裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

水曜日

鳴くよウグイス芸団協

 芸団協春のイベント。ちなみに芸団協(社団法人 日本芸能実演家団体協議会)とは俳優、歌手、演奏家、舞踊家、演芸家、演出家、舞台監督などの実演家が結集する65団体を会員とする公益法人で、芸能文化の発展に寄与することを目的に1965 年に設立されました。ホームページはここ。
http://www.geidankyo.or.jp/11overviews/11_01fr.html

 朝、7時半起床。朝食、オニオンスープ。昨日飲みすぎたか、ややしぶり腹。肛門のあたりが痺れるような感触。もっとも、居職のこの商売で、いまだに痔には取り憑かれていないのはありがたい。二月ごろ気になっていた手足の痺れも暖かくなるにつれなくなったし(今日、二の腕が痛んでるのは、昨日マッサージで強く揉まれたせいだろう)、糖尿のケもいまだ出ず。花粉症が快癒したのはとりわけ嬉しい。大学時代の方がよほど不健康だった。日常のリズムをあまり崩さない生活だからではないかと思う。

 古尾谷雅人自殺の報に驚く。『ホワイトアウト』も観てないし、最近では金田一少年の事件簿くらいでしか顔を見かけてなかったが。……やはり春は危ない。世間での評価がどうなのかわからないが、この人主演の『丑三つの村』は凄かったなあ。『八つ墓村』と同じ津山三十人殺しが元ネタなのだが、『八つ墓〜』はミステリだからまだいい。こっちの方は実録風で、成績優秀で、村でも尊敬の念を集めていた青年が、結核だったか心臓病だったかで徴兵にハネられ、それまでの尊敬が急に軽蔑に裏返っていく、という展開で、公開年がちょうど自分が“親の薬局を継がないバカ息子”的な目で実家の周囲から見られていた時代と重なるので、もう見ていて痛くて痛くて。日本人のムラ的心性の根元にある嫉妬心を容赦ないまでに剔抉していて、その中で次第々々に狂っていくナイーヴな青年を、古尾谷雅人がこれまた表情をほとんど動かさない抑えた演技で演じていて、実に落ち着いて村人殺害の準備をすすめ、“皆様、今に見ていろでございますよ”とつぶやく、この“ございますよ”コトバが見たあとでは口についてこまった。狂ってもなお優しい青年は、自分をたった一人愛してくれる祖母を、まず最初に殺す。こんな事件を孫が起こしたあと、この村で生きていくのは可哀想だ、という“思いやり”からである。そして、村人を惨殺しまくったあとも、なお、無表情のまま、しかし、かすかな満足感の笑みを口元に浮かべ、急にカメラの方を向いてわれわれ観客に、
「では皆々様よ、おさらばでございますよ」
 と言って、口に猟銃をくわえ、引き金を引く。どうにもこうにも救いのない、しかしその救いのなさが奇妙にユーモラスな、佳作映画であった。本人は知らず、自殺の報を知らされた映画関係者の脳裏には等しくこのセリフがフラッシュされたろう。

 あとこの人の奥さんが鹿沼えりである、というのもポイントが高い。なんのポイントだかわからんが。『秘密戦隊ゴレンジャー』の防衛軍諜報部員007号で、一時期はモモレンジャーの小牧リサより人気があった(夏の海水浴エピソードでも、小牧リサはセパレートの水着だったが、鹿沼えりはちゃんとビキニだった)。後に日活ロマンポルノに転じたと知ったのは随分あとだったが、あの、番組のコンセプトを越えた色気から言って当然、まさに適材と膝を打ったものだ(打つなよ)。昨日の日記でアミノサプリのゴレンジャーのことを書き、今日また鹿沼えりの名を目にするとは、西手新九郎、ひょっとしてオタクか?

 入浴、日記つけ等のあと、午前中はずっと『と学会年鑑』のトンデモ本大賞受賞のテープ起こし原稿に赤を入れる作業。候補作を紹介している会長をのぞけば、私が一番発言量が多く、手を入れる箇所も多いので、なかなかの苦労。この本に6月のトンデモ本大賞の広告チラシがはさみこまれるので、遅らすわけにいかないのである。

 昼は昨日の残りご飯に卵を落として卵めし一杯。郵便局に出かけ、古書の代金振込み三件。家を出たら、二・二六慰霊碑のあたりを、白地に黒の縞の入った蝶々がひらひらと舞っていた。今年初めて見た蝶々である。振込み終えて直帰、また原稿。よく働くことである。鶴岡から電話。赤入れしながら応答。『千と千尋』、なんでアメリカ人に受けるんですかね、というような話。“アメ公はあれだよ、あれが日本の本当の光景だと思ってんだよ。エキゾティズムにヨワい連中だから”“日本に来れば本当にあんな銭湯があると思ってんですかね”“外国映画なんてみんなそんなもんだよ。日本人だって、『ローマの休日』観て、ローマがあんなキレイキレイな街だと思っていたんだから”“あ、オレもあれテレビで観て、ローマの床屋はみんな広川太一郎の声でしゃべるんだと思ってましたよ!”とか。

 4時、やっと年鑑原稿手直しアゲ。私の発言部分のみで、原稿用紙25枚以上という分量になった。それに、注釈が400字詰め5枚強、つく。メール。ホッとひといき。その後で、FAXのあった河出の安藤礼氏の原稿。今回の原稿中、最も“河出っポイ”原稿である。バタイユ、三島、寺山、澁澤とのからみで怪獣を語るという、それだけで凄い内容。中身は十分、いや十二分にオモシロイが、少し手を入れないと弱いかな、と思える部分もあり。責任編集者としてちょっと考える。しかし、それに合わせて集まった他の原稿(睦月さん、中野監督、河崎監督、ベギちゃん)を読み返してみるが、みんな力作。さて、これらを総まとめにして引っ張っていく原稿を書かねばならぬというのは力業だなあ。

 5時、今度は昨日やりかけだったJ&Jのもの。字数を計算し間違えていたことに気がつく。で、その字数で構成しなおしてみると、なにかマが抜けているというか、読んで面白がるポイントがつかみにくいというか。材料は同じものであるが、そっくり頭から書き直す。まあ、なんとか6時45分までには再度書き上がる。書き上げてから、ニワトコの花(今回はそれがテーマ)の季節というのはもう過ぎているんじゃないか、えらいタイミングのズレた原稿だったんじゃないかと気になって、ネットで調べたら、イギリスやスウェーデンなどでは5月中頃が開花の季節で、ちょうど発売時期にピッタリであったことがわかって安堵。

 そのあと、書庫に籠もって、明日の原稿の資料探し。なんとかよさげなものが見つかって、ざっとメモ程度にまとめて、8時。外出し、スーパーで明日の野菜を買い込み、蕎麦『花菜』。K子と藤井くん。タチウオ塩焼き、カツオのたたき、ホタテ小柱のかきあげ、厚揚げ野沢菜添え。八海山飲むが、さすが、の味。しかし、K子が“この酒はのどごしがよすぎて面白くない”というので、久保田の千寿に変える。藤井くん(広島出身)の話によると、原子爆弾が落ちた後の広島には、当初今後百年はペンペン草一本生えぬだろう、と考えられており、その当時立てられた広島市再建計画の設計書を見ると、中心部の半径百キロくらいの空白部分を囲むドーナツ状の円形都市などの構想があったそうだ。なかなかSF的である。11時半まで飲んで話して、最後は蕎麦。打ち立てを出してくれる。これをすすりこむ快感といったら。

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