裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

水曜日

山の上の僕ら

「瓜食めばダジャレ思ほゆ 栗食めばましてもじりぬ いづくより 来たりしシャレぞ 眼交に 元ネタかかりて 安寐し寝さぬ」いや、実際この数日、シャレが浮かばず苦悶。“カルボナーラはダンスの後で”とか“大便ながらくお待たせしました”とか、ロクなのが浮かばぬ。朝、7時半起床。久しぶりにK子に朝食を作る。紀ノ国屋に彼女の大好物の青トマトが入っていたので、それとキノコの炒め物。

 K子が帰宅したので、たまった郵便物の整理をまかす。その束の中から、もう18日には届いていた、幻冬舎からのチェック用ゲラの速達があるのにゲッとなる。普通雑誌原稿のゲラチェックはFAXで来るのだが、ここは単行本と同じく郵便を使うのか。しかも、雑誌類と同じ大きさの封筒だったので、てっきりパンフレットの類だと思って見逃していた。あわてて赤を入れ、“間に合わなければママで結構ですが”とFAX。

 9時ころ、快楽亭から中野武蔵野ホールの『家元高座生活五十周年記念・立川談志映画祭』の内容のデータがFAX。快楽亭が“いかに濃い映画マニアでもこれ全部観ている人はいないでしょう。アタシだって初めてみるのが何本かある”と豪語する、自慢の松竹作品群。むろん、全て立川談志が出演している。詳しくは後ほどイベント欄にアップするが、12月24日(火)から、2日変わりで(12月30〜1月2日は休館)『悪党社員遊侠伝』『昭和元禄ハレンチ節』『極道社員遊侠伝』『まっぴら社員遊侠伝』『猛烈社員スリゴマ忍法』という、いずれも昭和高度経済成長のアカみたいな、B級臭紛々の怪作。毎回、快楽亭ブラックとゲストのトーク付き。私はその先陣を切って、初日の24日に出演します。

 沖縄の中笈木六さんから電話。四方山ばなしの後、最近テンションがどうも上がらないという話が出たので、麻黄附子細辛湯をやってみたら、とすすめてみる。もっとも、あの体格ではかなり分量をのまないと効かないか? 昼は冷蔵庫の中にあったカレーを温めたご飯にかけて。いい天気だが上空では前線が張り込んできているとみえて、何かクラクラする。横になっていたら電話頻々、急いで仕事場に駆け込んで、積 んであるDVDの角で素足にひっかき傷を作ってしまった。

 岡田斗司夫・山本弘『メバエ』読む。『ヨイコ』『ナカヨシ』ときてメバエか。次は『タノシイヨウチエン』か? 以前の『史上最強』シリーズから、ゲストを交えての『空前絶後』シリーズに移ってからというもの、毒舌自体を楽しむというコンセプトから、次第にカートゥーン、食玩、怪獣、ガンプラといったオタク大衆文化に対する第一世代の基本姿勢確認、といった姿勢が出てきたのは興味深い。特に岡田斗司夫氏のスタンスである、ガジェット的なもののどこをオタクたちは受容し、どこを拒否するのか、といった部分へのこだわりは後年、重要なオタク分析の資料となる価値がある。大衆文化研究を自己のテーマとしている身にとっての一番の難問は“大衆レベルで支持されたものであれば全てを肯定する立場をとっていいのか”ということである。支持されるということはそれだけのニーズがあったのだ、という立場に立てば、ナチスだって創価学会だって、肯定しなければならなくなる。こっちは文化、こっちは政治、あるいは宗教だから別、という区別は無意味だろう。これは仏教における本覚思想に通じる。本覚思想とはつまり現状の徹底的肯定であり、汎神論的世界観である。末木文美士が『日本仏教史』(新潮文庫)で、
「つまらないもの、価値のないものと思われていたわれわれの日常すべてが悟りであり、仏の現れである」
 とこの思想の基本をまとめているが、まさにアニメやエロゲー、B級ホラーや怪獣映画、それにネットの誹謗中傷までを全て現代オタク社会の示現であり、文化であると肯定してしまうオタク思想は、この本覚の教えにつながるだろう。末木はその魅力を十分に認めた上で、
「しかし他方、修業は不要、凡夫は凡夫のままでよい、ということになると、きわめて安易な現実肯定に陥り、危険な思想といわなければならない」
 と指摘している。まさに、安易な現実肯定はそこに腐敗と自己崩壊しか生み出さない。しかし、さればとてそこに高みからの啓蒙、などという方法を持ち込んだところで、それは大衆文化の特質を失わせ、かつパワー低下を招く要因にしかならない。この対談集が(意図的か結果的かは別として)、現実にオタク文化を享受している立場からの、こだわりによるオタク眼向上の修行の提唱であるという点に、向後のオタク 文化の行き先を示す大きな指針があるような気がする。

 2時ころ、ベギラマからメール。おとついの御礼。あれから行った店でさらに業界人に会っておごってもらい、さらに翌日の麻雀では圧勝したそうである。目も快方に向かっているということで、“カラサワさんに運気を分けてもらった感じ”と言ってくれているが、分けてくれたのは私ではなく植木さんだと思う。植木さんはその翌日は風邪が重ってひどい状態だったらしい。若い子に生気と運気を吸い取られたな。

 3時、タクシー飛ばして新宿伊勢丹地下。例のパン売場で母と待ち合わせ。アメリカ移住に関しては準備万端整ったということで、“その先”につき、母と二人で話しあう。実家の土地売却が(土地の一部を貸してある先との契約で)さ来年となるのでその時期に、母と共同で東京に住居を確保するということにし、いろいろそれにつき計画をたてる。K子と三人、レストラン街で食事。それから浜松町までおくっていって、渋谷へ帰る。パパズアンドママサンで飲みながら、今度はK子と母受け入れの算段をする。財政とか、いろいろシビアに考えねばならぬようだ。バラエティ番組を、音は消してあるがずっとテレビで流している。ここにも山咲トオルが出ている。凄まじい売れ方だなあ。しかし、自分で似たような番組に出たりしてなんだが、いかに本覚思想を持てども、こういうものを肯定するには抵抗がある。10時帰宅、ちょっと早いが留守録とかもう無視して寝てしまう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa