23日
日曜日
割子蕎麦玉梓が怨霊〜
現八、この蕎麦には怨霊が潜んでおるぞ!(犬塚信乃・談)。朝7時半起床。古いフックスの本など寝床でだらだら読んでいた。朝食、オニオンスープ。果物はブラッドオレンジ(まとめ買いしたんで当分これ)。もう戦争関係はめぼしいニュースもないとみえ、日テレなどは“いつも通りちゃんと”北朝鮮報道。これはこれでエライ。産経新聞は社説でイラク軍に対し“速やかに降伏を決断せよ”と言っている。フセインやその側近が産経新聞を定期購読しているわけでもなかろうに、“せよ”とか言われてもなあ。誰に向かって書いているのか。“してはどうだろうか”“したらいいと思うんだが”“してくれませんかねえ”くらいの表現にしといた方がよろしいのではないですかねえ。
読売新聞書評欄、署名原稿にめぼしいものナシ。右端の『今週の赤マル』欄の編集部員による書評二つが、どちらもきわめて手際よく本の魅力と読みどころを指摘している名文。もう、書評委員制とかは廃して、こういうプロの人たちの記事原だけで構成した方がいいんではないか? あと、世界各地の反戦デモの記事。もっと話し合いをすべきだった、とみんな言うが、さて、話し合いで国際紛争のラチがあいた例が、これまでどれだけあったのか。外交というのは戦争の代替手段ではない。“ここまでの線で譲歩しないと武力に訴えますよ”という、いわば戦争の前段階の交渉だ。外交を尽くして同意がお互いに得られない結果を戦争という。今回の国会決議みたいに、とにかく戦争を嫌ってズルズルと最終決議を引き延ばしているだけのものは外交でもなんでもない。これでは百年待ったって国際問題など解決しっこないのである。
昼はおとついの残りのフキごはん。少しこごってしまっていたが、そこがまたウマイ。翌日以降のカレー、味噌汁、炊き込みご飯などには独特の味がある。自炊していないと味わえない味だろう。マイタケの味噌汁に、昆布つくだにを添えて。それから渋谷の街へ腹ごなしに出る。驚いたことにまだガングロがいた。渋谷には最先端のおシャレが集まっているというのももう昔の話。
HMVを1時間ほど回る。『BIZARRE』の最新号と、CD数枚。あと、死体解剖医のドキュメンタリーDVDなど、悪趣味なもの。それから西武のデパ地下で、今夜の食事の材料を買い込む。帰宅。日記の読者からメールで、水森亜土の年齢計算が間違っている、との指摘。暗算に弱いな。そういえばHMVで、亜土カレンダー、亜土カップなどのグッズを売っていた。まだイラストレーターとしても現役。実はと ても凄いヒトなのではないかという気がしてきた。急いで訂正。
ネットニュース回っていたら、7時過ぎ、天本英世死去のニュースが。よくこの日記で訃報を記すたびに“私を作ってくれた人”という書き方をするけれども、まさに天本英世氏はその大きな中核をなしていた人だった。脇役俳優マニアに私をはまりこませたのも、学生時代、天本英世出演作を追っかけたのが最初だったと思う。映画というものが非日常を体験させてくれるシステムであるとするなら、まさに、その非日常が人間のカタチをとってこの地上に降りてきたようなキャラクターだった。あれは確か昭和46年だから死神博士とほぼ同時期かちょっと前、堺正章主演のコメディ番組『笑っていただきます!』で、精神病院から逃げ出したミイラ学の世界的権威、という役で登場、あのマント姿でお茶の間に上がり込み、ちょこんと座布団に座っている姿は、まさしくホームドラマ的日常を侵略する非日常というイメージそのままだった。あれほどお茶の間が似合わない俳優もちょっとおらず、そこが値打ちの人だったように思う。そのドラマ内で一番強い人、というレギュラー設定だった和田アキ子の体育教師が部屋をのぞき、天本の一瞥をくらって腰を抜かし、
「あたし、ああいう『土曜怪奇劇場』みたいな人、ダメなの」
と逃げ帰る、というギャグがあって、ホームドラマ嫌いだった(日常性を軽蔑していたのだ。若かったね)中学生の私に快哉を叫ばせた。もっとも、このドラマで天本の博士は、堺正章をミイラにしようとつけねらった挙句、病院からの迎えの車に閉じ こめられてしまい、ドアをバタン、としめた藤村俊二が
「キチガイも、フツーのヒトも、紙一重。アハハ」
と笑ってドラマを〆メていた。深読みをすれば、ドラマというものの中から次第に非日常が閉め出されていき、橋田寿賀子、向田邦子等に代表される“日常”がテレビを支配する、という変遷の転換期であった1970年代初頭の、ひとつのアナロジーであったようにも見えたものだ。
それ以来、天本英世の居場所は子供向け変身もの番組の中に限定されてきた感がある。映画雑誌などで彼の紹介をするライターはほとんど、“いま、彼を使いこなせない日本のテレビ・映画界は情けない”と書いていた。思えばわれわれがいい年をして変身モノなどにのめりこんだのは、非日常が、そこにしか残っていなかったからではなかったか。その非日常の代名詞として、天本英世という名前があった。そういう意味では、SF文化、オタク文化の象徴、みたいな人ではなかったかと思う。
死亡記事では“あまもと・ひでよ”と書いてあったので、あれ、ひでよは本名で、芸名の読みは“えいせい”ではなかったか(キネ旬の俳優名鑑でもそう記載)と思い調べてみたら、円谷プロ出演俳優のサイトに“旧芸名・えいせい”とあった。改名したらしい。バラエティなんかでずっとひでよ、ひでよ、と呼ばれていたので通りのいいそちらの名にしたのかも。……大学生の頃、中野から渋谷に向かうバスに乗っていたら、初台あたりでいきなり天本氏が乗り込んできた。その異様なオーラに圧倒された私は、終点の渋谷で降りた後を追って駆け寄り、ノートを差し出してサインを求めた。私はサインというものを人に求める習慣のなかった(ミーハー、とバカにしていた)男なのだが、その禁を破った初めての人物が、天本英世氏であったのだ。物憂げに“……ハアイ”と答えて、いかにも嫌そうにしてくれたその態度が、サイン以上にいかにも天本英世という感じだったのだが、そのときも私は“アマモトヒデヨさんですね、大ファンなので、サインお願いできますか”と言ってしまった。気を悪くしたろうなあ。
この一作、と言って選べば、もちろんキン逆のドクター・フーや、日本映画史上に輝く狂人役を演じた『殺人狂時代』などいろいろあるのだが、彼がまだ“あの天本英世”でなかった頃の、岡本喜八の暗黒街シリーズ第一作『暗黒街の顔役』の殺し屋、小山を上げたい。殺人を目撃したラーメン屋の女店員を殺すために河津清三郎に呼ばれたフリーの殺し屋で、出演シーンはたったの二場面に過ぎないのだが、まず、標的の顔を確認するためにそのラーメン屋に入り、“ラーメン”と注文する(セリフはこれだけ。“ラーメン”……)。そして、彼女の顔をジロリ、と見て記憶に焼き付けると、彼女が外出したのを見計らい、トラックを運転して、表情ひとつ変えずいたいけな娘を轢き殺すのである。この二シーンのみで、天本英世の名は日本一の殺し屋役者としてファンの間に焼き付けられた。当時の『ヒッチコック・マガジン』に、殺し屋スターのインタビューというのが載っていたが、“ピストルで一気に殺すより、ナイフでじわじわと殺していく方が好きですねえ……”などと、イカニモなリップサービスがなされていた。実際にそんな奴がいたらホンモノの精神異常者なのだが、何か、この男なら本当にそう考えているかもしれない、と、そう思わせるような雰囲気があまりにただよっていた。あの役は俳優・天本英世を一生食わせたが、また一生、そのイメージの中に縛り付けたのではなかったか。『オール怪獣大進撃』における、人のいい発明狂のおじさん役は、最初、天本英世が演じているとはわからなかったくらいのユーモラスな演技で、あ、こういう役も出来る人なんだ、と後で驚いたほどであった(他に珍演としては、『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』の銀ラメタイツに全身を包んだ宇宙人サムソン役がある。サリーだったかトッポだったかに股間を蹴り上げられ、股を押さえてピョンピョン飛び跳ねていた)。それを思ってから、私はいかにも天本英世、という演技を強いられている彼を、あまり注視できなくなってしまったように思う。ともあれ、日本に希有な個性の昇天に、黙祷。愛するスペイ ンのイラク攻撃容認を、どう思っていたろうか。
9時、夕食。牛タンとフキの煮物、キンキの干物、それと豆ご飯。キンキの干物は氷川竜介さん夫妻にいただいたものの最後の一枚。例によって皮も尻尾も全部、カリカリ齧って食べてしまう。ビデオで世界CMフェスティバル続き、やはりホモネタ多し。その後、ハンガリーの『死体解剖医ヤノーシュ エデンへの道』。アップリンク発売。オロスコで味をしめて、死体解剖モノを探したな。すさまじいデブの死体を解剖するシーンがあり、解剖というよりは解体、という感じだった。半分まで見て、あとは今度のお楽しみ、とK子は寝る。テレビをザッピングしていたら『ハンニバル』をやっていたが、なんとあの脳ミソシーンが全部カット。だったらこんな映画放映するんじゃないよ、と大笑い。