7日
月曜日
和菓子屋の雨に打たれて
このまま死んでしまいたい(売り物の大福を台無しにした主人・談)。朝7時半、起床。前二日食い過ぎなので、今朝はリンゴの里で買った味付け卵一個と二十世紀のみ。K子にはモヤシと、長野の大エリンギを炒めてやったが、流石に東京のキノコに比べておいしい、と感心していた。留守中の新聞をチェック。日曜版の読書欄も見てみたが、取り立てて言及したくなるようなものはなし。
留守録は講談社Yくんの、小さな声で“どうなってるでしょうか……”というのが三本のみ。まず、これをやらねば、と自分を鼓舞するために麻黄附子細辛湯を三服、のんで、イキオイをつけて書き出す。1時に10枚、書き上げてメール。した途端にYくんからの“どうなってるでしょうか”の四回目の電話。いま、送りました、と答えて、こっちもホッとする。10日に好美のぼる本打ち合わせも兼ねて、メシ食いましょうと話す。
昼はセンター街までぶらぶらして、江戸一で回転寿司。思いつめたように下を向いて涙を流している娘と、それと正反対に“イカ頂戴”“あ、その今握ってるマグロ、こっちに頂戴”と、バクバク食っている母親という、どういう事情があるのかよくわからないシチュエーションの二人連れあり。銀行へ寄って残金を確認。会社組織にして、こっちの古い口座は振り込みや支払い専門にしているのだが、入金し忘れてマイナスになっていた。急いで入れねば。
旅行の後の空虚感に襲われるが、そんなことで原稿は待ってくれない。今日〆切の『フィギュア王』原稿、ネタ探しにやや苦労するが、とりあえずのもので10枚強、ガリガリと書く。7時半に書き上げて、編集部とイラストのK子にメール。ふはあ、と息をつく。それでも、旅行でガス抜きをしたおかげで、脳に酸素が行くようになって、比較的楽に一日20枚強を書き上げられた。その前の数日、まあ母の上京やテレビ出演があったためもあるが、気ばかりカラ回りして、ほとんど字を書くという作業にかかれなかった。逃避も時には必要、と、これは言い訳でなくそう思う。
ネタ探しのときに見つけた、フィンランド関係のバカニュースなどをK子にメールしたりして、ノボセた頭を冷やす。久しぶりに山本会長の掲示板を見たら、誰かの書き込みに“沖縄で魚をやっている者として……”と反論している人がいた。研究職の人なのだろう。彼らはよく自分の専門のことを“キナーゼをやっている”“猿のゲノムをやっている”という風に表現する。彼らには日常語なのだが、知らない一般人が読んだら、一瞬“魚が書き込んできたのか?”と驚くだろう。戦前の例だが、ある医学者のエッセイで、自己紹介のとき“私、脳病による色情狂をやっていまして”と言い、相手が驚いて“はあ、どれくらい前からですか”“もう、三、四年になります”“それではご家族はさぞ大変でしょうなあ”“まあ、女房は理解してくれていますから”“それは出来た奥様で”と、変に話が噛みあった、というのがあった。
9時、下北沢『虎の子』。タクシーに乗ってしばらく考え事をしていたら、突然、運転手が“実は私、ここらへん道がよくわからないんですが、ここからどう行きますか?”と声をかけられ、我に返って、え、どこへ連れていかれたか、とキョロキョロ窓外を眺めたら、なんと店の真ん前だった。小松左京の『明日泥棒』みたいだ。
珍しく客がほとんどおらず、雑談しながら酒。サワラのガーリックバター焼き、タコの柚胡椒風味、ミョウガの生ハム巻など。ミョウガと生ハムというのは合うのだなと驚いた。酒はなんとかというのをK子が頼んだが辛すぎ、黒龍に変える。帰宅してから少し読書、就寝1時ころ。