裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

22日

土曜日

わたしマチュア、いつまでもマチュア

 ビクター・マチュア・ファンクラブ会歌。朝方6時に目が覚める。昔延々とやっていた母子喧嘩の夢。そのままベッド読書。7時半離床。朝食、オニオンスープ。焦がしタマネギを増量、細切りのエリンギと、菜の花を入れて。果物はブラッドオレンジ一個。アメリカ軍の攻撃、本格化。宮殿とミサイル、という図柄は非常に絵画的。未来的オリエンタリズムというか。ええっ、と驚くほど至近距離から撮影された映像もあり、これが今回のピンポイント爆撃が非常に正確に行われていることを暗に示している。それにしてもアエラの田岡俊次氏や江畑謙介氏、神浦元彰氏、岡部いさく(水玉蛍之丞氏の兄)氏まで、テレビを見るたび日本にもこんなに軍事問題や兵器の専門家がいたのか、と驚くほどゾロゾロ出てくる。啓蟄、という言葉を思い出した。

 日記つけ、いくつか仕事関係メール。トイレ読書で読んできた山田俊治『大衆新聞がつくる明治の日本』(NHKブックス)読了。“国民というアイデンティティ”確立のために新聞が果たした役割を、実際の記事から読み解くもの。大日本帝国という“幻想としての共同体構築”に大きな力を持った新聞を、たぶん著者はもっと叩きたいのだろうが、テクストとして使ったものが現在も存続している読売新聞であったため、隔靴掻痒的な書き方しか出来ないのはお気の毒であった。解読も考察も、記事の引用の持つ、凄まじいパワーの前には影が薄い。ただ、文字の読めない人のために、当時“新聞解話会”という、新聞を民衆に読み聞かせる会が盛んに行われていた、という記述は非常に興味深い。印刷技術の発明が近代の幕開けをもたらした、という説に対し、当時の印刷機械の普及度から言って、文字は発明からかなりの間、一部の特権階級の所有物であり、一般に影響は及ぼさなかった、と反駁する人がいるが、彼らは、文字は音読できるものである、ということを忘れている。いや、一説によれば、人類が黙読という技術を身につけたのはごく最近のことに属し、それまでは文字は音読が普通一般の読み方であり、必然として、書かれたものは多くの人に耳で伝わることになった、ということである。ネット上の情報のオープン性についての議論がかまびすしいが、同じことが文字の発明と同時に起きていたのかも知れない。

 昼はフキご飯が残っているので……と思っていたがすっかり忘れて、青山でカツライス食ってしまう。ゴミを出さねばならぬ、ということが頭にあって、ゴミ出し、その足で買い物、ついでに食事、というスケジュールが自然に意識内に組まれてしまったのであろう。で、そのゴミだが、古い洗濯機の下に敷いていたゴム板で、これがベラボウに重い。マンション地下のゴミ置き場にかついで持っていくだけで大ごとだった。『志味津』の、二つある店舗の青学寄りの方でカツライス。週刊文春、新潮、ポストなど数誌読みふけりつつ。“新潮掲示板”に水森亜土が書いている文章の冒頭が“キャッホー、お知らせ&お願いがありまシュ!”。幾つだ、このヒト一体、と思っ て帰ってから調べたら、1939年生まれということだった。もう63歳!

 昨日のスーパーモーニングで、あがぺ・インターナショナルという反米・反戦団体のケン・ジョセフ氏が現地レポートでバグダッド市民の声を伝え、イラク国民は
「今回の空爆をみな(フセイン政権打倒のため)望んでいる」
 と、100人以上へのインタビューの結論として述べていた。その理由というのが「子供たちに未来を与えてやるため」
 というのが泣ける。このレポートが反戦団体の現地取材によるもの、というのが凄い。で、今日みたら、2ちゃんねるのニュース速報臨時板あたりでも話題になっているようだ。スーパーモーニングの司会・コメンテーター一同、憮然という顔つきだったのが何とも笑えたことであった。この報道にどれだけの客観性があるのかはまだ不 詳なので、この笑いは単なる意地悪である。

 帰宅して、少し昼寝。ああ寝苦しい、ああ寝苦しいと思う夢を見ながら寝る。起き出してまた原稿。そろそろ書き下ろしにどれもこれも火がついてきた。5時45分、家を出て、銀座線で三越前。お江戸日本橋亭にて神田陽司独演会。今朝出したメールには“8時ころからでも大丈夫です”と返事が来ていたが、6時半に到着したら、もうすでに満席で、座る場所がない状態。最後列の取材席が空いたのでそこにやっと腰をかける。いつも陽司の会を手伝っているブラ房が『短命』を。客席、ワッワという受け方。ギャグも大胆にぶつけられるようになってきて、そこらの二流真打どもより達者なんじゃないの、と思わせる。お年寄りから若者まで、受け方のレンジも広く、快楽亭が“落語家としてはアッシよりブラ房の方が仕事がある”と言うのも無理からぬこととうなづける。まあ、あまりに順当すぎる出世、という感じがしないでもない が。酒癖の悪さでの大ポカを期待したい。期待するというのもナンだが。

 続いて陽司。“満席というのは初めての経験なので……”と、かなりアガリ気味。ここらへんがいかにもこの人だ。しかし、真打昇進を間近に控えて一席目に前座ネタの『佐野源左衛門の駆け付け』を頭から通しでやったのは、抱負の現れだろう。忠勤の話を、自らの価値を見出してくれた男への友情の話へ、という読み換えは、講談を現代に活かすという彼の工夫がきちんとハマッた例。文語文バリバリの地の文はいささかつらいが、会話の部分はその古風さがかえって心地よい。マクラで講釈士口調のことに触れ、これに慣れると新聞を読むときにも“コイズミシュショウハホンジツ、コッカイニテ……”と講談口調になってしまう、とやって笑わせていたが、昼間の山田俊治氏の本を思い出して興味深かった。新聞講談というのもアリではないか。休息時間に、カメラマンのSさんに“おひさしぶり”と挨拶される。意外なところで会うものだ。撮影ですか、と訊いたら、紅さんとつきあいが長いので、今日初めて陽司さんの会に来たのだそうである。

 その後が陽司の師匠(二つ目は師匠が死ぬと、一門の真打に預けられる)、紅。この人、まだ私が十代の末くらいのとき、小野栄一のクリスマスディナーショー(椿山荘)で共演していた。タップを踏んだり、漫才もどきのことをやったり、多才な人だな、と思った記憶がある。その後寄席で彼女の講釈を聞いて、やはりその多才さに感心し、しかしこの人は多才すぎてとっちらかってしまうのではないか、と心配した。その感覚は、今改めて高座を聞いても変わらない。しかし、そのとっちらかるほどの多才さを、四散させずにもう四半世紀、保たせているのはさすがと言うべきだろう。イラク攻撃に触れ、かつては父ブッシュと大統領の座を争ったラムズフェルドが今、その息子のブッシュを支えているという構図のことを、“まあ、ウチの一門で言うと松鯉兄さんということになりますが”と言って、マニアな客を笑わせていた(松鯉は先代山陽の総領弟子で、今は弟弟子の三代目山陽をバックアップしている)。ネタは芥川龍之介の『桃太郎』。反戦ネタとして、桃太郎なら芥川の原作に頼らず、もっと今のアメリカとイラクの状況にパラレルにした方がよかったように思う。終わったあと、陽司さんへ、と『桃太郎』を踊ってみせ、それは結構だったけれど、鬼ヶ島退治 万々歳、で終わっては前の話と矛盾するではないか?

 で、いよいよ陽司の新作・坂本龍馬もの『薩長同盟〜未練です! 龍馬さま』。龍馬を残された資料から、“口先だけの男”と設定するところが新しい。司馬遼太郎の龍馬にも過分なまでにあったヒーローの要素を可能な限り削り取り、女に弱く、力はなく、金にはピイピイで、何とか維新へと世の中を動かしたい、と思ってはいるが、自分の力不足にしょっちゅう憂鬱になっている龍馬像を創造したところがいかにも陽司である。もっとも、この人物像は陽司の新作の講談の基本形らしく、彼の講談を初めて聞いた『講談ノストラダムス』も、そんな人物造形だった。釈台をエイと持ち上げるクライマックスは新作の面目躍如。タイガーマスクだのガンダムだのがひょい、 と入ってくるのもかなり自然になっていた。

 ちょうど、少し前に『花神』のビデオで、この薩長同盟決裂寸前、というシーンを見返したばかりなので、頭の中での、その対比も面白かった。エンタテインメント演芸としての見地から見るとどうなのか、それはまたいろいろ言いたいこともあるし、古典芸能としての講談の“語り”の魅力が、テーマ性に押されて弱くなってしまっているのではないか(どうしても人間性などを細かに描写しようとすると、会話の部分が多くなり、落語との差違が見えにくくなる)など、今後の課題も多かった高座だと思うが、悩み、考え、時に考えすぎてねじれてしまうのも、陽司の持ち味だと思う。真打になってもおさまらずに、変貌し続けていってほしい。それにしても、語りという行為は、どんなパターン、個性、内容であっても興味のつきないものだなあ。出口 で挨拶して、辞去。

 小雨(霧雨)の中、『クリクリ』。ちょうどK子も到着したところ。クローズドになっていてあれ、と思うが、近くで撮影していた映画のスタッフかなにかの打ち上げがあり、立て込んでいたので、とのこと。タルタルステーキ、自家製パスタ。スープも頼もうと思ったら、ケンがありあわせの材料で発作的に作ったという、レタス巻のスープ煮があるのでそっちにする。和風とも洋風ともつかない、無国籍な味でオモシロイ。自家製パンにはダッタン蕎麦を混ぜたそうで、煎ったソバの実もつまませてくれた。香ばしくておいしい。もう一品欲しいとK子が言うので、自家製ソーセージ。11時半、帰宅。メール等チェックして、就寝。

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