裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

月曜日

なんでチェチェンをあなたは気にする

 アー、アー、知りたい、本当のことを〜(妙に現実とシンクロしているシャレである)。朝7時半起床。朝食はトマトと豆スープ、二十世紀。メール等数通。机回りのエントロピーがすでに極限にまで達している。片づけるにも一仕事となりそうで、どうにも手がつけられない。考えてみれば、執筆状況もそのようになりつつある。すぐにもやらねばいけないことの総量がすでにキャパをオーバーしてしまい、逆に何も手がつかない状態である。

 某出版社から、突如入金があった(大した額じゃないが)。ここではもう二年以上仕事をしていない。雑誌原稿も書いてないし、いったい何だろう、とちょっと不審に思う。担当編集者も全員やめてしまっている会社なので、連絡のつけようがない。知り合いにメールして、調べてもらうことにする。

 昼は渋谷でラーメン食ってすまし、それから青山に出て夕食の買い物をする。好天気なれどもテンションずっと下がりっぱなし。帰宅して原稿を書く。植木不等式氏からちょっとお誘い(珍しく飲み会じゃない)のメール、返答にかこつけて雑談モードとなる。今日のタイトルのダジャレはその際に使用したものの使い回し。

 5時半、家を出て、文化村オーチャードホール前。ライターNくんとハリウッド版『リング』試写会。ナオミ・ワッツの挨拶もあるというのでマスコミ多々、行列もすさまじい長さ。Nくんとそれを眺めながら(指定席なのでちとハイソ気分)、映画業界凄いなあと話す。映画がエンタテインメントの王座からすべり落ちて久しい時期に映画マニアとなったこちらとしては、何か現実に見せつけられてもまだ信じられないという感じ。
「ホラーというのはジャンルとしてすっかり確立したようですねえ」
「でも、映画関係のえらい人と話したりする機会もあったんだけど、まずどこの会社の人も大抵、ホラーブームはもうおしまいですと断言してたよ、この数年」
「今の映画会社のえらい人ってのは、映画に人がさっぱり入らない時期に入社した人たちですから」
「うーん、儲かったってことがフロックとしか考えられないのかなあ」

 客席で“舞台挨拶もいいけど、また司会が襟川クロだったらヤだな”と話していたら、やっぱり、襟川クロだった。“みなさま(タメ)、いよいよお待ちかねの(小タメ)『ザ・リング』(タメ)、日本初の(小タメ)上映です!”という判で押したようなマンネリの文句、聞くだにテンションが下がる。しかしまあ、こうやって何の映画の試写でも彼女が登用されることを考えると、それなりに有能なところもあるのだろう、こっちにわからないだけで。聞くところでは『仮面ライダー龍騎』映画番の試写の司会も彼女だったそうで、“さあ、われわれファンがずっと待ち望んできた映画化が……”とやって、オマエ、ホントに龍騎のファンなんか、見たことあるんかと会場のマニアたちは大シラケだったそうだが。

 さて、お待ちかね(なのか?)ナオミ・ワッツの舞台挨拶。いきなり“ワタシハ、ナオミヨ”と定番で日本語の挨拶。カメラをかまえていた前の席の女性客が“ナオミちゃーん”と奇声をあげたのに驚く。知り合いなのか、単なるミーハーか。長々しくジョークなど言って、それを通訳がたどたどしく訳して、冷えた笑い声がパラパラ上がるという居心地の悪い状況にならねばいいが、と心配していたが、そこはもうハリウッド人種も、日本でそんなことやってもウケない、と前調べしてきているらしく、ワッツも、プロデューサー二人も、非常に手短な挨拶だけで、ホッとする。日本版の主役を演じた松嶋菜々子が登場して花束をワッツに。彼女の来場は急遽決まったらしく、観客の一部からは驚きの声。撮影会のあと、最後に一言、と求められたナオミ・ワッツ、また日本語で
「サダコ・ヨリ・コワイ!」
 と。誰が仕込んだか、まず結構。短かったし(去年の『ゴジラ』のときの出演者どもの無駄きわまる挨拶の長さに比べれば!)。

 で、映画だが、このテの作品は何を書いてもネタバレになってしまうので、今は詳しく書かない。一番怖かったのは、ナオミ・ワッツの息子役の子供の顔。よくまあ、あんな不吉な顔の子役を見つけてきたもんである。ワッツは表情にあまり魅力のない女優だが、色気はあって、黒い下着姿を見せたり、水濡れでオッパイを透けさせたり(『サスペリア』以来のホラーのお約束)、大奮闘。

 Nくんによれば、“このハリウッド版一本で、オリジナル版の『リング』が48本撮れる”ということだが、金をかけただけのことはある。驚いたのは、原作を映画化したのではなく、中田秀夫の映画版のリメイク、しかもほぼ忠実なリメイクだったことだ。ハリウッド映画人が、日本の映画にきちんと敬意を払っていることが感じられて、好感が持てた(その制作費の中に版権料が入っているのかどうかは聞き忘れた。鈴木光司はこのリメイクで向こう十年、何もしなくても食っていけるそうである)。フェリーのシーンなど、無駄に金をかけたのではないという画面作りをしているし、ハリウッドお得意の、元・夫婦や親子のつながりも、日本版より深い描写をされている。そして、日本においてはホラーというのは、純粋にリクツを超えたところに怖さがあるものである。中田監督と脚本の高橋洋が、原作の、ビデオを見た者が死ぬことにつけた解説のようなものをスッとばして、ただ、“呪いだから人が死ぬ”としてしまったのが、日本版映画の成功の秘密なのではないかと私は思う。このハリウッド版が向こうで話題になったのも、何かにつけてリクツぽいアメリカ人に、リクツを超えた恐怖を見せつけたことがその理由だろうと思う。

 とはいえ、アメリカ人はやはり日本人のように、言外に語る、というような描写では納得いかない。日本版よりもかなり丁寧に謎解きの描写に力を入れており、その部分はそれなりにスリリングではあるものの、それだけに最後まで見て、“いいのんかこれで?”というような不満が残ることは事実である。モノクロの映画を思わせるクラシカルなビデオ映像は美しいが、しかし、それと、ビデオという文明の利器との組み合わせがどうにもチグハグ(あのサマラ〜あちらの貞子〜の母親の服装はどう考えても100年は前のものだろう)である。

 Nくん曰く、制作費がかさんだ大半はメイクのリック・ベイカーのギャラなのではないか、ということだったが、そのメイクの見せ方にも感心した。“ちゃんと見せながら、ゲテでない”ように案配しているのである。もっとも、三つあったショッキングなメイクのうち、最初のが一番怖くて、クライマックスで見せるあとの二つはもう慣れてしまってあまり怖くないのが難点。『仄暗い水の底から』での中田演出には、“もったいぶるだけでさっぱり見せてくれない”というもどかしさがあったが、もったいぶって、しかもきちんと見せる、のは、さすが興業的ウリどころをきちんとわきまえているハリウッドと感心したことであった(『仄暗い〜』を、見せないところがいい、と言っている映画評論家がいたが、興業ということを全くわかっていない素人の意見である)。

 終わって外に出て、Nくんにメシを誘われたが、仕事もあるので辞退。誘って貰いながら悪いことをした。次回で埋め合わせようと思う。帰宅、K子と一足違い。野菜を料理して晩飯。サトイモとタコの煮物、アブラゲとホウレンソウの煮物、長野のオミヤゲ屋で買ったブタモツと野菜の炒め物。どれもさすがに美味だが、なかんずく、新米を炊いたのはうーん、とうなるようなうまさであった。永瀬さんから電話、と学会例会のこと、トンデモ本大賞東京開催のこと。太田出版にも、永瀬さんに頼んでおけば大丈夫ですよ、と太鼓判を捺したが、その言を裏切らぬ熱の入れようである。ただし、と学会ももう結成十年、会員数も80名を数えて、いまだに何かやろうというときに、中心となるのが創設会員、というのがちと、情けない。せめて会場取りとかという雑用に関して、下の方から“そういうことは僕たちやります”という声が出てこないかな、というような話。しかし結論は“永瀬さんのあのハリキリを見ると、へたに手出しできない感じだからねえ”。

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