裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

木曜日

KKKベストセラーズ

 反黒人本専門出版社です(実在の出版社とは何の関係もありません。類似の名前の会社があっても、そこの社員が白い三角覆面をしていない限り偶然の一致です)。朝方、妙に細かく記憶している夢。自分が新聞で連載小説を読んでいる。その小説のタイトルが『知力──CHIRIKI』。舞台が大正時代で、人間の思考のエキスを吸収する方法が発見され、これがチリキ(知力)と名付けられる。その知力は別の人に転写することが出来る(塩せんべいにエキスを染み込ませてそれを喰わせる、というところがいかにも夢だが)。で、この方法の発明者が寺田寅彦なのだが、彼は師の夏目漱石を間違いで猫に転写してしまう。寺田は猫になった漱石と共に、欧州での大戦でドイツ軍にスパイとして派遣され、大活躍。こんな夢を見たおかげで6時に目が覚めてしまい、仕方なく少しの間メールなどして過ごす。

 7時半、改めて起床、グレープフルーツジュース飲みつつ朝食作り。ソラマメとカボチャ、コーンのサラダ。K子にはマッシュポテト。服薬、如例。目が覚めると毎度“えくしょーい”とクシャミの連発だが、これは朝食を取り始めるとピタリとやむ。さて、テレビはやはりイラク攻撃。テレ朝『スーパーモーニング』は朝日系だけあって反戦色強いが、やく・みつるが“しかし、なんで戦争はこう人を興奮させるんですかね。反戦々々と言っている人だって興奮してるじゃないですか。と、いうより、このスタジオに広がっている興奮ってなんなんですか。戦争が始まるんですよ。もっと憂鬱になってもいいじゃないですか”と言い切る。聞いていて、“よく言った!”とヒザを打つ。『社会派くんがゆく! 激動編』で悪口を言って悪かった、とさえ思った。が、後がいけません。CMをはさんで、急にトーンダウン。無理矢理という感じでアメリカの悪口を言わされていた。戦争に対しアツくならない、というのは今の日本では罪悪なのである。10時に開戦、という噂で、スーパーモーニングは時間を延長して待ちかまえていたが、番組放映時間中に開戦はなし、残念でした。開戦は11時45分。

 テレビの映りがこのところ悪い。アンテナ線との接続が悪いのかな、と思っていたが、昨日廊下の掲示板にあった貼り紙によると、このマンション全体の現象らしく、先日アンテナ関係を調べたが異常はなかった、とのことである。NHKの電波がアメリカかイラクに盗聴されているのではないか、などと思ってしまう。鶴岡から電話、『オタク大賞』本のこと、中野監督の新作のこと、全裸を“マッパ”というのは一体いつごろからか、という話など、くだらんことをいつものように。真面目なことも少し、話す。この年になって、世間に好かれることを言おうなんて考えているヤツはダメだ、と、持論のロートル機能論。オヤジは嫌われて煙たがられてナンボ、だ。

 昼はお茶漬け。イカの塩辛、昆布ツクダニなどで。河出のSくんから電話、中野監督の原稿入りました、とのこと。“いや、ケッサクです!”と。さて、そうなると私自身はどういうモノを書けばいいか、そろそろ方針を固めねばなるまい。戦争関係をずっとテレビで。フランスのドピルバン外相はジャン・マレーに似ているなあ、とか見ながら思う。つい、名前を聞くと“♪あれはドピル、ドピールバーン”とか歌ってしまうが。一年近く間があいた某大手アメリカ医薬品メーカーの企業誌のエッセイ、また動き出して原稿依頼。原稿料と文字数のパーセンテージから言えば一番効率のいいところ。最近、月に一本程度はこういうイレギュラー仕事がコンスタントに入ってくる。いい傾向であろう。いや、レギュラーであればもっといいんだが。

 創出版にも電話。編集長シノダ氏と来月頭打ち合わせ。ゆまに書房のゲラ直し、なぜだか後回し々々にしていて催促電話があったので、急いでやってFAX。凄くいろいろ仕事をしたような気にもなるが、さて大したこともやっておらず。岡田斗司夫さんから電話。大槻ケンジと今度、“声ちゃんを叱る会”というのをロフトでやろうということになったんですが、プロデュースしてくれませんか、という。何でも大槻さんと声ちゃんの話で盛り上がったとき、“彼女はナニをやっておるのか”と、親父モードに入ったらしい。追っかけで斎藤さんから電話、その件。私はプロデュースに徹して、叱り役としてソルボンヌを壇に上げましょう、と言ったらひえええ、と喜んでいた。喜んでいたのか? 一応、四月の空いている日を告げられるが、“私たちはいいがソモソモ声ちゃんはこんな企画に出るのがOKなのか?”と確認。誰もそのことは考えていなかった模様。

 6時40分、家を出て参宮橋に行き、そこから小田急線某所。『虎の子』の萩原夫妻と会食。某所などと書くのはK子から“書くな”と言われているからである(理由は後で)。時間を読み違えて、かなり早めに着いてしまうが、萩原さんも早めに来ていた。キミさんとK子を待つが寒い。K子から電話で、遅れるというので、先に店へ行く。スペイン料理屋で、昔、参宮橋に居たときに何回か通ったLという店で働いていた人が作った店とのこと。とりあえず二人を待つ間に、シェリー酒をたのみ、前菜でハモン・セラーノと、いわしの酢漬けをたのんだ。ハモン・セラーノは熟成がきいて、ああ、ハムというのは発酵食品なのだな、と納得できる味。いわしの酢漬けは、女性の小指ほどの大きさのカタクチイワシを酢漬けにしたものだが、これが実に身がしまっていて、酢の具合とオリーブオイルの具合、ニンニクなど香辛料の具合が絶品で、一口食べてむー、とうなり声をあげた。一皿に七尾ほど並んでいて、K子に少し残しておこうと思ったが、あまりのおいしさに全部平らげてしまう。

 まもなくキミさん来て、十分ほど遅れてK子くる。いわしもう一皿。それからワイン飲みつつ、白魚のアルアヒージョ、鶏もつの煮込み、ムール貝のスープ煮などをつぎつぎ頼む。アルアヒージョというのはニンニク、鷹の爪を入れたオリーブオイルで魚などを煮た小鍋料理。うなぎの稚魚のものをよく食べるが、あれは高いので、いつも数がほんの何スジか数えられるほど。ここはシロウオを使い、たっぷり入っていて大変結構。ことに特筆すべきはムール貝で、いつも魚貝のスパゲッティなどに入っているムール貝を馬鹿にしていたK子が、“これは凄い”と絶賛した味。イタリアで毎食、ムール貝を喰っていた私も感動。イタリアで見た、貝を二つにパキッと割って食べる方法をみんなに伝授。

 さらに赤ワインに変え、山羊のチーズ、塩ダラとジャガイモのスクランブルエッグなど。スクランブルエッグは塩ダラとジャガイモの味の取り合わせが妙。いかにもバスクの田舎料理、という感じ。このままメニュー全制覇、と行きたかったがさすがに腹が保たず、そろそろ〆かな、と思い、“じゃあパエリヤを”と言うと、マスター、“ホントにパエリヤなの?”と言う。“そりゃ、ウチもスペイン料理屋だからね。パエリヤ鍋は用意してるけどさ、ウチの基本はバスクなんだよね。だから、パエリヤよりはリゾットが本式なんだヨ”という。その口調がいかにも“これだけ言ってまだ、パエリヤ食うのかい?”という感じだった。もともと、額に二本筋を立てた、無愛想な親父(“ドライなワインはどれ?”“ウチは全部ドライだよ”“じゃ、この一番上のをください”“あ、それはない”といったふう)だったが、なるほど、これはガンコだ。

 マスターは言うまでもなく日本人であるが、バスク料理にこだわることで、パエリヤを代表とするスペインの本流料理に対する敵愾心を燃やしている。これを聞いたとき、スペインのアスナールがアメリカのイラク攻撃にいち早く同意を示し、“テロを知っている国家として、イスラム過激派のテロに対するブッシュ大統領の危機感を理解する”と発言した、その原因となる民族問題の根深さがわかったような気がした。民族同士の問題は、日本の脳天気な国民が“みんな仲良く”などと口にするだけで、大きな侮辱になってしまうのではないか。宿業というか、因縁というか、自分たちのアイデンティティに関わる問題なのだ。

 もちろん、われわれはここで政治論議をするつもりはないから、“では、リゾットリゾット”と、アサリのリゾットを頼む。ここのメニューで唯一赤線で囲まれているものだが、さすが、の味。アサリの貝殻にまとわりついている米粒も一粒残らず、全部舐め取ってしまいたいほど。途中でスペイン人を含んだ一行が入ってきて、カウンターを占領、ここの常連らしい。肌の黒い、いかにもムーアの血が混じっているという感じのオッサンがカウンターを拳でドンドドン、と叩きながら民謡を歌い出した。これが実に自然でいい感じ。この店、カウンターだけで全部で十席のみ。今日もわれわれの食事中、何度も“空いてる?”という電話がかかり、断っていた。K子は“この店のこと、日記に書くともう、われわれが入れなくなっちゃうから、名前とか場所出しちゃダメ! という。そういうわけで、この店のことは内緒。悪しからず。

 それにしても最近、美食のしすぎのような気が。印税がちょっとまとまって入ったので、K子がとにかく回れるうちに回っておこう、と私の背中を押すのである。こないだガス乾燥機を入れたと思ったら、今度は洗濯機も新しく買った。以前は印税が入ると神田あたりで馬鹿買いをしたものだが、最近は彼女にサイフを握られていて、オタク系なものも全く買えない。秋葉原は家電の街からオタクの街へと変貌した、と森川嘉一郎氏が言っているが、わが家はオタクの城から家電の城に変貌を遂げつつあるのである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa