな”という珍感想を吐かせるのだが。きびしい女性の乳首が小さいというイメージは、いかにもアニメのキャラ設定的だな、と読んで変な感心をしたのを覚えている。そもそも乳首は……と、追悼からどんどん離れていきそうなのでやめる。

 もうひとつ訃報。レディースコミック作家の伊万里すみ子氏が亡くなったと、漫画新聞で知った。もっとも、伊万里すみ子というのは原作担当の夫と、作画担当の妻とのコンビのペンネームで、亡くなったのは夫の方。1月27日、心筋梗塞、55歳。ホームページにも“とても仲睦まじい夫婦の漫画家です”“一卵性夫婦と呼ばれていまーす”などと自己紹介しているだけに胸が痛む。しかし、彼女といい花小路小町といい、レディース作家には夫婦共作が多いな。一応、うちもであったが。レディースコミック最盛期には月間平均執筆枚数300枚だった、とサイトで自慢していたが、これはうちのK子もそのくらいであった。レディースコミックという業界自体が、多作を前提とした業界だったのである。ただし、向こうはそれで一年に出た単行本の数が(特集増刊含め)36冊という記録を持っているという。私たちはケにもハレにも『ギロチン女』一冊だけ。ここらが本道・王道を行く作風の人と、変なものばかり描 いている作風の作家との差であろう。

 昼は冷凍庫の中の牛肉ですきやき風の煮物を作り、飯にかけてかっこむ。K子が用事で帰ってきてこの様子を見て、“なに、カメチャブ?”と言った。印税が振り込ま れたんで、今日は夜は少し豪華に寿司にしよう、と言う。

 2時15分、家を出て新宿。新宿三丁目地下のルノアールにて、実相寺昭雄監督インタビュー。少し一般席で待って、ちょうど来た監督と一緒に個室の方へ。怪獣と官能、というテーマなら絶対実相寺氏ははずせないと思ったのだが、これが頭からバッチリで、監督の“性”に関するこだわりにからめて、フジ隊員とアンヌ隊員の比較論などが出て、話をうかがいながら嬉々としてきた。もちろん、脱線も予定通り多く、というか脱線話の方がたっぷりあったが、凄いのはそれがちゃんと脱線に見えて元の怪獣ばなしにリンクしてくること。Sくんと、これは脱線まで含めて活字にしないと駄目だネ、と目で打ち合わせ。しかし、何だな、実相寺監督と私は21歳の年齢差があるのだが、同年代の怪獣ファンよりも、何か性に対する好みでも、怪獣というものに関する考え方でも、非常に同感、同調するところが多いのはどういうわけのもんだろう。私の教養系というのが最初から時代とは20年ズレていたということか。

 語りに語って、今度ちくま書房の人と飲もう、と言い置いて監督は次の予定へ。Sくんとちょっと打ち合わせ。おおいとしのぶくんは既にライター仕事をやめている、と聞いて少しショックだった。いい書き手だったんだが。帰宅。明日の朗読会用の原稿を作らねばならんのだが、雨で気力あがらず。資料などに目を通したのみ。いかんとは思うが体が動かんではいたしかたない。産経新聞に望月真理子という電通のコンサルタントが、『頭山』の山村浩二を紛れもない天才と持ち上げ、こういう普遍的な価値のあるものと今や日本の代表的産業となっているコドモとオタク向けの戦闘と破壊ばっかりのアニメと一緒にしたくないと書いている。はて、普遍的な価値のあるものとは何か。それが『頭山』みたいな、アートアニメを指すとするならば全くの逆なのではないか。どちらが世界に“商品として”流通するのかを“普遍”の定義と考えれば、戦闘と破壊ばかりのTVアニメの方がずっと外貨を稼いでいるのである。日本ばかりじゃない、世界でだって山村浩二の知名度はセーラームーンやポケモンの何千(いや、何万)分の一であろう。全く違うものを(山村自身が違うものと言っているものを)比べて語るのがそもそも矛盾なのである。アートアニメ(この言い方、実は嫌いなのだが)を四半世紀の間見続けてきた者として、こんなガサツな論理でアートアニメを庇護してほしくないと、切に望む。

 アートアニメをもっとも保護し、優れた作品を生みだしてきたのはかつての社会主義国家であった。なぜ彼らがそれを保護したか。それが資本主義では製作の難しい分野であるだけに、社会主義国家の文化度を世界に示す、大きな看板になったからである。社会主義体制破綻の後は、チェコのトルンカスタジオやシュバンクマイエルのスタジオもほとんど活動休止状態、ロシアのノルシュテインは、新作の制作費を捻出するために、日本などに来ては資金集めのアニメ講座を開催している。日本を短編アニメに理解がないと責めるなら、これらの国々の現体制をも責め、芸術を大切にする社会主義を賛美しなくてはならないことになる。資本主義を体現している組織たる電通の人間として、また産経新聞への寄稿者たる人物として、彼女もまさかそんなことを主張するつもりもあるまい。日本のメディアが不勉強だと言うが、彼女にしてもその認識の不足は似たようなもの、いや、自分を芸術の理解者と任じている分、もっとタチが悪いのである。

 9時、雨の中新宿新田裏、寿司処すがわら。今年に入っては初めてである。そうではないかな、と思ったが、やはり、客はいつものヤクザの親分とその連れの一組だけであった。マジにつぶれるんじゃないかと思う。店員もおらず、大将一人だから、出前にも応じられない。自虐にも余裕がなくなってきた。それでもネタは、夕方まで生きていたというイカや、縞エビなど、最上のものを揃えている。白身、トロ、アナゴなど。おいしかったが、お値段も以前に比べさらにいい。前はこれだけのネタを食わせてもこの安さ、というのがウリだった店なのだが。これではホントに、印税の入ったときでもなければこられない。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa